こいのち通信 2021年3月 (世田谷こどもいのちのネットワーク通信)
- 2021年 4月 8日
- 交流の広場
3月号と称して、4月に届く、ってなんか詐欺みたいですけれど、3月のことを伝えたい気持ちをどうぞ汲んでください。そう、私たちの予定とか都合は関係なく時が勝手に過ぎてしまうのです、と実感しています。待て!といっても、3月は去ってしまいます。どの月もそうかもしれませんが、3月はやはりいろんなことがある月です。いえ、私が3月生まれ(弥生ですから)というのはさておいて、3月3日のひな祭りには毎年恒例の、トウの立った女子たちのお寿司パーティをやったりしていたら、すぐに3.11です。10周年、とこの時ばかりはマスコミも騒いでいましたが、いったい10年でなにがどうなったのだろうか、と。10年経って、一年遅れたとはいえ、復興の証のためのオリンピックを何が何でもやる、というのが10周年なんでしょうか。だいたいが、原発はアンダーコントロールという、大いなるウソから始まったオリンピック。復興どころか、ますます問題が深刻化している福島から聖火リレーを開始して、世界に「福島は問題ない!」と宣言したかったのでしょうが、世界はそれどころではないですね。コロナ、放射能・・・。政府が観客を入れない、といったところで、もともと誰もがそんなところを訪れたくはないですよね。8割の人たちが、オリンピックは止めた方がいい、と思っているのに、聖火リレーの日程にあわせて、非常事態宣言を解除する、というのもミエミエの対応。また、今月もそんなことを怒ったり、つぶやいたりして、情けないです。
でも、私たちの3.11、世田谷では、下高井戸シネマで11,12日と二日間限定で、土井敏邦監督の「福島は語る」の完全バージョン、5時間20分の上映会が開催されました。これが一番正しい3.11の過ごし方、と思ってしまうほど、すごかったです! もちろん、2時間半の短縮バージョン(それだって十分に長い)は観ていましたが、2回の休憩を挟んでの長丁場、満員の会場、誰一人退出することなく、息を殺してインタビューに応える人たちの言葉に聴き入りました。すごい! 土井さん、ありがとう!上映にこぎつけた飯田さん、ありがとう!言葉がちからを失い、言葉が劣化している今の時代(政治の場面を見れば、悲しいかな、そうとしか言えないですね)、こんなにも言葉が、それを聴く人の心に訴えるちからを持つのだと感じたことはそうそうありません。声高に、原発反対!を唱えるのではなく、一人ひとりが大切にしてきた、家族、仕事、田畑、環境、人間関係・・・、すべてが失われてしまう、そのことを、自分の身に置き換えてみたらどうなんだろう、と想像してみなくてはならないでしょう。難しいことではありますが、本当の意味での共感というのはそこなんだろうな、とあらためて思い知らされました。この上映に先立って、その前の5日間、同じコマで上映された「れいわ一揆」もすごかった!これも、「言葉」の映画です。れいわ新選組の候補者は多種多様。「多様性」とは流行り言葉でもありますが、だいたいが言葉だけ。れいわの人たちの多様っぷりといったらすごい。多様を実践しています。そこから障害を持った二人が当選する、という前代未聞の結果にもなったわけですけれど。この映画は、政党をヨイショする映画ではまったくなく、今、政治の場に失われているものをしっかりと描いていると思えます。選挙戦での意味のない決り文句、名前の連呼・・。それを排した、自分の有り様を言葉で訴えることのインパクト、それでなくては、と改めて思いました。選挙にかかわらず、しっかり「言葉」で伝えることが、ますます失くなってきていても、本当にそこなんだ、と思います。「こいのち」というごくちっちゃなメディアでは、それをこころしていきたいです。この二本の映画を観たことの衝撃がまだまだ新鮮なので、ついつい筆が走ってしまいましたが、仕掛け人の飯田さんのコメントがありますので、そちらをお読みください。
上映会では、飯田さんが「ふくしまっこ」や「こいのち」へのカンパを呼びかけてくださり、会場でのカンパが54,139円にもなりました。今運営が厳しい状況にある羽根木プレーパークとこいのちへということで、24,139円をこいのちでいただきました。また、「福島の子どもたちとともに世田谷の会」には、会場での50,118円のカンパ、常設のカンパ箱の中から109,276円、計約15万円をいただきました。土井さんの映画への感動がこのような形で示されたこと、本当に嬉しいです。
