コロナのおかげで
- 2021年 3月 31日
- 評論・紹介・意見
- 小原 紘新型コロナウィルス読書
韓国通信NO664
コロナの「おかげ」とは不適切な表現かも知れない。全世界の死者がすでに300万人を超し、この先何人が犠牲になるかわからない。明日はわが身にふりかかるかも知れないコロナはいわば疫病神。恐怖感と不安で過ごした一年間だった。おかげさまと感謝するようなものではないのだが。
すべてコロナのせいにして、心がパサパサに乾いている自分を見つけた。死の恐怖と生きることへの不安が心から離れなくなっていた。茨木のり子の詩、「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」が胸にこたえた。
さらに彼女の「さくら」という詩が私の心に止めを刺す。
さくらふぶきの下を
ふ ら ら と歩けば
一瞬
名僧のごとくに わかるのです
死こそ常態
生は いとしき蜃気楼と
迷走していた気持ちが少し落ち着いた。死こそ常態という境地からは程遠いが、蜃気楼のように生きることも悪くないと思った。それでいて生きることはいとおしいものなのだ。
「禍を転じて福と為す」「禍福はあざなえる縄の如しと」ともいう。
コロナでゆとりを失いながら、10年前の原発事故に思いを馳せて出した結論は、悟りとは程遠い俗人の生き方だ。自分自身をありのままに生きるしかない。笑われるのを覚悟して最近の生活を綴った。
<Go Toトラベルから始まった>
昨年10月、友人夫妻と茨城県の鵜の岬へ2泊3日の旅行に出かけた。頼んだわけではないのに旅行代金が割引され、金券までをもらった。評判の悪い「Go Toトラベル」のおかげである。金券で高価なウォーキング用のストックを2組買った。
「胸を張り視線は前方15メートル先」と、ポールウォーキング講習会で指導をうけ、ちょっとオシャレをして歩き回るようになってから4か月になる。放射能で汚染された手賀沼はこれまで敬遠してきたが、最近はその魅力に取りつかれ週に2、3回は訪れるようになった。ウォーキングは柏、茨城県の守谷、牛久沼まで足を延ばすまでになったが、ホームグランドはあくまでも手賀沼周辺である。
ウォーキングを始めた秋から冬へ、今は百花繚乱、桜が満開の時期を迎えた。植物の小さな変化にも気づかされ、鳥たちの姿を追い求める毎日である。ムクドリ、セキレイ、ヒヨドリ、ホオジロ、カモ、カモメ、オオバンを友として歩く。行けば白鳥の姿を見ない日はない。
一度見ただけで心を奪われたカワセミを探しては木を見上げ、葦原に耳と目をこらす。
妻はもっぱら鳥や植物に関心を向けるが、私は人と話をするのが好きだ。コロナに負けず歩く孤独な人たちとの出会い。誰とも懐かしく自然に話しができるのがうれしい。
ウソの塊みたいな政治家と官僚たちのかわりに、打算のない純な人たちに出会えるなんてコロナのおかげだ。声をかけて立ち話、微笑んで別れる。私の中で失われたものが蘇る。
10年以上通っていたスポーツクラブをやめた。こんなに自然が豊かな町に住みながらジムに通う人間の気が知れないとつぶやいた友人を思い出す。援農ボランティアの中心メンバーで3年前に亡くなった。コロナで相次ぐ脱会者に辻褄をあわせるかのようにスダジオレッスンとスタッフが削減された。資本主義的な健康づくりに不純さを感じた。これもコロナのおかげだ。スポーツクラブで知り合った友人との別れは少し寂しい気もするが。
<おかげで時間ができた。おかげでテレビが…>
NHKの連ドラ、8時15分から韓国のドラマを必ず見る毎日。コマーシャルの間、朝日のモーニングショーに切り替えるという二刀流。ドラマ「世界で一番可愛い私の娘」は三人の娘と母親の愛情物語。韓民族らしい母と子の情に圧倒された。
ドラマと言えば、昨年秋から5か月かけて『ソウル1945』71巻を見たのも収穫だった。植民地時代から解放、朝鮮戦争戦のなかで翻弄された家族と友人を描いた。韓半島の分断との現実を根源から問うた作品は韓国で2006年に放映された話題作。
NHKの正午と夜7時のニュースとTBSのニュース23を聞き比べるのが日課となった。土曜夕方の「報道特集」と日曜の「サンデーモーニング」も欠かさない。NHKの報道がいかに「客観報道」を隠れ蓑にした官製報道ということがわかる。このまま報道を垂れ流し続ければ行き着く先はどこかまるで分っていない。
