国家(国民)を食いものにして肥え太る企業とその背後をうろつく「巨悪」
- 2021年 3月 10日
- カルチャー
- 合澤 清
書評:『ロッキード疑獄 角栄ヲ葬リ巨悪ヲ逃ス』春名幹男著(KADOKAWA2020)
はじめに
著者・春名幹男は、数々の栄誉ある賞に輝いた元共同通信の外信部記者で、元名古屋大学教授である。その春名が15年の歳月を費やして書き上げた渾身の労作はさすがに類書中で群を抜いている。春名は以前にも共同通信社から『秘密のファイル CIAの対日工作』という上・下本を出していて、戦後日米関係史の優れた研究者として不動の地位を得ている。彼の強みは「在米報道12年」という長期の米国滞在期間中にあって、一貫した問題意識をもち続け、さまざまな資料を漁り、関係者への直接インタビューを繰り返した、その飽くなき探求心、真摯な研究態度にあると思う。
今回のこの研究書は、これまでさまざまに語られ論じられてきた「ロッキード事件と田中角栄の逮捕」にまつわる、特に「陰謀(謀略)」論として固定化され、定説化されてきた感のある諸家の主張が、ことごとくあやふやな根拠に基づいたものでしかなかった点を暴き、新たに彼自身がフォローし、調査し、解読した資料によって、この事件の背後関係を洗い直し、戦後日本社会に巣食う更なる巨大な闇へと迫ったことにおいて大きな成果をあげていると評価したい。
もちろん、著者自身も含めて、調査や取調べに当った司法関係者が、この巨大な闇世界にいまひとつ光をあてえず、裁ききれなかったことに対して、一様に忸怩たる思いを持ち、悔やんでいることは本書の結末からも察することができる。この悪しき根を断ち切らずして、日本社会の真の再生はあり得ないであろう。このことは昨今の政治情勢を見渡すだけでも判る。
かつての料亭政治、密室政治がいまだに行われている。政・財・官の癒着、裏取引は、まるで「コソ泥」のように選挙民の眼を掠めてまかり通っている。
このような悪しき体質、弊害を、根本から断ち切るためには、その究明を研究者また司法関係者まかせにするのではなく、われわれ国民の側にも当然ながら、そのような不正を見逃さず、決して許さないしっかりした倫理的基盤を構築していく覚悟が求められねばならない。
かつての東大闘争の渦中に、安田講堂の地下から大量の極秘文書が発見された。大学当局と官憲の間の密約、裏取引(学生を監視し、権力に売り渡す卑劣なスパイ行為)を示す証拠であった。周知のように、これは全共闘によって『東大黒書』として出版され、広く世間に知られることになった。
本書が、日本社会浄化のためにこういう役割を担い、支配層の暗部を剔抉するための嚆矢となり、民衆の批判精神の涵養に大いに役立ってくれることを心から願うものである。
この著書の印象は、いかにも元新聞記者で学者(研究者)が書いただけあり、どの個所もいい加減な推測や興味本位の小説仕立てにはなっていない。あくまで綿密な追跡調査を基にしての書きかたになっている。事件の経過報告も伝聞よりも実地調査を重んじて確実な証拠を積み重ねながら歩を進めている。それだけに、全体の構成が固いようにも思えるが、しかし、あちこちで、さすが元新聞記者だけあると思える個所(今まで不明=謎と思われていたことが次々に明るみに出される)に出会える楽しみがある。
1.「ロッキード事件」の大いなる闇-「陰謀」?