終わってしまう3月になんだか物足りない感がつきまとうのは、いつも桜の頃に実施している「ふくしまっこリフレッシュin世田谷」が、今春も果たせなかったからでしょう。春、冬、また春、と福島のこどもたち、家族たちと会えなくなって一年以上。砧公園で素晴らしく咲き誇る桜をみるにつけ、ここで手作りランチを食べながら、子どもたちが元気に縄跳びしたり、サッカーボールを蹴ったりしていた風景が懐かしく思い出されます。次こそは、と祈って、やっぱり無理でした。次の冬に期します。いつも福島の家族を温かく受け入れてくれる場所だった「ふじみ荘」も、3月31日で閉鎖となります。なんとも残念で、先日ラスト・チャンス、とランチを食べ(驚くほど安い!)、職員の方々にお礼を言ってきました。まだまだ十分に使える施設、そういうところは大切にしたいですね。高齢者のための施設を、今度はさまざまな世代の交流の場、居場所として使えないものだろうか、と「区の共有財産」の視点で考えていってほしいと願います。
年度とか学年とかあまりカンケイない「こいのち」ですが、4月には久々の学習会を企画しました。前号でちらっと予告しましたが、GIGAとかICTとか、横文字になかなかついていけない人たちもいる私たちの会(私がそうです・・・)ぜひ、わかりやすく解いていただきたく、イナセンの同僚でもあった、その道のプロパーである坂井岳志さんにお話いただく予定です。4月30日の夜7時から、こいのちでは前代未聞!Zoomでの学習会です。オンラインはちょっと引いてしまう、という向きへの対応も考えます。夜、出かけないで済む、遠く離れていても同席できる、というのは大きなメリット。ぜひ、ご参加ください。保坂展人区長も参加を予定していてくれています。坂井先生からの「いざない」のイントロを載せさせていただきます。それと、前回は紙面の都合上乗せられなかった、お待ちかね!イナセン原稿の第二弾も。「教育」は、子ども・いのちにとっては大きな問題です。紙面で、オンラインで、いろいろ議論の場が広がることを期待しています。 (星野弥生)
GIGAスクール構想とはなにか?
今回の新型コロナで一挙に進めることになった、ひとり一台のタブレット。2023年完了予定だった「GIGAスクール構想」。そして同時に整備されたクラウドに接続できるネットワーク環境。これはいったい何を目指し、何を教育にもたらそうとしているのだろうか。
<世界の中の日本の状況とこれからの方向>
現在、世界の主要国においてデジタルの活用が最も遅れている日本。その危機感からなんとか世界に追いつこうとしているのが現状かと思われる。新型コロナへの対応でもそうだけれど、報告ひとつ出すのにFAXで対応している日本の現状。教育においても、学習にデジタル機器が活用される率はOECD加盟国中、最も遅れている。また学校でのデジタル機器の活用も最下位の状態が続いている。
明治以降の義務教育は、基本的に教化教育の形で行われ、正しいということを教え込む授業が学校で行われてきた。教員は教科書を正確に記憶させ、しつけと称して学習者の主体性や創造性を失わせてきた。そこから生まれてくる人材は、大量生産の社会でのより良き実践者であり、上司の命令を忠実に実行するパーツのひとつとして効率的に育てられてきた。優秀な再生産人材、命令に忠実に従う日本人が大量に育てられてきたのだ。
今回のGIGAスクール構想は、大量生産をする国が他国に移行し、そこでは生き残ることのできなくなった経済界の危機感も影響している。現状を変革するアイディアに満ちたイノベイティブな人材が求められている。世界の中で生き残るための時間はもう残されてはいない。
<GIGAスクール構想の課題>
私は、学びそのものは、本来学習者にその選択の権利があるべきだと考えている。学習者の周辺の保護者や学校、社会もその内容に責任があるが、最終決定権は学習者そのものにある。自己決定権は自律した人間にとって最も大切にすべきことかと考える。学びは学んでいるものに任せてほしいと思っている。それが、必要以上の校則での縛り付けや理不尽な児童生徒に対する支配的な関わり、自律を妨げる教員や保護者の過剰な関与等を無くしていく力になっていくと考えている。課題だと考えているものを整理してみよう。
①ひとり一台になっても、それを使うか使わないかは児童の判断ではなく教員が決めている。
②学びのあり方の決定権は児童生徒自身が持つべきではないか。
③PBL(課題解決学習)や探究型学習は時間がかかり、子ども自身の意欲関心によってもサポートが必要になることも多い。その時、児童数に対する教員数が少なく十分な支援ができない。
③今まで体験したことのない教員が授業方法を変えることは容易ではない。
④ゲームに使うことに偏っている日本の児童生徒の現状から、創造的に学習に活用する姿勢を育てる流れを学校のみならず、自宅においても作り上げていく必要がある。
⑤教員のみならず、保護者や地域もまた自ら学んだ教育パターンから逃れられない。
⑥生活指導的観点から、使用時の約束を教員側が作って過剰規制をしてしまうことが多い。
⑦行政側と学校側、児童側との信頼関係がないため、セキュリティを勝手に決めて学校に押し付けてくることが多い。学校、教員側に選択権がない自治体が多い。
⑧デジタルシティズンシップという観点から情報に関わる姿勢を育てる過程が大切。
皆さんはこのような状況の中でGIGAスクール構想の何が課題だと思っておられますか?