中国を擁護する気持ちは全くないが、バイデン米政権の中国に対する「人権」「軍備増強」批判のシリ馬に乗り、米中戦争必至というシナリオのお先棒をNHKが担いでいるように見える。他国を批判する資格のない国が大義を振りかざし戦争をしてきた歴史を繰り返してはならない。核戦争になれば日本は消滅する。核兵器禁止条約に背を向けた米・中・北朝鮮・日・韓を話し合いのテーブルに着かせる冷静さが求められている。国内の矛盾に目をそらすためにコロナ不安に乗じて国際緊張を高めようとする意図が見える。日本最大の知性集団であるNHKに頑張って欲しい。
国会中継をじっくり見るようになった。興味を削がれる与党側の質問は不要だ。与党の中で議論すればいい。山積する問題を限られた時間内で追及する野党に同情するが、多数与党は「糠に釘」、実質答弁拒否が続いている。国会の機能を回復させるには選挙で自公を大敗させるしかない。国会中継を注視しよう。テレビ中継のない委員会はひどいもの。河野太郎がふんぞり返って共産党の議員に横柄に答えている録画を見たことがある。
<おかげで読書が…>
読書漬けの毎日だ。「ながら」族のクセが抜けずラジオはつけっぱなし。何冊もの本を併読しているのでやや混乱名気味なうえ、次から次へと読みたい本が現れる。
『親鸞』三田誠広著 歴史小説である。2016年に読んだものを再読中。彼には空海、日蓮を扱った小説もある。仏事は法事以外に縁はないが、仏教の形成史の物語は日本を知る、自分を知るうえで興味は尽きない。南無阿弥陀仏、「善人なおもて 往生を 遂ぐ 況や悪人を や」の深奥に迫りたい。流し読みはできない。
『水滸伝』北方謙三著 中国の古典を小説化した大衆小説の「力作」。以前から梁山泊に憧れていた。108人の輝く星のような英雄たちが宋時代末期の革命を目指す物語。かつて私が所属した労働組合も100人足らず。少数でも情熱と能力を傾ければ腐った会社を打ち負かすことができるはずと組合を梁山泊に重ねた。1970年代は闘う少数者たちが壮んに抗った時代だった。ゴミ捨て場から拾って読み始めた。21冊のうち11冊目に入った。久しぶりに革命のロマンに心は踊る。
『わが身に刻まれた八月』 日帝強占強制動員真相究明委員会編 広島・長崎に強制動員され原爆を被災し生き残った韓国人20人の証言が翻訳出版された。600ページに及ぶ資料集のうち、私が広島の三菱重工で働かされた洪順義さん(87)の証言の翻訳を担当した。従軍慰安婦と同様に強制徴用された正確な人数はいまだにはっきりしない。「すべて解決ずみ」と云うにはあまりにもズサンな徴用と実態が次々と明らかになる。方言交じりの文章の翻訳に苦労した、歴史に刻まれた貴重な文献である。購読を希望される方は、カンパとして千円。ゆうちょ 銀行 振替口座 00930-9-297182/ 加入者名は真相究明ネット/ 通信欄に 「カンパ・我が身に刻まれた八月」、振り込み人の住所氏名を記入のうえ申し込んで欲しい。
『韓日逆転』イ・ミョンチャン著 『水滸伝』の登場人物は約200人。名前が覚えられず苦労しているが、こちらの解読はわからない単語続出で悪戦苦闘。
最近の嫌韓ヘイトは日本の政治と経済の行き詰まりを反映しているという著者の指摘は厳しく的を射たものだ。選抜高校野球大会で初戦を勝ち抜いた京都国際学園の校歌が韓国語だったのにはビックリした。韓国系の学校だから校歌が韓国語でも驚くことはないが、それより全校生徒130人ばかりのミニ高校が強豪の多い京都の代表に選ばれたことのほうが断然興味をひく。SNSでは韓国系の高校の甲子園出場に嫌韓の渦。二回戦以降の活躍ぶりと反響が楽しみだ。
2006年1月、強豪国見高校を破りベスト8に勝ち進んだ大阪朝鮮高校のサッカー応援に出かけたことがある。準決勝のPK戦で敗れ、惜しくも国立競技場行きは果たせなかったが市原のサッカー場は大いに盛り上がった。あの頃と比べるとわが国の社会の雰囲気はずいぶんと様変わりした。
只今、翻訳中『金薬局の娘たち』朴景利著
『人新世の「資本論」』斎藤幸平著、『コロナ後の世界を生きる』村上洋一郎編も出番待ち。
オリンピックの聖火リレーが始まった。安倍から菅へのリレーの行く末に何が待ち構えているのか。中止となった1940年のオリンピックは紀元2600年祭と合わせ国威発揚を狙ったが、日中戦争泥沼化、翌年真珠湾攻撃へと続いた。コロナの感染拡大が止まらない。
初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
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〔opinion10696:210331〕
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