本書の構成は次の三部仕立てからなる。
<第一部 追い詰められる角栄、第二部 なぜ田中を葬ったのか、第三部 巨悪の正体>
そこでまず、本書の全体にかかわる問題を二つ取りあげてイントロとしたい。
最初は、第一部の序章に書かれていることである。このことは、恐らく、この事件が世間を騒がせていた当時も大いに話題になったはずであろうが、ここに改めて思い起こす必要がある。
これはロッキード社の会計監査を担当したアーサー・ヤング会計事務所のウィリアム・フィンドレーが明らかにしたことだ。
ロッキード社の対日工作資金は合計約30億円で、その内訳は、同社「秘密代理人」児玉誉士夫に約700万ドル(当時の為替レートで約21億円)、代理店「丸紅」に約320万ドル(約9億6千万円)。田中が受け取った5億円は、この丸紅側から支払われているという。
やはり非常に奇妙である。この事件の首謀者と目されて逮捕された田中角栄(受託収賄罪)よりも4倍もの裏金を受け取っていた児玉が脱税と外国為替管理法違反という罪状だけに終わっている。児玉は1984年に死亡し、判決なしの公訴棄却となったため、彼が受け取った21億円の行方も不明のままだという。
それにしてもなぜ、こういう内訳になったのか、このことが実は第三部の「巨悪」へ迫る重要な鍵になっている。
もう一つ、これは今日に至るもしばしば語られることのある、いわゆる「陰謀説」に関してである。この書の「まえがき」に五つの「陰謀説」が挙げられている。本書の意図の一つは、これらの「陰謀説」が確実な根拠にもとづかないままに、あたかも事件の真相であるかのように語り継がれてきている点に対して、徹底調査によってその真偽を確かめる事にある。少し長い引用になるが五つの陰謀説を以下に掲げておく(ただし、引用は多少変えている)。
「陰謀説1 「誤配説」=ロッキード社の文書が、事件を最初に暴いた米国上院外交委員会多国籍企業小委員会(チャーチ小委)の事務局に誤って配達されたため、事件が発覚した。
陰謀説2 「ニクソンの陰謀」=米国のニクソン大統領は、ロッキード社製旅客機L1011トライスターの購入を田中に求め、同意した田中を嵌めた。
陰謀説3 「三木の陰謀」=三木武夫首相が政敵、田中角栄前首相の事件を強引に追求した。
陰謀説4 「資源外交説」=日本独自の資源供給ルートを確立するため、田中が積極的な『資源外交』を展開、米国の虎の尾を踏んだ。
陰謀説5 「キッシンジャーの陰謀」=田中角栄に近かった石井一元国土庁長官が、伝聞情報などを基に著書に記した。
この中で特に、陰謀説1と4が根強く流布してきた。日本で最初に陰謀説1を報じたのは、毎日新聞だった。元同紙社会部長は、文庫本として2012年に出版された『毎日新聞社会部』(河出書房新社)で「ロッキード事件はアメリカの謀略の様相は濃く、普通のスクープのようなわけにはいかない」と、「謀略」の真相解明の難しさを記している。陰謀説4は、田原総一郎の『アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄』(『中央公論』1976年7月号)が火をつけた。政治学者・新川敏光は、どの陰謀説も源泉は「田原総一郎の『アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄』」だと主張している。」
もちろん、上に引用した五つの陰謀説に関しては、本書の中で詳細に点検されている。しかし、書評という性格上、これらの問題に逐一立ち入ることは控えたい。
そしてあらかじめ注意しておいていただきたいのは、こういう大きな事件を追いかける際に、それを単に一握りの人たちの野望や驕慢のせいにしてしまって、それ以上の解明をおざなりにしてしまうという通常の幣に対してである。確かにこのやり方の方が、通俗受けがして、一般読者の興味を掻き立てるのかもしれないが、それでは事件の根底に潜み深い意味をもつものが不明になってしまうのではないかとおそれる。筆者(春名)は、このような意識を絶えず自問しながら本書を書き進めたのではないかというのが評者(私)の見立てである。
ここに登場する人物は、一見、「一癖も二癖もある相当なお歴々」であるかに思える。しかし、実際にはその時代によって作られ、時流をうまく泳いだだけの役者にすぎないことがわかる。
