こいのち通信(世田谷こどもいのちのネットワーク通信)2021年1月(の一部です)
- 2021年 2月 4日
- 交流の広場
- 星野弥生
コロナをそのまま持ち越して、年が明けました。おめでとうございます、も言う気になれませんでしたね。新年早々、年末年始のGo To Travel, Go To Eatのキャンペーンのせいで、感染者数が増大し、遅れ遅れの緊急事態宣言。外食せよ、と言ったばかりなのに、出かけるな、家で食べろ、三人以上は集まるな、店は8時に閉めろ、などのお達し。挙句の果てに、違反をした店には罰則を課すことが決定され・・・。いったい何を考えているんだろう、と呆れを飛び越して、情けないことこの上ないですね。国会での論議(になっていないけれど)を聞いていても、まったく答弁になっていません。事情が刻々と変化しているのに、オリンピックを「人類がコロナに打ち勝った証として予定どおり開催する」と壊れたテープレコーダーのように繰り返すのみ。福島はアンダー・コントロールどころではないのに・・・。補正予算に、コロナ後のGo To Travel, Go To Eatに何兆円も当てるというのも、何の反省もないですね。生活の手段を奪われた人たちを救済するのが先決だろうに・・・。 新年早そう、グチばかりでごめんなさい。どうぞ今年もよろしくお願いいたします。せめて通信でつながれていることを喜びたいと思います。
1月が終わろうとしている時に、1月号をギリギリで出すことにします。新年のイベントも中止、ボロ市もなく、本当に寂しい限りでした。それでも一ヶ月過ぎてみると、けっこういろんなことがありました。1月というと、私はやっぱり「1.17」なのです。震災の翌年から世田谷でずっと続けてきた「神戸をわすれない」という名の、神戸のことを映画で観て神戸に学ぼう、とする会も、34回目となりました。昨年の25周年に、「野田北部・鷹取の人びと」を作ってきた青池憲司監督が、そろそろ潮時、みたいな感じだったし、コロナ禍もある
し、今年はどうしようと考えあぐねていたのですが、やっぱり忘れないのだ、と思い直して、1月23日に開催しました。いつもなら「こいのち通信」に入れるチラシも作らず、区からの後援名義も取らず、プレスにも連絡せず、呼びかけは「神戸をわすれない通信」(そんなものも作っているのです)のみ、というごく控えめな準備で臨みました。非常事態で、区の施設が8時以降は強制的にキャンセルとなってしまう事態で、予定の映画も終わりまで見る時間をとれず、おまけに寒い雨の日でしたが、17人が集いました。 なんとなく、年に一度はこの場で会おう、と約束しているような雰囲気の会なので、いつもの顔、やっぱり神戸をわすれない、まだまだたくさん学ぶことはある、と思いを共有する方々に会えたことがなによりでした。 震災から5年の日々を綴った156分の「再生の日々を生きる」をじっくり鑑賞する予定でしたが、1時間15分くらい観たところで打ち切り!この先、まちづくりはどうなるのかとの期待がつのる中で残念ながら終会となりました。全編を観る機会を再度持ちたいと思いますので、その時はぜひ!この映画では、まちづくりを住民、専門家、行政が一緒になって真摯に討論する中から、意思決定をしていく、という、今の時代に失われつつある民主主義の原点が描かれていて、今だからこそ必見!と思えます。コミュニティは黙っていては出来ないということを教えてくれます。
数日前に、素晴らしい映画を試写会で観たので、そのことにも触れたくなりました。「きみが死んだあとで」(代島治彦監督)。1967年10月8日、当時の佐藤栄作首相の南ベトナム訪問を阻止しようとする学生と機動隊がぶつかったいわゆる羽田闘争で殺された、当時18歳の山﨑博昭さんが「きみ」です。山﨑さんと私は同い年。代島監督は10年年下。「もしもぼくが「団塊の世代」に生まれたとしたら、第二次世界大戦の直後1947年から49年の間に生まれたとしたら どんな人生を選んだとしたら どんな青春を選んだだろうか もしもぼくが1967年10月8日に羽田/弁天橋で死んだ18歳の若者の友だちだったとしたら どんな青春を歩んだだろうか」と問いかけます。200分、息を殺して見続けました。会場にいらした代島監督には思わず「ありがとうございました!」と言ってしまいました。何よりも「言葉」が生きている、言葉のちからを感じます。そんな時代だったのだなあ、みんな、理論も実践も、ちゃんと言葉で学び、言葉を使っていたように思えます。それは、今も糧になっています。50年以上経って、山﨑博昭さんと高校、大学で友人、同志だった人たちが語る言葉が、私が生きていた時代と完全にオーバーラップし、心に響きます。4月からユーロスペースで上映の予定ですので、ぜひ、その時代を生きた同世代の人、そしてやっぱり若い人たちに観て欲しいです。 (星野弥生)
