テント日誌5月6日版
- 2021年 5月 10日
- 交流の広場
- 経産省前テントひろば
経産省前テントひろば1807日後
最近は色々の人がこの場所でアピールをしている 4月30日(金)
今日の日差しはもう初夏のようで、パラソルなしでは暑くてかなわない。街を行く人の中には半袖の人もいたくらいだ。経産省前に着くと高級自転車の君もいてセッティングを手伝っていた。 緊急事態宣言が出ているので、人の出は多くない。今日を休めば1週間の連休で気分も晴れ晴れとしたものになるはずだが、今年はコロナ禍で気分もどんよりとしている。そんな中、術後、暫く自宅で静養中だったMaさんが今日から戦線に復帰。明るい話題となった。
最近はいろいろな人々がこの場所でアピールをしている。 今週も若者たちは立っていない。若者たちの訴える力に期待していたがどうしてしまったのだろうか。 僕らが座り込みをする前から、大きなプラカードを持った2人が立っている。全経済産業省労働組合とあった。春闘の行動の一環なのだろうか?
Hoさんがやってきたが通り過ぎて行った。どうしたのだろうと話をしていたのだが暫くしたら戻ってきた。昼食のお弁当を購入しようと空いているお店を探していたらしい。しかし、コンビニも店を閉めているようで、今日は昼食抜きだと言っている。今回の緊急事態宣言もいろいろなところに影響を与えている。しかし、菅政権や都知事の小池百合子もが本気になってコロナを終息させる気があるのかどうか疑問である。彼らの頭の中はオリンピックでいっぱいなようである。吉良よし子サポーターの2人もやってきて椅子に座りきれないほどであった。
3時過ぎに電話が鳴って出てみると、Oさんだった。3時からの渕上太郎氏の遺稿集販売会議を始めるからすぐ事務所に来るようにと言う内容だった。すっかり忘れていた。後半のKさんも来ていたので急ぎ事務所に向かった。4時半過ぎまで会議をし、再び経産省前に戻った。 (S・S)
嘘と金と権力で老朽原発再稼働の「地元合意」糾弾 4月30日(金)
4時頃からチラシ配り、2人で30組ほどを配った。
5時から、福井県知事の老朽原発再稼働「地元合意」と「エネルギー基本計画」策定会議のひどさ、東電と漁協との約束を破っての放射能汚染水海洋放出を追及、などのアピールとコールで抗議行動を開始。
渕上太郎さんが関電本店前でテント設置のいきさつを話した記録音声をOgさんが披露、皆で聴き入り、放射能汚染水の院内ヒアリング集会や公聴会を思い起こした。「遺稿集」の販促にも。韓国のテレビ局の取材が入り、「汚染水を海に流すな」「これ以上、海を汚すな」のコールや「水に流すな」の歌(詩:笠木透、曲:佐藤せいこう)の歌が続いた。Yaさん他次々に参加者が取材を受けた。韓国でどのように報道されるか興味深い。
常連さんの発言が続く中で、新型コロナの感染者が増え緊急事態が続く中で、オリンピックを中止するべきとのアピールも。最後に、オリンピックを中止しろ、エネルギー基本計画に原発ゼロを書き込め、汚染水を海に流すな、老朽原発うごかすな、核のゴミ増やすな、…のコールで抗議行動を終えた。老体に鞭打っての片付け後に、5人程で手製の梅酒や差入の紹興酒を頂いて雑談。反原発の闘いへの英気を養った。 (K.M)
今日はメーデー、東部労組の人たちが官邸前に 5月1日(土)
今日はメーデー、東部労組の人達が官邸前でのメーデーアピールのため経産省前に集合した。土曜日にこれだけ大勢の人が集まるのは極めて稀で少し面食らった。労組の人達が官邸前に出発するといつもの土曜日。と思いきや、奥様、娘さん、愛犬と一緒に散歩中の若い男性からカンパを頂いた。
〇もう都庁に来ないで
くだらないキャッチコピー、他人事のようなコメント、現実ばなれした要請の連発。責任回避の布石に辟易です。
〇超能力者を抜擢したのは誰?