2.事件の時代背景
そこでまず、この事件が起きた時代背景とはどのようなものだったのかを大つかみしたい。次の引用から「ロッキード事件」の起きた背景がおおよそわかると思う。
「戦争が起きると武器の売り上げは急増するが、逆に終戦が近づくと、業績は低迷し、生き残りをかけて合併や新たな産業分野への参入を試みる。東西冷戦終結後、軍需産業は合併でしのいだ。その前の衰退期であるベトナム戦争末期、各社は旅客機開発に社運を賭けた。まさにその時期にロッキード事件が起きたのだ。…1972年、日本では田中角栄が首相に就任し、アメリカでは大統領リチャード・ニクソンが再選された。」
「ロッキード社のトライスター機とマグダネル・ダグラス社のDC10。これらの対日売り込み競争の本番は、1972年のことだ。しかし、ロッキード社はトライスターの開発が遅れており、本格的商戦への参戦にいたる道のりは、極めて険しかった。社長のコーチャンが日本へのトライスター機の売り込みをスタートさせたのは、1968年だった。訪日して、日本航空社長に会った、と回想録に記している。翌1969年にも、また日本航空と交渉したが、その後に日航はエアバス導入の方針を撤回した。このため、ロッキード社は売り込み先のターゲットを日航から全日空に転換する。
1970年、ロッキード社は西欧の旅客機市場で、トライスターのライバル、マグダネル・ダグラス社のDC10型機と受注争いを演じたが、負け続けた。KLMオランダ航空、スイス航空、スカンジナビア航空、フランス・UTA航空の四社で結成した「KSSUエアバス購入グループ」をダグラス社に取られたのが痛かった。DC10も乗客数3~400人の広胴型エアバス機。トライスターの手強い競争相手だった。再建がかかっていたロッキード社。こうなったら、「アジア最大の“大手“日本で勝つ以外に道はない」と、コーチャンは対日売り込み作戦に全力を挙げる決意を固める。」
「ロッキード事件が起きた背景には、日本経済の高度成長で航空機需要が高まったこと、さらにロッキード社の経営悪化でトライスター機販売に社運をかけていた事もあった。同時に、直接的には、コーチャンの「丸紅外し」の動きがあったからだとみていい。児玉と丸紅との競合関係も含めて、ロッキード側が丸紅との契約解除を検討していた事実は、これまであまり語られてこなかった。」
上記の事情に多少追加するとして、次の事柄を想起する必要があるだろう。
二つの「ニクソン・ショック」、つまり、1971年8月の「ドル・ショック」と72年2月21日の「ニクソンの突然の中国訪問」。それに遅れて、同年9月25日に田中が中国を訪問、日中共同声明に調印している。1973年1月27日、ベトナム戦争が終結。そして、ニクソン大統領が「ウォーターゲート事件」で辞任したのが、74年8月8日。
これらの動きを大まかなイメージで述べるなら、この時代は「戦争大国アメリカ」の凋落開始であり、その反面で「経済大国日本」の登場と「西欧の対米復興自立」、そして何よりも「台頭著しい中国」をめぐり日米のつばぜり合いが始まったこと、によって特徴づけられるように思う。
このような大きな時代のうねりの中で、それぞれの国内政治(政権をめぐる派閥、勢力争い)、企業間の競争や戦略、国際間の対立や連衡、等々が絡み合っている。そして諸個人間の駆け引きなどもこういったモザイク状況の中にはめ込まれていくのである。
ここでは、いくつかの個所をスポット的に紹介しながら全体の概要、著者が伝えたかった点などを素描してみたいと思う。
田中角栄は「カメラの前で、ロッキード事件に関して本音を正直に吐露することはなかった」「しかし、愛人(辻和子)には粗野な形で、事件に関して誰にも言わなかった本音を漏らしていた」。
角栄は1976年(昭和51)年7月27日に逮捕され、8月17日に保釈されたが、その後、愛人宅を訪れた時に「敷居をまたぐかまたがないか、という瞬間に『三木にやられた。三木にやられた』」さらに、「『おれがこんなになったのは、アメリカのほうからやられて…』と悔しそうに言いかけて、微妙な語尾は言いよどんだようだった」(辻和子『熱情』講談社+α文庫)
このあたりが「三木の陰謀」説の大きな根拠とされているのであろう。