婚外子差別事件の解決を~世田谷区役所での窓口対応から考える
1月15日世田谷区役所内で、清水地域行政部長、泉住民記録・戸籍課長と、「なくそう戸籍と婚外子差別交流会」との話し合いが行われました。参加者は交流会のメンバー、伊達さん、桜井純子区議、私(星野)も一区民として同席しました。事前に担当者に提出された趣旨は以下の通りです。
『昨年の第四回定例区議会で「婚外子差別撤廃のための戸籍法改正を国に求める意見書提出に関する請願」が趣旨採択され、区議会議長名で国に要望書が提出されました。また、2018年から昨年まで3年連続で、全国連合戸籍住民基本台帳事務協議会総会において、「出生届の摘出子・摘出でない子の記載欄の廃止、戸籍の実父母及び養父母との続柄欄の廃止」を国に要望する決議がされております。これを受け、世田谷区の行政におかれましても、同内容を本年の全連でも決議いただくよう、東京協議会(東京戸籍住民基本台帳事務協議会)及び東京都連協議会(東京都連戸籍住民基本台帳事務協議会)にご提案いただくようお願いいたします。』
伊達さんの娘さんが戸籍謄本の交付申請のために出張所窓口に行き、母親を筆頭者として申請書を出したところ、職員が「お母さんが筆頭者のわけがない」、さらに「父親の名前を書いて」と言った、婚外子を差別した事件から4年が経ちました。その経過や問題点は、伊達さんから寄せられた文章や、交流会の通信、みなさんにもお勧めしている「世田谷区窓口での 婚外子差別から考える」(2019.3.21集会記録)により、また昨年7月に世田谷で行われた集会に参加しながら把握していたつもりですが、はじめて区の担当者との話し合いの場に居合わせ、「なぜ、4年も経ってまだまだ振り出し地点にいるのか」という驚きを禁じえませんでした。なぜ、そんなに戸籍の内容確認に手間取らなくてはならないのでしょうか。 「できないだろう」が前提になっているように思えて仕方がありません。昨年3月に桜井区議が質問し、区として差別対応があったことを認める副区長の発言を引き出し、また、法務省の月間「戸籍」に「担当者が戸籍情報を見ながら質問をしていればこのようなことにならなかったかもしれないね」との一職員の言葉が載るなど、窓口での不適切な対応は明らかなのに、なぜ事前に戸籍情報を見て本人確認をする、というのがかくも難しいことなのか・・。話を聞いていても、首をかしげてしまうことばかり。二言目には、「プライバシー、情報漏洩の恐れ」が金科玉条のように語られます。戸籍の多い世田谷で、どの戸籍を発行すればいいのか、同姓同名があり得る・・・、などと、ほぼあり得ないことを持ち出してくるのは、事前に戸籍情報を確認しながら質問をするということはできない、というかたくなな区の拒絶の姿勢の表れではないでしょうか。事前確認が難しいことの理由の一つに、すべての出張所の区民窓口に端末を置くスペースがないことが挙げられましたが、そんなの今の時代にどうにでもなるでしょう、どうにかしなくてはいけない、と思いますけどね。本人確認を簡単にするために、マイナンバーカードを活用してほしい、などと、こちらが訊きもしないことがとうとうと語られたりするのにも、そんなのこっちの勝手でしょう、と思ってしまう。なにがなんでも拒む姿勢を見てしまいます。意地があるのでしょうか。法務省も「事前の本人確認を。訊いてほしくないことには答えないでいい」と月間『戸籍』で配慮しているのです。伊達さんも「事前に見るに優る方法はなかった。差別の問題は個別であり、問題が起きる可能性があることを考えてほしい」と訴えました。事前の情報がなく、窓口で訊かれれば「ないんです」と答えざるを得ません。どうも役所というのは、「標準家族」を前提として対応しているように思えます。現実にはいろんな家族の形態があります。シングルマザーは増え、かつては「欠陥家族」とされていたこともある、「規格外」の家族が一般的になりつつあります。夫婦別姓を選ぶ自由も一般化されるでしょう。
