永尾俊彦『ルポ「日の丸・君が代」強制』(緑風出版)をお薦めする
- 2020年 12月 14日
- 評論・紹介・意見
- 日の丸君が代澤藤統一郎
(2020年12月13日)
本日、永尾俊彦さんから、その著書『ルポ「日の丸・君が代」強制』の献本を受けた。12年間にわたる法廷闘争と教育現場の取材をまとめた詳細なルポで、400ページに近い大著になっている。さすがに記者による読みやすい文章で、東京編だけでなく大阪編もあり、私も知らないことがたくさんある。何よりも、問題の全体像把握のための記録として貴重なものである。
あらためて、このルポに登場してくる多くの人々の真摯さに打たれざるを得ない。ぜひとも多くの人に、この著作をお読みいただきたいと思う。「籠池泰典元理事長インタビュー~「天皇国日本」というモノサシをつくる学校」なども、たいへん面白い。
http://www.ryokufu.com/isbn978-4-8461-2022-1n.html
永尾俊彦[著]ルポ「日の丸・君が代」強制(緑風出版)
四六判上製/392頁/2700円
■内容構成
まえがき~「口パク」すればいいのだろうか
第一部 少国民たちの道徳
第一章 東の少国民「うんこするのも天皇のため」~山中恒さんインタビュー
第二章 西の少国民「上があるから下ができる」~黒田伊彦さんの語り
第三章 「君が代」の道徳 「生と性の賛歌」から天皇の讃美歌へ~川口和也さんの研究
第二部 東京篇
第一章 東京の「狂妄派」~教職員の牙を折りたい狂おしい欲望
第二章 東京の教師、子どもたちと「日の丸・君が代」強制
一 「君が代」は誇り高く歌いたい~近藤光男さん(体育)の場合
二 「お前のこと、用いるから」~岡田明さん(日本史/現代社会)の場合
三 音楽が息づく学校を~竹内修さん(音楽)の場合
四 「自分の可能性をあきらめないで」~大能清子さん(国語)の場合
五 子どもたちの「障がい」が消えた日~渡辺厚子さん(特別支援学校)の場合
六 「俺は先生の生徒でよかった」~加藤良雄さん(英語)の場合
七 表現を行動として生きる~田中聡史さん(特別支援学校/美術・図工など)の場合
第三章 「生徒の心を聞く仕事」であるために
第三部 大阪編
第一章 大阪の「狂妄派」~ビシッと「モノサシ一本」の快感
一 法的にも復活した「非国民」
二 「教育事件」としての森友問題
籠池泰典元理事長インタビュー~「天皇国日本」というモノサシをつくる学校
第二章 大阪の教師、子どもたちと「日の丸・君が代」強制
一 「歴史が歴史をたしかめる」~増田俊道さん(社会)の場合
二 「真の愛国者は自由を保障することで育つ」~梅原聡さん(理科)の場合
三 「先生に何ができるの」への答えを探して~井前弘幸さん(数学)の場合
四 「事実さえ教えられれば」~松田幹雄さん(中学・理科)の場合
五 「背骨」は曲げられない~志水博子さん(国語)の場合
性的少数者と思想的少数者~南和行弁護士インタビュー
六 子どもたちを「無我の人」にするな~奥野泰孝さん(美術)の場合
「陽気な地獄破り」を~遠藤比呂通弁護士インタビュー
第三章 「自己を持つ」子どもたちを育てるために
あとがき~ニッポンの良心
引用文献
資料 国旗国歌に係る懲戒処分等の状況(文部科学省調査)
「日の丸・君が代」強制問題関連年表
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本日は、たまたま国旗・国歌(日の丸・君が代)強制問題での原稿を書いていた。
その草稿の一部を掲載しておきたい。
第1次懲戒処分取消訴訟の控訴審判決は、2011年3月10日に言い渡され、東京高裁第2民事部(大橋寛明裁判長)は、戒告(166名)・減給(1名)の全員について、懲戒権の逸脱濫用を認めて違法とし全処分を取り消した。
戒告といえども懲戒権の濫用に当たるとした大橋寛明判事は、元最高裁上席調査官である。教員の不起立・不斉唱を、「やむにやまれぬ真摯な動機に基づくもの」とした「実質違憲判決」には、大きな励ましを受けた。
この大橋判決に対する上告審では、最高裁で弁論が開かれた。以下は、「教員の良心を鞭打ってはならない」とする、澤藤が担当した法廷弁論の一部である。
「本件各懲戒処分の特質は、各被上告人(教員)の思想・良心・信仰の発露としての行為を制裁対象としていることにある。各人の内面における思想・良心・信仰と、その発露たる不起立・不斉唱の行為とは真摯性を介して分かちがたく結びついており、公権力による起立・斉唱の強制も、その強制手段としての懲戒権の行使も各教員の思想・良心・信仰を非情に鞭打っている。司法が、このような良心への鞭打ちを容認し、結果としてこれに手を貸すようなことがあってはならない。」
「被上告人らは、内なる良心に従うことによって公権力の制裁を甘受するか、あるいは心ならずも保身のために良心を捨て去る痛みを甘受するか、その二律背反の苦汁の選択を迫られることとなった。思想・良心・信仰の自由の保障とは、こういうジレンマに人を陥れてはならないということではなかったか。人としての尊厳を掛けて、自ら信ずるところにしたがう真摯な選択は許容されなければならない。」
「教育者が教え子に対して自らの思想や良心を語ることなくして、教育という営みは成立し得ない。また、教育者が語る思想や良心を身をもって実践しない限り教育の成果は期待しがたい。『面従腹背』こそが教育者の最も忌むべき背徳である。本件において各教員が身をもって語った思想・良心は、教員としての矜持において譲ることのできない、「やむにやまれぬ」思想・良心の発露なのである。」
「不行跡や怠慢に基づく懲戒事例とは決定的に異なり、上告人(都教委)が非違行為と難じる行為について、被上告人らがこれを反省することはあり得ない。したがって、職務命令違反は当然に反復することになる。反復の都度、処分は累積して加重される。その過程は、心ならずも不当な要求に屈して教員としての良心を放棄し、思想においては「転向」、信仰においては「改宗」「棄教」に至らない限り終わることはない。」
「本件は、精神的自由権の根幹をなす思想・良心の自由侵害を許容するのか、これに歯止めをかけるのかを真正面から問う事案である。憲法の根幹に関わる判断において、最高裁の存在意義が問われてもいる。人間の尊厳を擁護すべきことも、教育という営みに公権力が謙抑的であるべきことも、多数決支配とは異なった事件の憲法価値として、人類の叡智が確認したところである。」
「これを顕現するものは、憲法の砦としての最高裁であり、最高裁裁判官諸氏である。歴史の審判に耐え得る貴裁判所の判決を求める。」
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2020.12.13より許可を得て転載
http://article9.jp/wordpress/?p=16029
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion10364:201214〕
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