2021年を「時代閉塞の現状」から理性的に脱出する年に!
- 2021年 1月 2日
- 時代をみる
- 2021加藤哲郎新型コロナウィルス
2021.1.1 2021年は、2020年と一続きの、人類史上の転換点になりそうです。新型コロナウィルスの「世界的大流行=パンデミック」は止まりません。ジョンズ・ホプキンス大学のデータによる年末の世界の感染認定者数は、ひと月で1900万人増えて8200万人、死者も30万人以上増えて180万人近くで、年が明けます。アメリカ1951万・死者34万、インド1024万・死者15万、ブラジル756万・死者19万、ロシア307万・死者5万に、フランス257万、イギリス238万等ヨーロッパ主要国が増勢で続きます。対策優等国といわれたドイツも170万人に。BBCの下図では、大陸別データで「オセアニアは感染報告数が少ないため除外」とありますが、すでに南極にまで到達しました。ウィルスは、各地で変異を繰り返し、特にイギリス型や南アフリカ型は感染力が強いといわれますが、東アジアで相対的に感染を抑えている「Xファクター」の正体同様、医学的には分かっていません。 未知の恐怖は続きます。
大晦日の夕刻に、東京都の感染認定者1337人、全国4500人越えというニュースが、飛び込んできました。12月の感染増加の勢いと医師会や医療従事者の悲鳴に近い叫びから当然予想されたことですが、政府も東京都も、有効な対策をとれずにきました。この感染爆発は、人災です。確かに日本は、欧米に比すれば感染者数も死者数も少なく見えます。ただし、PCR検査の絶対数が桁違いに少ないですから、実態はわかりません。東アジアでは、フィリピン・インドネシアと共に劣等国で、感染源であった中国より人口は圧倒的に少ないのに感染認定者総数は上回っています。東洋経済のデータベースが、PCR検査数や年齢別陽性者数が出ていてわかりやすくなっています。未だに一日のPCR検査は全国で最大7万人程度、そこで医療崩壊寸前となっているのはなぜでしょう。その「日本モデルの失敗」の秘密は、ようやく公共放送でも取りあげるようになりましたが、もともと新自由主義をベースとする現政権の「健康・医療戦略」は、首相官邸HPにあるように、2013 年6月、アベノミクスにおいて当初掲げた「三本の矢」の一つである成長戦略 「日本再興戦略 JAPAN is BACK」(2013 年6月 14 日閣議決定)において、「戦略 市場創造プラン」のテーマの一つに『国民の「健康寿命」の延伸』か入ったことで作られた、経済成長戦略の一環です。最新2010年3月27日閣議決定改訂版でも基本方向は変わらず、すでにパンデミックが宣言され、日本でも市中感染が進んでいたにも関わらず、「コロナ対策」は内閣官房の担当としただけです。日本の感染対策は「経済と両立」どころか、一貫して経済政策に従属してきたのです。
「コロナ重症患者を適切に治療するには、中核施設を認定して、集中的に資源を投下するしかない。これは現在の厚労省の施策と正反対だ。いまのやり方を押し通せば、多くの施設が疲弊し、PCR検査を抑制している現状では、院内感染の多発が避けられない。まさに現在の日本の状況だ」(東洋経済)とも、「必要な医療資源の分散により、新型コロナ患者を受け入れられる病床がいくらあったとしても、この病床というハードを生かすために必要なソフトに当たる「病院当たり」や「病床当たり」の医師や看護師などの医療資源が不足しているため、全病床のうちコロナ対策病床1.8%というような状況になっている」(ダイヤモンド)とも言われますが、根底には、感染症対策は「発展途上国」マターの儲からない問題とし、「高度先端医療」とその輸出に活路を見出そうとする政府の「健康・医療戦略」があります。その証拠に、厚労省は医療費削減を狙った「地域医療構想」の実現のために、病院の病床の数を削減すると給付金を支給する「病床削減支援給付金」の実施を全国の知事宛てで11月26日に通知しました。2021年度の予算案では、病床削減のためにさらに195億円が計上されています。2020年度の84億円の2倍以上です(リテラ)。当面の「感染症防止に配慮した医療・福祉サービス提供体制の確保に533億円(第3次補正は1兆6442億円)、PCR検査・抗原検査等の戦略的・計画的な体制構築には207億円(同1276億円)などを計上した。また、厚労省の人員体制の整備として、国立感染研究所の職員の定員を362人から716人と大幅に増員する」のは当然です。しかし新年度予算案であり、感染対策と成長政策が混在し、矛盾しているのです。正月明けにも国会を開いて、実効的な緊急医療対策を立てるべきです。