法務省の担当者は、「事前に戸籍を見てから質問することは問題なし。端末がなければ事前に送ってもらうのは問題なし」としています。法務省自体が、「傷つけてはいけない」ということを全国自治体に発信しています。この問題は、正しく「人権」の問題です。認知のない婚外子に父親の名前を訊いただけで人権上はアウト、なのです。その意味では、国の見解をしっかり守るべきだし、そういう「人権」についての研修を職員に徹底してほしいしと願います。以下の伊達さんからの当日の感想を聞くにつけ、これはなんとかしなくてはという気にさせられます。こいのちでも、ちゃんと取り組みたいですね。
【伊達さんより】
15日の話し合いのあと、がっくりとして、ものすごい疲労感でした。どうしてこんなひどい内容になるのでしょうか。
◎関係ないことを持ち出して時間を稼ぐ。
◎区独自の新しい用紙に対して、何を指摘されようと「変えない」「変える予定がない」
あまりにも、話合い、話合いに来ている私たち、私たちの伝えたいことを受け止めようとしていないことがわかり、相当なショックでした。また、桜井さんの質問に対する、副区長の答弁など何とも思わないのですね。
いろいろ告知板
★「もっと語ろう不登校」2月9日(土)リアルは人数制限ありです。 連絡先:3327-7142(ぼくんち) ズームでの希望者は招待状送付希望のメールを佐藤由美子さんまで。 Yurinoki11313@gmail.com
★優れたドキュメンタリー映画を観る会より いち早くのお知らせ!です。
3月6日(土)~3月10日(木)
「れいわ一揆」(2019年/4時間8分 原一男監督
3月11日(木)、12日(金)
「福島は語る 完全版」2018年/5時間20分 土井敏邦監督
下高井戸シネマで連日AM11:55~上映します。
○国会中継では、増える失業者、格差、貧困、贈賄、山積する問題、野党の議員からの質問に対し菅首相のなんの展望も施策もない、虚ろな答弁に対して野党議員が「今の政権では国民の命は救えないよ!!」と𠮟責するありさまでした。今回上映するドキュメンタリー映画「れいわ一揆」はそんな思いや怒りをぶつけた映画です。決して一つの党に偏ったプロパガンダ作品でなく、人間の自由と平等を尊重する民主主義を考える作品として観てほしいと、原一男監督が語っています。主人公である安富歩さんの何よりも子どものいのちを大切に考える国家であるべきというメッセージが心に響きます。
そして「福島は語る 完全版」です。短縮版に収められなかった廃校になる双葉中学校の最後の卒業式や、原発で働く人々、除染現場のことや、10年経っても決してアンダー・コントロールなど出来ていないことが解ります、この作品を観て、これからも福島にエールを送り続けたいです。80歳の女性からこんなお便りをいただきました「福島県人は半ば諦めようとしている、ならば私たち他県の者が許さない。」と、正に同感です! (飯田光代)
★「子どものいのちを守るには~虐待事件を取材して~」
こいのちから生まれた「せたがやチャイルドライン」の特別講演会。これもコロナ禍で延期されたものです。
2月6日(土)14時~16時半 Zoomで開催します。定員70名。参加費1000円
申し込みはFAX(3410-3811)またはメールchildline@otagaisama.or.jp
連絡先:世田谷チャイルドライン事務局(世田谷ボランティ協会内)5712-5101
世田谷こどもいのちのネットワークの仲間になってください。つうしん、お知らせが届き、講演会などの参加費が無料になります 年会費3000円 郵便振替口座00100-9-396998
連絡先:星野弥生 Tel&Fax 03-3427-8447 070-5554-8433 email:marzoh@gmail.com
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