「くっきりとした姿が浮かんできたわけではない。おぼろげながら浮かんできた。46という数字が」。マイスプーン・ユリ・ゲラの次はこれか。間に合っています。視聴率は取れても支持率はどうかな(?)(O・O)
天気はくるくる変わり対応が大変だった 5月2日(日)
今日は参加者計13名で、これから常連さんになってくれそうな方も増えたし、賑やかでとてもいい日でした。
しかしお天気はめちゃめちゃで、曇り→快晴→曇り→大粒の雨→晴れ→曇り→雨とあられ→晴れ→曇→と小刻みに変わり、もうびっくり。事務所に荷物を運び込むや否やまた大粒の雨。日差しよけに持って出たパラソルが雨よけに大変役立ちました。政治がめちゃくちゃだと天気もめちゃくちゃになるんだ、とはT久さんの言。
ツイートも見てくださいね!
ケロップ(@keroppu8649)さんがツイートしました: 経産省前テントひろば(脱原発365日座り込み)
5月2日(日) 曇りのち快晴ところによりどしゃ降りの雨(?!?) 今日は新宿でも集まりがあるそうで、こちらから出かける人もいます。晴れてよかったね! https://t.co/LWJqboNUq9 https://twitter.com/keroppu8649/status/1388702456582860806?s=20
今日は国会正門前集会もあり、座りこみも賑やか 5月3日(月)
きょうは5月3日で、かつ憲法記念日なので澤地さんが呼び掛けた「アベー今はスガー政治を許さない」集会が午後1時、総行動の集会が1時半から行われるのでテントひろば関係者も多く立ち寄ってくれたので賑やかな座り込みになった。
今日は休日なので、昔テントが建っていた場所を座り込み場所にしたので集会の行き帰りに多くの人が立ち寄ってくれてカンパをしてくれた。こちらが渡せるのはニュースしかないので、2週間に1度、発行しているので通ったときに寄ってくださいと言ってニュースセットを渡した。
国会前の集会に参加した人の話ではかなりの人が参加していたという事を聞いて良かったと思った。集会は2時半頃に終ったようでテントひろば関係者も大勢立ち寄ってくれて暫く歓談していたので終わりが予定より遅くなった。片付けは皆さん手伝ってくれたので手早く終わることが出来た。(保)
なかなか気持ちいかない憲法記念日だが 5月3日(月)
五月晴れという言葉がある。どこか懐かしい感じのする言葉である。コロナ禍で天候などに気を向ける余裕がないのか、激しい気候の動きがそんな言葉を遠ざけているのかもしれない。かつてメーデーや憲法記念日がある5月の初めは爽やかな気持ちのする日が多かった記憶がある。五月晴れという言葉が浮かんできた時の記憶がどこかに残っているためかも知れない。だから、憲法記念日にはこの言葉がどこかついて回っていた。
憲法帰任日は五月晴れのように爽やかな気分をもたらしてくれるものではなかった。この時期は世にいうゴールデン・ウイークであり、こんな時になぜ、憲法記念日が挟まれているのか、疑念に思ったこともある。国家権力というか政府筋では憲法(現憲法)を厄介者扱いにしていることがある。要するに疎まれているのである。国民(市民)的な立場にある人にとっても憲法は親しいものであるわけでもなかった。市民的立場にある人々のなかでも左派に位置する人にとって憲法は体制の法であるという意識があって疎んじるところが伝統としてあったのだ。
戦後世界の中で憲法はどこか厄介者扱いされることが続いてきたし、その意味で憲法記念日は祝日ではあるけれども祝されてはこなかった。ただ、憲法記念日が憲法について考える契機になってきたことは疑いない。このテント日誌はもう十年を迎えるのであるが、僕は憲法記念日には憲法について僕の考えていることを書いてきた。振り返って読み直してはいないが、憲法について長年に渡って考察し続けてきたことの一端を公表してきた。その続きという事になるが、今、考えていることの一端をあらわしておきたい。
