ミャンマー 雄々しききみは斃(たお)れぬ、尊き自由と民主主義のために
- 2021年 3月 6日
- 評論・紹介・意見
- ミャンマー野上俊明
国連の発表では、3月4日現在、北はミッチーナから南はベイまでミャンマーの主立った都市で、街頭の反クーデタ行動に参加していた若者らが、すでに54名、国軍の忌まわしい凶弾に倒れた―死に瀕する重傷者も多いという。若者たちはみな万が一を覚悟しなければ、街頭には出られない。マンダレーで頭部を撃たれて亡くなったチャルシンさん(19)は、デモに参加する前、フェースブックに自分の血液型と電話番号を記し、自分にもしものことがあったら、臓器を提供しますと書き込んでいた。AFP通信によれば、おしゃれなチャルシンさんは、いつも自分のファッションにメッセージを託してきた。「私たちには民主主義が必要だ。ミャンマーに正義を。国民の投票結果を尊重せよ」と、黒い上着の背中に張り付けていたという。軍部独裁のもとで抑圧され分断されバラバラにされ無力化されてきた国民は、犠牲となった若者のメッセージを胸に秘め、いまようやくひとつの塊に、熱い火の塊になろうとしている。
マンダレー市、3/3に射殺されたチャルシンさんの棺のまえで。 ロイター
3/4 チャルシンさん葬送の長い列は、追悼デモとなる。この日空軍ジェット機が、
マンダレー上空を威嚇飛行したという。 AFP
ヤンゴン・ダウンタウンー治安部隊の実弾発砲に身を伏せる若者たち、しかしひるまない! ロイター
<反タマッドウ(国軍)抗議行動から市民革命へ>
武力で11月の選挙結果をくつがえし、軍政を復活させようと血の弾圧をためらわない軍事評議会。それに対する全市民の抵抗運動は、国軍の暴挙への反発から次第に犠牲をともないつつ権力をめぐる本格的な闘争へと発展しつつある。第一期スーチー政権のもとであいまいなかたちで進行していた、近代市民社会国家か軍部独裁国家かのせめぎ合いは、誰の目にもお互いにあいまいな妥協は許されない権力闘争の様相を呈してきた。
2008年動乱と今回の運動のちがいは明白であろう。前者は軍部独裁への絶望的な一揆の性格を免れなかったが、後者は市民たちの自発的な行動に支えられた、極めて秩序だった非暴力の闘争である。国民はこの10年間の経験を通じて、近代社会をつくるにはビジョンと資本と技術が、そしてなによりも統治能力が必要なことを学びつつあるのだ。逆にそのことをいちばん学んでいないのは、既得権喪失の恐怖に駆られて独裁者ネウイン伝授の暴力で一挙に問題解決しようとした愚か者の集団である国軍である。
表面の混乱に目を奪われてそこに惨状しか見ず、未来への可能性の萌芽を見逃してはならない。すでに軍事評議会の内部崩壊の兆候はあっちこっちに見てとれる。市民不服従運動(CDM)はすでに公務員だけでなく、民間企業や軍需関連企業にも及んでいて、経済は次第に機能マヒに陥りつつある。ここ数日間のメディア報道から、そのエビデンスをご紹介しよう。
マンダレーでの技術者や学生の整然たる隊列 AFP
●これまでに600人以上の警察官が市民的不服従運動(CDM)に参加(イラワジ紙 3/5)。今までにCDMに参加した公務員の最高クラスといえるヤンゴン警察署のティンミントゥン警察大佐代理(54)は、3月初めのビデオメッセージで、政府職員が立ち上げた全国的なCDMを支援するために犠牲を払わなければならないと、述べたという。若い警察官らは、「警察ではなく、人民に忠誠を誓う」とか、「警察官は軍政によって国民に対して無法行為を行うように命じられているが、軍事政権の命令に従うことはできない」とか述べているそうである。最大3年の懲役が科せられるミャンマー警察維持規律法に基づく法的措置のリスクがあるにもかかわらず、ミャンマー全土の多くの主要都市の警察官がCDMに参加している。
BBCによると、ネピドーでは、軍事政権に反旗を翻し70人以上の警察官がCDMに参加した。ミャンマー・ナウからのニュース報道によると、今週初め、カレン州のパプン郡区の約12人の軍人がCDMに参加し、カレン民族同盟(KNU)に避難したという。さらに3/4ロイター電では、インドの警察当局者は、ミャンマーの警官19人が国軍の命令に従うのを拒否して国境を越え、インドへ逃亡したと明らかにした。
集団で警察官CDMに合流へ ロイター
●外交官も集団離反か。ウ・チョーモウトン国連大使の軍クーデタへの弾劾演説は、世界を駆け巡った。イラワジ紙3/5によると、最近、軍事評議会・外務省は、米国、英国、ノルウェー、中国、日本を含む少なくとも19か国のミッションから少なくとも100人のスタッフを本国へ召喚したという。すべての外交官が召喚に応じたかどうか不明であるが、外交団が動揺していることは確かであろう。
さらに3/4ワシントンのミャンマー大使館の5人のスタッフは、市民的不服従運動(CDM)に参加しており、軍の内閣で働くことを拒否しているという。ジュネーブ国連事務局の常任事務局長を含む3人のミャンマー人スタッフも、祖国の民主主義を回復するために戦っている人々と一緒に立つと述べた。ドイツのベルリンにあるミャンマー大使館の3番目の秘書であるドゥ・チョーカラヤー(女性)は、文民政府を転覆させ、政治家と文民を不当に拘束した政権の下で働くことをもはや望んでいないと述べたという。
●myanmar now 3/3によれば、連邦司法長官事務所の副事務次官であるタンシン氏は、今までで反クーデタ運動に参加する最高位の公務員になるという。CDMは日々すそ野を広げ、中高級官僚層にまで及び始めている。
