二十世紀文学の名作に触れる(5) スタインベックの『怒りの葡萄』――離農を迫られた小作農民たちの憤り
- 2021年 5月 31日
- カルチャー
- 『怒りの葡萄』スタインベック文学横田 喬
この作品をちゃんと理解するには、予備知識が要る。1930年代にアメリカ中西部を断続的に襲った大規模な砂嵐(ダストボウル:「黒い大吹雪」)の発生だ。かつては大草原だった一帯は、白人の入植によって百年ほどで大きく変貌する。野生のパイソン狩りに次ぐ牛や羊の大量放牧~大々的な草食、及び降雨による表土の流出が重なり、急速に砂漠化したのだ。
35年春には「黒い大吹雪」がなんと20回も発生。オクラホマなど近隣一帯の農地は一気に砂丘化してしまう。30年代に起こった世界恐慌に加え、人為的な過ちに由来する酷いこの自然災害。広範囲の土地で農業が崩壊し、多くの小作農家が離農を余儀なくされた。この物語は、オクラホマ州に暮らすジュード一家に降りかかる悲劇的な運命に焦点を絞る。
一家は郷里での暮らしに見切りをつけ、三世代プラス客分一人の総勢十三人で遥か遠い西海岸カリフォルニアを目指す。小作農家の同家は、地主(銀行)の代理人から立ち退き通告を受け、西部移住を薦められたのだ。出立間際、刑務所帰りの次男トム並びに一家とは古なじみの年配の元説教師ケイシーが加わった。三十歳近いトムは正義感の強い男だが、酒の上での争いで人を殺め、懲役七年。四年服役した後、仮出所している。
ジュード家は祖父の代に土着のインディアンを追い払ってオクラホマに住み着き、父親の老トムが雑草と蛇をやっつけ、開墾に励んだ。が、凶作の年に借金がかさみ、銀行が土地の持主となる。一家から見れば、「銀行は人間みたいじゃなく、怪物」。まず保安官を差し向け、さらに軍隊だ。出ていかなきゃ、「盗みをやってる同然」視され、もうお手上げなのだ。
一家の荷物を山積みにした中古の幌型ハドソン車はオクラホマ州を出発。大動脈の国道66号をひた走り、テキサス州~ニューメキシコ州~アリゾナ州と野越え・山越え・砂漠を越えて一路、ひたすら西を目指す。一行は千数百㌔にも及ぶ難儀な旅路を唯々耐え忍ぶ。アメリカ映画の西部劇でお馴染みの「幌馬車隊、西へ」の二十世紀版さながらの趣だ。
強行軍のツケが先ず弱者に及ぶ。出立後まもなく、高齢の祖父が荷台の上で卒中死する。次いで祖母も車上でのきつい移動の連続が応え、カリフォルニアの砂漠地帯で衰弱死する。
国道66号は西部をめざす車列がひしめき、キャンプ場は寝泊まりする人々でごった返す。家族の銘々は自ずと役割を心得る。十二歳の次女と十歳の四男は薪を集め、水を運びにかかる。二世代にまたがる大人の男たち七人はベッドなどを車の荷台から運び降ろす。母親と長女が夕食をこしらえ、給仕する。誰の命令もなく一切がちゃんと進行し、自ずと秩序が保たれる。みんなの当面の心配の種は、タイヤの摩耗とギヤの破損ぐらいだ。
キャンプを重ねるうち、行きずりの相手から目的地カリフォルニアに関する情報が入ってくる。同地に先着し、失望して逆戻り中のある男はこう言う。
――向こうの連中は、我々移住希望者をオーキー(オクラホマ生まれの薄汚いクソ野郎)と呼び、蔑んでいる。土地持ちはびくつき、思いやりなんか、ありゃしねえ。百万㌈もの土地持ちで新聞社を経営する男が乗り回すのは防弾ガラスの車だ。小さな意地悪い目付きをした、太ってぶよぶよの男よ。
そして、オーキーたちがいかに搾取の対象となっているか、を説いた。
――(綿花摘みやオレンジ採りで)人手の要るのが二百人とする。(連中は)それを(オーキーたち)五百人に話す。五百人が他の者に話し、約束の場所に行ってみると、千人もいて「一時間25セントだぜ」って値切られる。(がっかりして)半分位は歩いて帰るが、半分は残る。腹が減って、パンさえくれりゃ何も要らねえで働くって連中だ。
1930年代、移住希望者はカリフォルニア州へ三十万人も流れ込んだ。土地を失った農民たちの一家眷属がトラクターに追い出され、遥々やってきたのだ。州南西部の都市郊外に設けられた失業者収容集落には、大勢のオーキーたちがひしめいた。川岸におんぼろの施設が設けられ、家々はテントだったり、草ぶきの紙の家だったり。付近の街では商人たちが彼らを嫌った。物を買ってくれる金を少しも持っていないからだ。地元の自治体は彼らが投票権を得たりしないよう、キャンプから追い出しを図る。
破局がジュード一家に訪れる。果実摘みの仕事の斡旋人と保安官が赤いシボレーに同乗し、失業者収容集落へやって来る。斡旋人の勧誘話があやふやだったことから、口論になり、保安官が脅しに発砲。集落の女性が流れ弾で指を負傷し、次男トムと元説教師ケイシーは保安官を殴って悶絶させる。前科持ちのトムが一時姿をくらまし、ケイシーは独り罪をかぶり、駆け付けた警官らに連行されていく。
この間、痛ましい悲劇がジュード一家を次々見舞う。元々精神虚弱気味だった長男ノアはカリフォルニア州境で脱落~行方不明に。妊娠中の次女ローザシャーン(後に流産)の夫コニー(19歳)も前途を悲観して逃亡し、姿を消す。ケイシーは前記の顛末後に留置場から解放されるが、農場ストライキ指導の咎を受け、警官らに惨殺される。一家の実質的リーダー格だったトムはその敵討ちのため第二の殺人を犯し、キャンプ場から逃亡してしまう。
終盤、ジュード一家が宿るキャンプ場は、とてつもない豪雨に襲われる。父親ら大勢の男たちの徹夜の懸命な補強作業も甲斐なく、キャンプ場外周を流れる川の土手が決壊。一家は住まう有蓋貨車から避難を余儀なくされる。今や一家は当初の半数以下の六人。しかし、大黒柱の母親は一向に意気消沈の色を見せない。彼女はトムに対し、以前こう呟いている。
――あたしたちは本当に生きていく人民なんだよ。奴らになんか、やっつけられやしない。金持ちは出世をして死ぬよ。あたしたちは後から後から生まれてくるんだよ。何も恐れることはない。違った世の中が来かかっているんだよ。
その折、トムはケイシーの口伝えによる聖書の一節を引用して、こう答えている。
――「二人は一人に勝って骨折りのために善報を得ん」ってな。何十万って農民が飢えているんだ。腹ペコの連中が腹ペコにならねえように騒ぎが起これば、おれはそこにいるよ。
スタインベックはこの『怒りの葡萄』を著す直前の36年、カリフォルニア州内の移住労働者らのキャンプ場を度々訪問。実情を聞き取り調査し、自ら果実摘みの労働も経験している。翌年秋にはオクラホマに赴き、オーキーたちと共に国道66号沿いにカリフォルニアへの旅を続け、移住労働者たちの生活の苦しみや悩みや怒りを己のものとして体験する。作品が完成した時には数週間も寝込んでしまい、医師から文章の読み書きを禁じられたという。
表題の「怒りの葡萄」はキリスト教の聖書の記述に基づく。葡萄は「豊穣の象徴」であると共に「神の怒りの発酵」をも意味する、とか。
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