僕は先のところで政府、あるいは国家権力の担当者には憲法は厄介者扱いされてきたと書いた。これには注釈がいるだろう。歴代の自民党政権、保守政権ではそう思われてきたのであるが、自民党政権の担当者のすべてがというわけではない。吉田茂の系統の保守政治家は隠れ憲法擁護者といわれるように、現憲法の擁護者は多かった。田中角栄はその代表格といえるだろう。このことは記憶しておいていい事だろう、と思う。
この保守政権、あるいは国家権力の担当者が憲法を厄介者にしてきた理由は二つあると思う。その一つは憲法9条の非戦条項の存在がある。もう一つはこの憲法の規定としての国民主権が保守の政治敬の思想としてなじまないというか、違和感をぬぐえないところがあるためだ。これは彼等の憲法観とっていいのかも知れない。
この憲法9条の問題は何度も多くのひとによって語られてきことだが。それは九条が戦争観の転換をあらわしていることである。「あのような戦争は嫌だ」という国民の戦争についての意識がここには込められているということだ。柄谷行人は「無意識化した戦争の罪障感」というが、戦争についての反省(否定)の意識がそこに込められているということだ。戦争についての経験のなかから人々が得た史的戦争観の転換ということがここにある。この戦争についての意識の転換がどれほど深いものであり、それがその後に何をもたらしてきたか、戦後史の中で散々に論じられ、それは現在も続いていることなのである。それは何よりも国家意志としての戦争を否定したことである。いうなら、国家主権としての戦争(権)の否定だった。これは国家の中心の軸の否定であった。戦争は国家の中心にあることだった。国民の「安全と安心」、いうなら安全保障の核をなすものが戦争であり、戦争権とはその要をなすものだった。
別の言葉でいえば、共同性、つまりは公共的なものの中心をなすものだった。
日本の明治維新以降の国家の歩みの中で戦争の占めて来た位置を検討してみればこれは明瞭である。国家(政治)の中で天皇統治ということ取りざたされるが、その不思議な存在が論じられてきたが、これも戦争ということを追求すれはかなり明瞭になることである。戦争における政治、それは軍隊統治であり、国家統治であるが、そこに国体(天皇統治)を不可欠とした。国家の中心命題、いうなら共同性、あるいは公共性の根幹から戦争が失われたこと、そのことによって、戦後は共同性、あるいは公共性として何があるか、それは何かが問われてきた。これは敗戦期に国体の護持を必須のこととしていた支配層の意図にもかかわらず、国体の変更が進んだのは国体の根幹にあった戦争の位置が変化したことにある。この戦争の位置の変化ということは戦後の日本国家、日本の政治の混迷というか、漂流状態に深く影響してきた。
三島由紀夫が死んだのはもう50年も前だが、彼は戦後日本の空虚感ということに悩んだ、この中で戦争の否定による国体(天皇統治)の変化に危機感をもって天皇(文化概念として天皇)の復権を主張した。僕には唐突感と時代錯誤を感じさせたが、彼の天皇復権は戦争と深く関係していた。彼は文化として天皇を掲げ、その天皇は政治を超えた超越せた存在とされていたが、その天皇は戦争と関係する中で機能した天皇だった。これは「たたかいは文化の母」と掲げた国体概念の再生を目指すことでもあった。天皇という言葉には謎めいたところがあるが、戦争が影というより深く投影されていた。三島は自衛隊に体験入学したりしていたが、その文化防衛論は戦争の復権と関係していた。憲法9条は国家意志としての戦争放棄であり、その宣言だった。それがアメリカの占領戦略から出てきたものであったにせよ、それを国民が受け入れ国家に対する国家に対する国民の命令(憲法は国家に対する国民の命令)としたのだ。
