飼い犬に手を噛まれた
- 2020年 12月 16日
- 評論・紹介・意見
- 原発小原 紘新型コロナウィルス
韓国通信NO655
感染者数14百万人、死者30万人に迫るアメリカの新型コロナの犠牲者。マスクは不要、ソーシャルディスタンスを無視し続けたトランプ大統領の責任はあまりにも大きい。
アメリカ政府のコロナ対策最前線の地位にある国立アレルギー・感染症研究所所長アンソニー・ファウチ氏が、記者会見の席で大統領のコロナ対策に公然と異議を唱えたのは記憶に新しい。「飼い犬」に手を噛まれて大統領が激怒したのは言うまでもない。それも大統領選のさなかである。ファウチ氏は大統領の飼い犬ではなく、学者として公務員として国民の奉仕者だった。
<日本はどこへ行く>
アメリカが負った傷はあまりにも深い。コロナを中国の陰謀と非難し、WHO(世界保健機構)を脱退したトランプ政権は第二次世界大戦の米軍死者を上回る犠牲者を生みだした。政治の「独裁」「独善」「非科学」がもたらす災禍が教訓となった。
わが国は医療崩壊寸前の深刻な事態を迎えている。マスクと手洗いとGoT0キャンペーンからは「自助」と経済優先の姿勢だけが透けて見える。巨額を投じたアベノマスク、改憲もどきの「緊急事態宣言」は何だったのか。PCR検査をサボったばかりに陽性患者を「泳がせ」、中国、韓国に後れを取った。12月3日厚労省が発表した日中韓の数字を見れば日本政府の怠慢さは明らかだ。
感染者数 死亡者数
日本 160,098人 2,315人
中国 86,619 4,634
韓国 37,546 545
トランプ大統領の「ご乱行」は天衣無縫の感があった。クビにされたボルトン元補佐官や側近らの証言、親族の暴露本が相次ぐ華々しい副産物もある。アメリカ国民は、間抜けで危険な大統領のかわりに、よりましなバイデンを選んだ。
トランプに抱きついた安倍前首相の姿には驚いたが、気前よく武器を買ってくれる日本にトランプは至極ご満悦だった。だが拉致問題にはウワの空で自国ファーストに徹した。8年近い安倍政権の悪政と民主主義破壊は数限りないが、コロナ対策は失敗、菅首相もその失敗を継承している。
原発事故をなかったように装ってオリンピックを招致したのがつまずきの始まりだった。
今年は年初から首相をはじめ日本中はオリンピック一色に染まっていた。集団感染が起きたクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」の衝撃。世界に広がる感染を無視して、クルーズ船の感染者をカウントしないようにWHOに求めた姑息さ。コロナという現実に向き合わず、対策を怠った。
マスクの配布、緊急事態宣言、10万円の給付金をめぐるドタバタ劇が国民の不安を募らせた。
「オリンピックどころじゃないだろう」と正面切って主張する声は聞こえない。ウソから始まったオリンピック招致のツケが今国民に重くのしかかる。
政府批判をさせない安倍・菅コンビがついに学問の自由にまで干渉しはじめた。コロナ騒ぎのドサクサに便乗するまたもや露骨な憲法破壊。マスクが邪魔で怒りの声がなかなか出てこない。
最近、政府の提灯持ち、オリンピック関連の報道が目にあまる。オリンピックに胸ふくらませる選手たちを人質にしているようで正視に耐えられない。気の毒なのは選手たちだ。
解雇、失業、倒産で生活苦にあえぐ人たちは政府発表よりはるかに多く、深刻さが伝えられる。貧困世帯、病院に行けない人、自殺者、眠れない人が急増するさなか、健康保険の自己負担を増やそうとする政府の発想は一体どこから生まれるのか。株価と感染者数だけが右肩上がりという異常事態。政治と経済の枠組みを抜本的に変える以外、解決の道はないとコロナは教える。
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12月2日、久しぶりに都心にでかけた。
上野にある日本原電本社に東海第二原発の再稼働中止を求め、新橋では福島原発事故に懲りもせず再稼働に執念を燃やす東京電力本社へ抗議。<写真左/東電本社前>
翌3日、恒例の我孫子駅頭の宣伝行動に参加。一年ぶりにサンタ姿が登場。いつもより多めのステッカーを持ち込んだ。創作ステッカーに「コロナに負けるな」が登場、人目を引いた。
通行人から「ガンバレ」という声。「原発・辺野古も心配だけど嘘つき政治も本当に困ったもの」と話しかけてきた女性。
「眠れないそうだが最近はどうなの」と心配する友人。「まあまあ何とか…」と答える私。
「感染者数がフィリピンより日本が多いとはショックですね」「餓死者が出ても軍隊と警察が外出させないそうですよ」「日本では経済優先。外出する人も多いし」「政府が信頼されなければ何をやってもコロナ感染は止まらないのでは」。
スタンディングは仲間との情報交換の場でもある。あっという間に1時間が過ぎた。
翌4日、大阪地裁が関西電力大飯原発3、4号機(福井県)の稼働を認めた原子力規制委員会の判断を取り消した。事故が起きてから「想定外の地震」では誰も納得しない、当然の判決だ。高コストで危険な原発。脱原発は世界の常識となった。日本の電力会社は解体的出直しが必要だ。
80年代、90年代、銀座と上野が私の営業エリアだった。当時、原発のことを考えたこともなかった。久しぶりに雨の東京を歩きながら、悔いと、やり残したものがあるのを強く感じた。
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〔opinion10371:201216〕
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