(世田谷区立八幡小学校 墨田区立八広小学校 坂井 岳志)
小学校現場から公教育の再生を考える その2
つい先日まで、若い教員は社会について何も考えないし、知らない。そういう思っていた。今のオレは、昔も今も考えている人間の割合は同じではないか、劣悪な状況にあればあるほど、考えている人間は増え、考えも深まるのではないか、そう思うようになった。これは、久しぶりに学校現場に戻ってみてのオレの素朴な感覚である。コロナ禍で学校も大きく変わろうとしている。終わろうとしていた学校にも再生のチャンスが訪れたのではないか。いや、チャンスにしたい。
無形文化財のオレの言っていることはため息に近いが、新しい公教育の再生に向けての方策を提起する。再生を考えるのに必要な観点は「「もっと学校をシンプルにせよ。」「ゆったりとした時間・空間に。」「教員の教育の自由、学問の自由を取り戻せ」ということに尽きる。
《45分授業から40分授業へ・午後はゆったりと過ごす時間に》
オレが勤務を始めた1977年頃は東京だけが40分授業を行っていた。昼の給食だって、12時に始められた。6年生だって遅くても14時半に授業終了。放課後、教室で担任とおしゃべりしたり、友達と校庭で遊んだりする時間の余裕があった。
今の子どもたちを長々と学校に拘束する必要はない。地域の中で子ども同士で過ごす時間を取り戻せないものか。教員にも本当の本務の授業の準備に専念する時間を何としても作り出さねばならない。それをずっと削ってきたことが、現場の教育活動の停滞を生んだのだと思う。
《教員の研究の自由をとりもどせ・自由な発想が教育を豊かにする》
昔の話を敢えてする。夏休みは楽しみだった。夏のボーナスを貰って神田に古本を買いに行くのが楽しみだった。好きな研究会に行って昔の仲間に会うのが楽しかった。インドに連続28日間旅をして8月31日に帰国して頭が切り替わらなかったり、旅先からクラス全員の子どもにハガキを送ったりした。旅をもとに授業を組み立てたりした。ほぼ一か月間、日本近代教育史、特に森有礼研究に没頭して昼夜逆転した。夏休みは、教員が研究者になれる唯一の時間である。
ところが、教員の研修権が奪われる。石原都政の頃だと思う。はじめは民間の研究団体の研修に参加するのなら、計画書を出せ。研修後は報告書を出せ。それも作るのには数日間かかる報告書であった。そして夏休みの自由な研修は認められなくなり、教育委員会主催のものだけが研修とみなされる。民間の研究団体の研修に参加するのも全部休暇で行けとなる。夏休みは原則学校勤務。年ごとに校内研修や会議の日が増え、夏のくそ暑いのに学校に留め置かれる状況になって今に至る。教員を学校に閉じ込めておいて、教員を「世間知らず」と言うな。「見方が狭い」と言うな。
とにかく体制側としては「教育の自由」を潰したかったのである。統制したかったのである。研修で学ぶことが重要なのではない。研修に行って恭順の意を示すことが重要なのである。文部省主催の研修会には選ばれたエリート?たちが行く。夏は冷房もない中、ネクタイをして講習に臨む。講師が受講生の汗に気づき「皆さんネクタイをお取りください」と言われてから取る。それを嬉々として述べる人がいた。自分はエリートだと誇示したかったのだろう。
この態度は卑屈ではないか。臣民ではないか。自由な個人、市民ではない。こういう状況では創造的な研究や授業が生まれるわけがない。教員の研修がそういう狭いものになってしまった。今の考えている現役世代の教員も、研修とはそういうものだと思い、本当の自分を隠す。それが「教育の自由」を終わらせる。では、その潰したかった「教育の自由」はひどいものだったのか。次回は理科から考えてみようと思う。(続く) 稲野茂正・イナセン(小学校非常勤教員)
優れたドキュメンタリー映画を観る会大盛況でした!
