憲法公布記念日に、「学問の自由」条項を噛みしめる。
- 2020年 11月 4日
- 評論・紹介・意見
- 歴史認識澤藤統一郎
(2020年11月3日)
11月3日、憲法公布記念日。1946年11月3日に日本国憲法は公布され、6か月を経た翌47年5月3日が憲法施行の記念日となった。74年目の記念日に、思いがけなくも学問の自由を保障した憲法23条が注目されている。
私の手許に、「はじめて学ぶ日本国憲法」(2005年3月1日)がある。スガ政権によって、学術会議会員に推薦を受けながら任命を拒否された小澤隆一さん(慈恵医科大学教授)の著作。題名ほどには読み易い書物ではない。憲法条文の解説書ではなく、「憲法を学ぶことを、社会科学を学ぶことのなかに自覚的に位置づけようという」試みとしての体系書なのだ。なるほど、政権におもねる姿勢はいささかもない。忖度期待の輩には、耳が痛い内容。
その第2章「日本・日本人と憲法ー明治憲法を通じて考える」に「5. 明治憲法体制の崩壊」という項がある。その一部を紹介させていただく。
(1)天皇制のファシズム化と天皇機関説事件
……1932年5月15日、犬養毅(1855-1932年)首相が海軍の青年将校らに暗殺され(5・15事件)、いわゆる政党内閣の時代が幕を閉じます。その前年には、満州事変が始まり、日本は急速に軍事体制を固めていきました。すなわち、対外的には侵略体制を強めると同時に、国内では、強権的な戦時動員体制が、思想や言論統制、弾圧もまじえながら構築されていきました。…
1930年代から敗戦にいたる日本の政治体制を、「天皇制ファシズム」と呼ぶことがあります。…こうした「天皇制フアシズム」の特徴を象徴的に示す事件として、1935年の天皇機関説事件があります。この事件は、それ以前の時代に支配的な憲法学説であった美濃部達吉の天皇機関説が、議会での糾弾と「国体明徴決議」、在郷軍人会などが主体となった「国体明徴運動」、政府による「国体明徴声明」などを通じて排撃され、美濃部は、最終的に大学で機関説の講義ができず、著書を絶版にするところまで追い込まれます。
1937年に文部省が編纂し、全国の学校に配布したパンフレツト「国体の本義」では、明治憲法によれば、「天皇は統治権の主体である」こと、その根本原則は「天皇の御親政である」こと、三権の分立は「統治権の分立ではなくして、親政輔翼機関の分立に過ぎ」ないことなどをうたっており、天皇機関説は、「西洋国家学説の無批判(な)踏襲」として完全に否定されました。
(2) 総動員体制と敗戦
日本の戦争は、中国大陸への侵略から、アメリカ・イギリスなどとの東南アジア・太平洋を舞台としたものへと展開していきます。そうしたなかで、政治、経済、社会、文化のすべてを戦争に動員する「総力戦体制」がしかれ、憲法にもとづく統治は、いっそう破壊されていきます。1938年には、「国家総動員法」が制定され、国民の経済、生活が政府の一元的統制の下に置かれ、統制に関する権限は政府に白紙委任されます。1940年には、当時の議会内政党が解散し大政翼賛会に合流します。また翌年に、治安維持法が改正され(処罰対象の拡大、予防拘禁制度の新設など)、政治弾圧法規としての機能が強化されました。
このようにして、日本が、1941年にアメリカやイギリスなどとの戦争を開始する頃には、明治憲法体制は、その立憲主義的要素はほとんど残さないような状態にまでなっていました。明治憲法の体制が最終的に崩壊するのは、敗戦を待つことになりますが、「政治を規律する法」という憲法本来の役割を、明治憲法は、すでに敗戦以前に失っていたといえるでしょう。
戦前の天皇制政府による学問の自由弾圧が戦争準備と一体であったことを簡潔に解説したものである。天皇機関説事件に代表される歴史的体験が、戦後の制憲国会において憲法23条「学問の自由は、これを保障する」に結実した。この著作を上梓した当時、小澤さんご自身が美濃部と同じ立場に立つことになるとは夢にも思わなかったに違いない。その意味では、今、非常に危険な時代を迎えていることを、74年後の憲法公布記念日に噛みしめなければならない。
しかし、学者もいろいろだ。『御用』と冠を付けた「学者」も、一人前に発言の場が与えられている。NHK(デジタル)が「【学術会議】憲法専門の百地氏『首相の任命権 自由裁量ある』」と掲載している(10月29日 21時08分)。
「日本学術会議」の会員候補6人が任命されなかったことについて、憲法が専門の百地章国士舘大学特任教授は、「総理大臣の任命権は、ある程度の自由裁量はある」などと述べ、政府の対応に理解を示しました。
この中で、百地特任教授は、「私は結論的には任命拒否はあり得ると考えている。菅総理大臣はいろいろなバランスとか総合的に考えたと言っており、総理大臣の任命権は、学術会議の推薦に拘束されるものではなく、ある程度の自由裁量はある。法律の解釈は変わらない。運用で少し変化が出たと私は理解している」と述べ、政府の対応に理解を示しました。
その上で百地氏は、「学術会議そのものにも問題があるようだと考える人たちも増えている。本来のあり方に持っていこうということで、改革の動きが出てきているのは当然ではないか」と述べました。
また、百地氏は、「学問の自由を侵し、萎縮を招く」といった批判が野党などから出ていることについて、「私から言わせるとナンセンスだ。学術会議の会員になれなかったからと言って、学問の自由は侵害されないのではないか」と述べました。
以上の叙述には、強烈な違和感を禁じえないが、とりわけ、「『学問の自由を侵し、萎縮を招く』といった批判が野党などから出ていることについて、『私から言わせるとナンセンス』」は、法を学んだ人の言ではない。少なくも、法の神髄を知らず、法を社会科学として把握する姿勢に欠け、法の歴史も法の機能も法常識の弁えもなく、ひたすらに権力へのへつらいに徹した人の言でしかない。
NHKは、いったいどんな思惑あって、こんなコメンテーターを取りあげたのだろうか。社会は、74年前に公布された憲法が想定しているようには動いていない。時代は危ういといわなければならない。
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2020.11.3より許可を得て転載
http://article9.jp/wordpress/?p=15881
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion10256:201104〕
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