<市民革命のための対抗権力の樹立>
事実の追認がやっとの日本のジャーナリズムに比して、筆者がすぐれた分析と見識を示していると感じたドイツ公共放送「ドイッチェ・ヴェレ(DW)」の3/3の記事<Widerstand in Myanmar ruht auf mehreren Säulen「ミャンマーにおける抵抗運動は、いくつかの柱に支えられている」を紹介がてら、筆者の見解を述べてみよう。(以下「」内はDWの引用)
NLDは、国軍クーデタによって設立された国家行政評議会(SAC)をテロ組織と断罪し、11月に当選した議員を中心に連邦議会代表委員会(CRPH)を立ち上げ、「国民の合法的な代表として、国内的および国際的に自らを位置付けようとしている」。17名のメンバーからなり、2名は少数民族出身である。
反クーデタ国民運動は、このCRPH含めて三本の柱に支えられている。CRPHの次の柱は、市民的不服従運動であり、街頭行動ほど目立たないが、「それは国の行政と経済を崩壊させ、国を統治不能にする可能性があるため、軍政に最大の圧力をかける」ものとなっている。公務員に続き民間部門の労働者も参加、「トラックや電車はほとんど停滞し、銀行は閉鎖され、お金の流れは事実上停滞している」。すでに公務員100万人のうち70万人が運動に参加していると推定されるとしている。
CDMの運動は一元的に組織化されるのではなく、下からの自発的な動きを多数のフォーカス・グループがそれぞれの分野で組織し、さらにフォーカス・グループ間のあいだで調整機能を果たすセクター・ネットワークが形成され、またそれらが地方自治体レベルごとにサポート・チームによって支援されているという重層構造になっている。なかなかリアルにイメージしにくいが、フォーカス・グループとはマーケティング調査手法の1つとされている。いずれにせよ、上意下達ではなく現場からのフィードバックが効く、親亀がこけても子亀が生き残る柔軟なシステムなのであろう。
第三の柱は、「ジェネレーションZ」に象徴される若者らの街頭行動であるが、国軍はこれを暴力でねじ伏せる決断をした。最も過酷な犠牲を強いられながらも、若者たちは、88反乱の英雄ミンコーナインの影響であろう、「私たちは最後まで戦います。革命は勝たなければなりません」と異口同音に言っている。先に筆者が述べたように、2010年代の自由の歩みがZ世代を生んだのである。
最後に、NLDが国家行政評議会に対し、対抗権力の樹立もって応じたことは大きな前進であると評価したうえで、なお懸念するところを記しておく。
連邦議会委員会(CRPH)は、たんに2/1クーデタ前の原状回復をめざすものであってはならない。それは、2008年憲法の廃止を含む近代国家をめざす市民革命の母体とならなければならない。したがって反クーデタ運動の主要なアクター(学生、公務員含む勤労市民、農民ら)との恒常的な連携・同盟を形成するものでなければならない。そしてそれと同等の政治的重要度を有する問題として、少数民族組織との和解・統一の問題がある。DWの言い方でいえば、市民革命の成功のためには、第4の柱として少数民族組織との連帯と共同行動が必要なのである。
スーチー政権の弱点は、内戦終結と永久和平へ向けた政治的原則が欠けていたことである。そこにアウンサン将軍の「パンロン協定」との違いがある。断定するだけのエビデンスを持ち合わせてはいないが、アウンサン将軍の政治構想の背景には、第一次大戦後の民族自決権の大きな世界的うねりや1930年代の人民戦線(Front populaire)の政治思想の影響がある。アウンサン将軍の思考方法は、ドグマチックではなくプラグマチックであることは確かであるが、しかし学生運動の指導者として、民族主義政党タキン党やビルマ共産党の創立者の一人として、政治原則の重要性は激しい政治闘争の中で十分体得していたであろう。しかし残念ながらスーチー氏には法の支配や民主主義についての抽象的理解はあっても、少数民族問題に内在する具体的な政治思想が欠けているように思われる。
同じことはロヒンギャ問題にもいえる。人民戦線の核心が政治思想における「寛容」の問題であったように―「神を信じる者も、信じない者も」―、ロヒンギャ問題で要請されているのは「宗教的寛容」の問題である。ミャンマーの市民革命がほんとうに近代革命としての実をあげるためにどうしても克服しなければならない問題として、これらマイノリティの問題があることを強調しておきたい。市民革命には市民革命にふさわしいビジョンが必要であろう、たとえば、自由・平等・寛容・連帯といった。
※学習院大学の村主教授から、発砲し学生に命中させて喜ぶ治安部隊を写した動画のご教示いただきました。
Myanmar police jump with joy when they shoot someone and chase them during protests for freedom from military rule. : Bad_Cop_No_Donut (reddit.com)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion10616:210306〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。