「誤配説」に関しては、著者は実際にアメリカでの再調査を基に反証しているのであるが、これは直接本書で確認していただきたい。
「ニクソンの陰謀」「資源外交説」が拠り所としているのは、先の二度の「ニクソン・ショック」に関係することだが、1971年の日米繊維問題に関してニクソンと佐藤首相の間に対立があったといわれていること(実際にはこの繊維問題に「けり」をつけたのは、時の通産相・田中であったのだが)、また、田中が中国、ソ連、更に中東へまで出張ることで、ニクソン・キッシンジャー外交が後手になったことへの怒り、などからの推測であろう。
最後の「キッシンジャーの陰謀」に関しては、いま少し詳しく述べたいと思うが、結論からいえば、春名は初めて証拠を挙げてこの説を綿密に証明している。しかし、キッシンジャーが意図した「日米関係の見直し構想」が、「田中の切り捨て」に繋がったことは否定できないし、更に大きく、<日本の保守勢力の再編成とアメリカによる日本政府の丸呑み>(と私=評者には思えるのであるが、)に進展して行ったのではないだろうか。その過程でいろいろな人物が登場し、さまざまな役割を演じていくことになったのではないのか。
「日中国交正常化をめぐって、日本に理解を示す国務省とキッシンジャー(NSC=国家安全保障会議)は見解を異にしていた。」
「…国務省内の対立はおそらく、歴史的に繰り返されてきたことと同じパターンの可能性が大きい。米国の対日外交は『ジャパン・ハンドラー』と呼ばれる日本専門家グループと、「日米関係見直し派」の争いだったとみていい。当時の前者の中心は、前駐日大使で副長官のインガソル、後者はキッシンジャー自身。キッシンジャーらが田中角栄の名前入り文書の東京地検への引き渡しを主張し、日本専門家らと対立したとみられる。田中が逮捕されれば、自民党政権が崩壊し、次の政権が反米政権になる可能性がある、と日本専門家たちは懸念したのであろう。」
この引用からは米政権内部の路線対立、勢力争いが透いて見える。そしてもちろん、今日のわれわれは、キッシンジャーが国務長官として、米中国交回復、ベトナム戦争終結など数々の功績を立てた偉大な政治家として「ノーベル平和賞」を授与されたことも知っている。だが、キッシンジャーとはいかなる人物であったのか。
「キッシンジャーの経歴をつぶさに点検すると、全く違う顔が見えてくる。1973年にノーベル平和賞を受賞した時、ノーベル賞委員会が発表した経歴の中に、大学院生の時から学術研究と同時に米政府機関のコンサルタントをしていた事実が記載されている。1952年『心理戦略委員会(PSB)』、55年『工作調整委員会(OSB)』、59~60年統合参謀本部兵器システムグループ、61~62年国家安全保障会議(NSC)、61~68年軍備管理軍縮局(ACDA)、65~68年国務省。重要ポストながら書かれていないのは、1968年の米大統領選挙共和党予備選で、ニクソンの政敵ネルソン・ロックフェラー候補(ニューヨーク州知事)の非公式な外交顧問をしていたことだ。そして彼は翌1969年1月20日からニクソン大統領の補佐官(国家安全保障問題担当)に就任した。大学院生の時代から国務長官にいたるまで、ほぼ間断なく政府の仕事に関与していたことになる。主要な分野は、情報(インテリジェンス)と核戦略、ベトナム戦争だった。」
彼の素顔は、根っからの「情報畑の人間」ということになる。そして当時、CIAが世界中で様々な謀略工作を実行し、多くの人々を死に追いやり、多くの国を混乱状態に陥れたことは、今日では逃れようのない事実である。例えば次の引用文はその一端を示している。
「多国籍企業小委員会(チャーチ小委)の最初の公聴会が開かれたのは1973年3月。CIAの中南米工作担当部長ウィリアム・ブローや、ITTのハロルド・ジェニーン社長らを召喚して、厳しい質問を浴びせた。CIAの現役の秘密工作員が公の場で証言したのは、これが初めてだ。ブローは同月27日、非公開の聴聞会で証言、翌日にその議事録が公開された。全部で44ページのうち26ページしか公開されなかった。ブローはこの中で、CIA長官リチャード・ヘルムズから直接命令を受けて、ジェニーンらと複数回接触していたことを認めた。ブローは1960年代初め、CIA東京支局長を務め、1965年代初めに帰国して、CIA本部の中南米部門に異動する。CIAがチリで秘密工作を展開し、1973年のクーデターでアジェンデ政権打倒に関与した事実を公式に認めたのは、その翌年、74年のことだ。その時、次のCIA長官ウィリアム・コルビーは、下院軍事委員会情報小委員会で、ニクソン政権時代のCIAの秘密工作を審議する「40委員会」が70~73年の間、800万ドル(当時約24億円)以上の秘密工作費の支出を承認したと証言した。」