映画「スパイの妻」を見ました。黒沢清監督の、ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞(監督賞)受賞作です。主演の蒼井優、高橋一生の演技もさることながら、時代考証に監督の想いが感じられました。あらすじに「1940年、神戸で貿易会社を営む福原優作は、満州で国家機密に関わる衝撃的な光景を目にしてしまう。正義感に駆られた優作はその事実を世界に公表しようと決意するが、スパイとして疑われることになる」とありますが、冒頭で優作の取引相手の神戸の英国人貿易商が憲兵隊に検挙されます。これは、ゾルゲ事件の研究者ならピンとくる「外諜」取締、「コックス事件」の一環です。コックス事件とは、「1940年7月27日に、日本各地で在留英国人11人が憲兵隊に軍機保護法違反容疑で一斉に検挙され、7月29日にそのうちの1人でロイター通信東京支局長のM.J.コックスが東京憲兵隊の取り調べ中に憲兵司令部の建物から飛び降り、死亡した事件。同日、日本の外務省が英国人の逮捕とコックスの死亡を発表し、死因を自殺と推定した」ものです。11人の英国人検挙者の中に神戸の貿易商フレイザー・アンド・カンパニーの大阪・神戸支店長J.F.ドラモンド(Drummond)も入っていました。翌年のゾルゲ事件摘発につながる外国人ジャーナリスト監視・弾圧強化、太平洋戦争開戦時の「敵国外国人」一斉検挙、「外人を見たらスパイと思え」の戦時国民運動につながります。コロナ禍の「自粛警察」、感染者・外国人・医療従事者・エセンシャルワーカーへの理不尽な差別を想起させます。
貿易商の主人公が満州・新京への出張旅行で見た「国家機密に関わる衝撃的な光景」とは何だったのでしょうか。映画の解説にも劇場用パンフレットにも一言も出てきませんが、これは731部隊・100部隊の研究者でなくても、森村誠一『悪魔の飽食』を読んだ人なら、すぐに気がつくでしょう。ハルビン郊外平房に本部をおいた関東軍防疫給水部731部隊の人体実験・細菌戦のことです。映画では女性勤務員の日記・証言とおぞましい映写フィルムを持ち帰ったことが軍機保護法違反、「スパイ」とされて主人公が検挙され拷問を受けますが、実際、石井四郎731部隊長は、人体実験を撮影した映画を満州現地や日本本土の講演等で使っていました。1940年の夏には、農安・新京でペストが発生しました。当時は自然感染とされていましたが、今日では日本側・中国側からの研究で、731部隊による人為的ペスト菌撒布の細菌戦の結果とされています。731部隊軍医金子順一が、戦後に伝染病研究所に勤務し東大の医学博士論文とした実験記録が、動かぬ証拠となりました。金子順一は、石井四郎等他の731部隊幹部と同様に、米国占領軍にデータを提供して戦犯訴追をまねがれ、武田薬品に勤務しました。この「国策」731部隊医学・医薬産業の伝統が、伝染病研究所から再編された現在の国立感染症研究所と東大医科学研究所等に受け継がれ、昨年来の新型コロナウィルス対策でも、政府の「専門家会議」「分科会」を通じた感染データ独占、「国策」オリンピックや「健康・医療戦略」を忖度した政府・厚労省への「助言」、治療薬・ワクチン政策等に連なっているのではないか、というのが昨年公刊した拙著『パンデミックの政治学ーー「日本モデル」の失敗』(花伝社)の問題提起です。
私の見るところ、黒沢清監督の映画「スパイの妻」は、故黒澤明監督作品の中では、ヴェネツィア国際映画祭受賞作「羅生門」や「七人の侍」よりも、1946年の作品「わが青春に悔いなし」を想起させます。「スパイの妻」の描いた1940年は「紀元2600年」で、日独伊枢軸で世界から孤立し、「神武天皇建国祭」に合わせて計画され決まっていた「東京オリンピック」も「万国博覧会」も中止に追い込まれた、日中戦争泥沼化と日米開戦前夜でした。その時代に、日本の科学技術は、「戦時体制」の名で「国策」への「奉公」を強いられました。医学・獣医学・薬学・理学等は「大東亜医学」「最終兵器」の名で国際法違反の生物化学兵器製造に向かい、中国人・ロシア人・朝鮮人等の「抗日分子=マルタ」を細菌戦・毒ガス戦のための人体実験に使いました。法学・政治学・経済学・教育学等は、共産主義・マルクス主義を「黴菌」「ウィルス」と見なして撲滅を図り、戦時体制構築・外来思想排撃の思想・情報統制に支配されました。治安維持法改悪ばかりでなく、軍機保護法・国防保安法などで神がかりの「日本法理」を作り、自由主義や神道以外の宗教も取締と弾圧の対象にしました。そんな時代への足音が、安倍内閣の下で教育基本法改悪から特定秘密保護法・新安保法・組織犯罪処罰法、国家安全保障会議(NSC)・内閣人事局設置、集団的自衛権と日米防衛体制強化と聞こえてきて、菅内閣の新型コロナ対策と東京オリンピック強行のために、いっそう強まっています。日本学術会議の会員任命拒否は、官僚制掌握とメディア支配を前提にしての、新たな第一歩でした。再び国際的孤立と国民的「自粛」のなかで、「いつか来た道」を繰り返してはなりません。2021年を、「時代閉塞の現状」を「冷徹に考え」、理性的に脱出口を見出す年にしたいものです。
初出:加藤哲郎の「ネチズン・カレッジ』より許可を得て転載 http://netizen.html.xdomain.jp/home.html
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