この憲法9条は戦争が継続する戦後世界の中で、孤立をしいられるというか。孤立を余儀なくされてきた。戦後はこれまで主権国家間の戦争をしりぞかせるとともに、冷戦と地域間戦争へと構造をかえながら、戦争は継続してきたからだ。これは今日も存続していることだ。このことは戦争の放棄という国家のあり方が世界の可能なり方なのかを不断に問う事になってきた。現存の国家を最上の共同体とする国家は戦争を国家主権として保持しており、それが国際関係の基軸とは言わないにしてもある中で、どういう関係をとっていくのかとられてきたのである。戦争を主権として持つ中での世界関係というのは困難な道のである。これが世界の中の孤立であるが、これについては注釈がいる。この場合の世界との関係は共同体その支配者との関係であり、その共同体の生たる地域住民との関係は違う。かつてアフガニスタンで活動していた中村哲が日本の憲法9条(戦争放棄)への地域地住民の信頼を伝えてくれていたが、国家の支配層や権力者たちと地域住民とはちがうのであり、そこを考えないといけない。中国や韓国、あるいはアジア諸国の国家権力者は支配層と地域樹民とでは憲法9条(戦争放棄)に対する反応は大きく違うのである。ここが大事なところであり、そこは憲法9条が世界の未来を先取しているのか、どうかの判断どころとなる。非戦というのは世界の地域住民にとっては希望であり。可能性なのである。
政府は、日本あるいは日本の支配者は憲法9条によって国家主権としての戦争放棄が提示した問題を積極的に生かすのではなく、その方向について迷っていた。保守の政治家たちも。戦争体験者たちは、この戦争放棄を肯定していた。田中角栄は代表例である。彼等は国民の意志(あのような戦争は嫌だ)を無視しえないと思ってきたと言える。たとえ、それが国家主権の制限であっても。国家主権としての戦争の復権を戦後政治の主題においたのは岸氏介と安倍晋三ぐらいだったのだが、この戦争放棄の意味が曖昧になってきている。それが現在の政治的趨勢である。安倍の憲法改正の提起は議論もかんきさせることがなく、頓挫したが、背景として憲法9条の史的意味、つまり戦争放棄の意味が曖昧にされるようになってきている。安全保障、国防、自衛などの言葉が飛び交うようになってきているが、それらを理解し、認識する糧というか、媒介としてやはり憲法9条のことを、とりわけ戦争について考えることが要請されているのではないか。憲法記念日の僕はそのことをあらためて思った。 (三上治)
「霞が関の鬼退治」にやってきた婦人の差し入れ 5月4日(火)
地元の図書館で借りた高木仁三郎著作集9を持って出て、その冒頭論文「巨大事故の時代」を電車の中で読み始めた。直ぐに、その次の文章「宮沢賢治をめぐる冒険」の第三話「雨ニモマケズと私」が面白そうだったので、そちらを読みながら到着。事務所の書棚の本(渕上遺稿集)の残りが40冊を切っていたので、そろそろ新規に運び入れなくてはならないなどYさんと話をする。
今日は「みどりの日」で明日は連休最後の「こどもの日」。人通りの少ない経産省前に行くと、正門前に若者がスマホ片手にあちこちを見回して立っていた。声を掛けると中国から来たとの返答、正門前路上から見える霞が関の風景に関心を示されており、官庁街ビルを説明して私たちの脱原発運動の話もした。12時前には、いつものメンバー5人が揃って座り込みを開始。
しばらくして今度は電動アシスト自転車の高齢男性がこちらを見ている。千葉から一時間半かけてやってきて、皇居を歩いて一周して夕方までに帰宅するとのこと。さらに2時過ぎ、初夏のような暑さのなかを霞が関にやってきた中野の婦人からは、「霞が関の鬼退治に来ました」と黍だんごと芋羊羹の差し入れがあった。退治すべき悪い鬼は一体、どこに隠れているのか、経産省内だけとは限らないでしょうが、そこは聞きそびれました。(E.O)
経産省の広告塔は汚染水安全というデマで飾られている 5月5日(水)