春名は「新自由主義」との関連には全く触れていないが、1974年の北京でのキッシンジャー・鄧小平会談には、「新自由主義」論者のドナルド・ラムズフェルドが大統領特別補佐官として同席している。本論の中でも触れたように、ベトナム戦争の収束間近、東西冷戦も治まり、アメリカの軍事関連産業は、新たな分野への開拓を迫られている。中南米やアフリカ、東南アジア、中東地域がその餌食として狙われることになる(ナオミ・クライン著『ショック・ドクトリン』などに詳しい)。ラムズフェルドがキッシンジャーの「愛弟子ぶり」を発揮して、いかに悪辣な金儲けをしてきたかを思い起こしてもらいたい。
日本と韓国は、アメリカの対共産主義圏への防壁として位置づけられ、独自軍隊の整備が要請される。さて、ここからがこの本の真骨頂が発揮される個所(第三部)になる。大筋だけ述べて、詳細はあくまでも本書の方に直接当たられることを切望する。
3.巨額なカネが動く国家(日本政府)相手の商売
ロッキード社の真の狙いは、日本政府へのP3C対潜哨戒機の売り込みである。これは、民間航空会社に売り込む「トライスター」とは比較にならない桁違いの価格である。
このための「激しい商戦の舞台裏では「インテリジェンス(情報機関)」が微妙に絡んだ人脈が力を発揮していた。」「キーマンは、実は当時の通産相、中曽根康弘だった。」
キッシンジャーと中曽根の「師弟」関係も極めて興味深い。そのため、二人による「陰謀」説も流布している。しかし、筆者は次のようなキッシンジャー本人の発言を見つけ出して、これを否定する。
「キッシンジャーは意外にも『あいつは畜生だ。彼は日本を軍国主義化する』と中曽根を厳しく批判した。キッシンジャーは中曽根を評価せず、警戒していた。」
マグダネル・ダグラス社の追い上げで窮地に立ったロッキード社のために「形勢を逆転させるよう中曽根に依頼したのは…児玉誉士夫だ。児玉は米中央情報局(CIA)の協力者だった。」
「中曽根康弘自民党幹事長は児玉に近い人物である。中曽根に言及した文書があったとしてもおかしくはない。しかし中曽根が中心的な役割を演じたことを示す文書は(アメリカ側から渡された文書には)入っていなかった。田中以外の大物高官名が入った文書を日本側に渡せば、米国にとって最も重要な『自民党政権の維持』が出来なくなる恐れがある、と判断した可能性が想定される。ただ、田中については、起訴されて、田中の政治生命が葬られることになっても構わないとキッシンジャーらが判断したとみていいだろう。」
話が佳境に入るところで、残念ながら打ち切らざるを得ない。児玉誉士夫とはどういう人物か? 彼は戦中に、いわゆる「関東軍」の下で児玉機関なる謀略組織を作り、終戦直後に帰国した時には、現在の金額で「優に兆の単位」のカネをもっていたという。
彼は、満州時代には岸信介と昵懇の仲であったこと、またふたりともA級戦犯として「巣鴨プリズン」に収容されていた事などで知られている。児玉から先、どのように巨額の現金が動いたかは未だに杳としてつかめないようだ。岸信介の影が見え隠れするが、やはりはっきりとは証拠がつかめない。
大企業は国家(国民)を食いものにして巨万の富を築く。国家(国民)相手の商売ほどウマイものはない。カネは唸るほど引き出せる。「巨悪」はその下働きにすぎない。
「巨悪」は時代によって作られる。そしてうまく時流に乗って泳ぎ、身を隠す。しかし所詮は時代に操られていることは紛れもない事実である。
「人生は歩く影法師、哀れな役者だ。束の間の舞台の上で、身振りよろしく動き回っては見るものの、出場が終われば跡形もない。」(マクベス)
2021.3.10記
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