「福島は語る 完全版」を、東日本大震災・原発事故から10年目の3.11に下高井戸シネマの協力を得て上映することが出来ました。5時間20分の長尺作品であることに加えてコロナ緊急事態宣言延長と大きなハードルがある中、世田谷ならではのネットワークと人と人とのつながりこそが活動の原点であると、改めて思い知らされる日々でした。
そして・・・、協力して下さった皆さんの力で当日はなんとほぼ満席! 手伝ってくれた「こいのち」のメンバーから嬉しい悲鳴が上がりました。3.11には星野弥生さんが「神戸わすれない」でいつも販売していた神戸長田神社前商店街の「きねやさん」から福島への励ましのメッセージと共に神社のおみくじ付きどら焼きが届き、福島っ子リフレッシュに50,118円ものカンパが集まり、会場から福島へ熱いエールを送ることが出来ました。
また、期間中に上映した「れいわ一揆」もたくさんの方々が鑑賞して下さり、映画出演者たちの「この国の政治」に対する不信、不安、怒りに共感し、何よりも“子どもを大切にする国”であるべき、というメッセージに心からの共感が多数寄せられました。安冨歩さんが言っていた「政治にも選挙にも無関心」、そんな「無関心」こそが今の政治を肯定する大きな力になることを、多くの人に知って欲しい。選挙前にこの二作品を上映できたことは有意義であったと思います。「れいわ一揆」上映後、雑居まつりやボロ市がコロナで中止になったため活動資金が逼迫している「羽根木プレーパーク」および「世田谷こどもいのちのネットワーク」のために54,139円のカンパを集めることが出来ました。コロナ禍の只中、上映へのご協力そしてご鑑賞、本当に有難うございました。
(優れたドキュメンタリー映画を観る会 飯田光代)
いろいろ告知板
★こいのち学習会
「GIGAスクール構想の目指すものと課題」 講師:坂井岳志さん
4月30日 7時~ Zoomでの会になります。参加ご希望の方は、メールで星野弥生まで連絡ください。【marzoh@gmail.com】 Zoomはちょっと、という方もぜひ参加してください。
詳細は次号にてお知らせするつもりですが、予定しておいてくださいね。
★「もっと語ろう不登校 part.255」 リモート+!
4月10日(土) 2pm~ フリースクール僕んち or ZOOM参加
世田谷区代田4-32-17 Tel090-3905-8124(タカハシ)参加費:300円
ZOOM参加希望の方は、前日までに以下に、メールを。
高橋:fsbttoru@yahoo.co.jp 佐藤:yurinoki11513@gmail.com
招待状を、メール返信でお送りしますので、簡単に参加できます。
★「人間の生と性を学ぶ会」5月15 日(土)13時半~16時半 経堂地区会館第三会議室
「3万人の大学生が学んだ 恋愛で一番大切な“性”のはなし」(村瀬幸浩著 KADOKAWA12)を読み、また性暴力の問題などに関して、自由な話し合いをします。はじめての方も何でも話せる場、村瀬幸浩先生のお話もとても興味深いですよ。 (星野弥生)
★星野弥生の気功教室:毎月第二、第四金曜5時半~7時20分(経堂)、毎月第二、第四日曜日の10時~12時(代々木公園)などでの、誰でもできる気功です。よかったら元気になりに来て下さい。コロナには、まず免疫力をつけることが一番。詳しくはインターネットで「気功学習室」をごらんください。(問合せ 070-5554-8433 星野弥生)*4月10日の代々木公園はお休みです。
★お便りから
◎愛知県西尾市東幡豆で「TV PCのない世界で生きている」大嶽昇一さんの手書きの近況報告から
・新型コロナについて見通しがつくまであと一年半?・ワクチンは今は駄目 それよりも体力作り、一日5千歩歩こう。・何があっても施設に入ってはいけない。
2021年年度に向けて(A)自然農園で、心も体も自然も太陽の光の恩恵を受ける (B)笑顔いっぱい、感謝の気持ちを持ってコミュニティーづくりを (C)コツコツと積み重ねる、どんなことも (D)今年も続けていくこと ①新聞の切り抜き②基礎英語ラジオ講座3 ③農作業 ④食事会 ⑤毎月19日、9条を守れ”西尾駅頭街宣 ⑥現物宅急便送付 ⑦11月労働者集会参加
【教師を長らく務められた大嶽さんの農作業の毎日。眩しいですねえ。お野菜、食べてみたいな。お元気で!】
※ 世田谷こどもいのちのネットワークの仲間になってください。つうしん、お知らせが届き、講演会などの参加費が無料になります
年会費3000円 郵便振替口座00100-9-396998
連絡先:星野弥生 Tel&Fax 03-3427-8447 070-5554-8433 email:marzoh@gmail.com
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