今日は子どもの日で休日なので、経産省前ではなく、もとテントがあった角の所にセッティングした。その時雨は降っていなかった。人通りはほとんどなかったが、幟と「放射能汚染水を海に流すな」と「トリチウム汚染水を海に流すな」(新しくつくった)の二種のバナーを張った。幟を経産省の鉄柵に結び付けたら、すぐに経産省警備の人2人が飛んできて、柵は経産省の建造物なので括り付けるなと注意に来た。歩道のところに建てた幟などについては管轄外なので何も言わず去る。
角のところの経産省の広告は、なんと汚染水タンクの写真だった。そこには「『復興と廃炉』に向けて進む処理水の安全・安]心(ママ)な処分-ALPS処理水の海洋放出と風評影響への対応」と書かれていた。文字のうち損じがあった。デブリがなくならない限り汚染水は出続けるのだ。30年で終わるはずがない。
座り込みに参加する人は少なかったかが、キラキラ星の2人、レジェンド斉藤、Wさんの他は当番のものたちで計8名。Wさんは「普段は勤務があるので休みの日にしか来れない」と。シトシト雨が降り続く中、15時に終わる。
なぜ今、改正国民投票法案なのか 5月6日(木)
朝から晴れ渡って暑いくらいだった。
ヨーカンさんが憲法審査会の傍聴をしてから来ると言うのでYさんと
セッティングを始めると高級自転車さんがやって来て手伝ってくれ助かった。
12時少し過ぎヨーカンさんが傍聴終えてやって来て国民投票法が採決されてしまったことを教えてくれた。
そして斉藤さんも早々と現れてコロナで大変な時に憲法を変えようとすることをみんなで怒った。しばらくして吉良サポーターのお二人が来てチョコレートをさしいれてくれ美味しく頂いた。いつも色々気にかけて送ってくれる西東京市のKさんの手紙をYさんが持って来た。
中に手作りの可愛い”NO NUKES”バッチがたくさん入っていてテントで販売したらとのことだったけど…
1時過ぎ食事に行ったYさんが買ってきた日刊ゲンダイのトップに「小池知事 五輪返上 6・1決断か」の記事に喜びの声があがった。
本当にそうなれば良いですね。オリンピックは無理とみんな判っているのだから…
2時過ぎて私が帰路についた後、議員会館前抗議行動の帰りにO姉妹がそれに英語の先生も来てにぎやかになったそうです。片付け始めるころ8人の人が「放射能は万病のもと、福島賠償足りない、と言い、マイナンバー反対のプラカードを掲げてトラメガを使い抗議行動をしたそうです。本当に問題だらけですね。(I.K)
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経産省・エネ庁は「今だけ、金だけ、自分だけ」の大嘘つき! その172
イチエフ「廃炉」に何世紀かかる? 部分撤去まで百年? 敷地利用可能まで三百年?
~日本原子力学会「廃炉」報告:世代を超えた取組。尾松亮さん:スリーマイルと違う!~
2021年5月4日 木村雅英(経産省前テントひろば)
東電福島第一原発(イチエフ)事故後10年を過ぎた。イチエフ「廃炉」は5回も改定された現ロードマップどおりに30年後に「廃炉」が完了するのだろうか? 絶対にありえない。経産省も東電も原子力損害賠償・廃炉等支援機構(NDF)もいつまで大嘘をつき続けるのか?日本原子学会でさえ、300年程度かかるかもとの報告を出しているのだ。
日本原子力学会<国際標準からみた廃棄物管理―廃棄物検討分科会中間報告―> https://www.aesj.net/aesj_fukushima/fukushima-decommissioning 「政府や東京電力等に所属しない日本原子力学会の専門家」が2020年7月に発表した報告(福島第一原子力発電所廃棄物検討分科会 柳原敏主査、新堀雄一副主査)が、「1Fの廃炉・サイト修復の活動は長期にわたることが予想されることから、1Fサイトを元の状態に戻す(又は有効に利用する)ためには世代を超えた取り組みが必要である。世代間の公平性も十分に考慮し、今の世代が実施出来ること、次の世代に託すことを明らかにして、今の世代で実施すべきことは十分な計画検討の下、エンドステートに向けて早期に取り組むことが重要である。」と結んでいる。
原子力の専門家がやっと現実的な予測を述べだした様だ。1Fの最終的な状態に着目し、通常炉の廃止措置と区別して「廃炉」と呼び、次の様に報告している。サイト(敷地)の部分利用開始まで約300年?〇廃止措置の終了条件(実用炉規則) 核燃料物質の譲渡、施設や敷地の放射能の除去、放射性廃棄物の廃棄、放射線管理記録の引渡し。〇廃炉のプロセス(IAEAより) 即時解体と、遅延解体と、原位置処分(放射能の減衰を待つことを基本方針)を紹介〇廃棄物量(固体廃棄物) 通常炉と比較して2桁高いとの試算あり〇1F廃炉・サイト修復で発生する放射性廃棄物の試算例 1-6号機148万トン、 他の施設326万トン 、水処理施設19万トン、 廃棄物処理貯蔵施設3万トン、 サイト修復 288万トン 合計784万トン(以上、万で四捨五入)〇4つのシナリオ シナリオ1 即時・全撤去、 シナリオ2 即時・部分撤去 シナリオ3 安全貯蔵・全撤去 シナリオ4 安全貯蔵・部分撤去〇シナリオ4の時間軸の目安 安全貯蔵まで:約30年程度(中長期ロードマップ) 機器・構造物の部分撤去まで:約100年程度 サイト利用(部分)開始:300年程度
日本原子力学会もこれ以上嘘をつき通せないと考え、今のロードマップに「寄り添い」ながら、「廃炉」への道の厳しさを明らかにし出したのだ。
さらに、尾松亮さんが<「40年後終了」目標の由来を問う>(岩波科学2021年3,4月号)で<変わる前提条件と変わらない「30~40年」目標>を批判している。 「デブリ取り出し」の前提条件が変化しているにも拘らず工程終了目標を変えていない。初版中長期ロードマップは、1979年米国スリーマイルアイランド原発2号機(TMI-2)を主要参考例(燃料デブリ取り出し期間4年強)として策定された。しかしながら、増田尚宏東電CDO(当時)が2016年に「スリーマイルでは、燃料は溶けましたが圧力容器から外には出ていません。さらに、我々は3機同時に事故を起こしてしまいました。これが前例とは違う困難さだと思います。ただ、だからといってチェルノブイリのように石棺にすることは違うと思っています。…」と述べている。
イチエフでは、TMI-2と異なりデブリが圧力容器から出ていて、前提条件が変わっている。 さらに尾松さんは、「廃炉」の定義や燃料デブリを「放射性廃棄物」として扱うことができるのか、など法制度上の整備が必要と主張している。
いずれにしても、「廃炉」について経産省も東電もNDFも、「国民」に未だに大嘘をつきとおしているのだ。さらに、例えばNDFのHPに掲げられた<2020年12月14日「東京電力ホールディングス(株)福島第一原子力発電所の廃炉のための技術戦略プラン2020」英語版を公表しました>が示す様に世界にも大嘘をまき散らしているのだ。 アンダーコントロールの嘘でオリンピックを招致したと同様、私たちの政府は地球上の総ての生き物に恥ずかしいことをし続けている。先が見えない「廃炉」を口実に「放射能汚染水を海に流す」ことも絶対に許されない。
安倍政治の継承を許さない!官邸前抗議行動(第27回)
「桜を見る会」問題は終わってはいない
5月10日(月)18時~19時 首相官邸前
5月12日(水)とめよう!東海第二原発20年延長運転・再稼働を許すな 日本原電本店抗議 17時~17時45分
5月12日(水)第92回東電本店抗議
18時30分~19時30分 東電本店前にて
5月14日(金) 経産省前抗議集会(毎週)
17時~18時 経産省前テントひろば
お知らせ:渕上太郎遺稿集 発売中
経産省前テントひろばでも販売します。予約受け付中
書名:「脱原発 経産省前テント ここに在り!」
発売元:情況出版 価格:1500円
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