女性たちの草の根保守運動・そのⅡ ―「慰安婦バッシング」をめぐる微妙な立ち位置と課題
- 2021年 6月 3日
- 時代をみる
- 慰安婦バッシング池田祥子
今回も、鈴木彩加『女性たちの保守運動―右傾化する日本社会のジェンダー』(人文書院、2019)に依拠しながら、2000年代初めから半ばにかけての「草の根保守運動」に参加した女性たちの動向を紹介したい。
前回は、「男女共同参画政策バッシング」に焦点を当て、「草の根保守」の女性たちの「家族を支えている自負」、それゆえに「家族役割」重視の立場、ただし、そこでの男性(夫)との微妙な差違を紹介し、さらに彼女たちの家族内での「ケア」役割への着目ゆえに、他方での「ケア・フェミニズム」との接近・討論可能性にまでも言及した。
今回は、韓国「慰安婦バッシング」における男女の微妙な差違、および女性たちの立ち位置や課題に着目してみたい。
韓国「慰安婦」問題とは
ここで、「慰安婦」問題の歴史と現状を詳しく振り返ることはできないが、簡単な概略だけを以下、整理しておこう。
もともと、第二次世界大戦中、戦場となった(日本が戦場とした!)中国の地で、日本の軍人相手の「慰安婦(娼婦)」がいたことは、当の経験者たち(私の父親の世代も)はもちろん、私(1943年生まれ)と同世代の人々も、たとえば五味川純平『人間の条件』などの小説や映画で「当たり前」のこととして知っていた。ただ、戦後、アメリカの駐留軍相手の娼婦(「パンパン」)の登場や、昔の「遊廓・花街」が「赤線地帯」として復活し、その後、「売春防止法」(1958年完全施行)以降も、ヤミ(違法)で売春を行う飲食店、バー・キャバレーの存在等々などで、ある意味では戦後の日本社会も、「売春」に対しては「暗黙の前提」あるいは「見て見ぬふり」状態を決めこんでいたのかもしれない。それは、今にも続く日本社会の「売買春」への「不感症」=無責任体制とも言えるだろう。
その意味では、1991年12月、韓国の金学順(キム・ハクスン)が「元日本軍慰安婦」と名乗り出、日本国を提訴したことは、日本の政府はもちろん、社会全体でも大きな衝撃となった。いわゆる「慰安婦問題」の浮上である。
もともと広島・長崎の原爆投下の後、「ポツダム宣言」による無条件降伏をよぎなくされた日本国家は、連合国の占領体制下の後も、国内はもちろん国外に対しても真摯に戦争責任を考え、その謝罪や賠償のための施策を誠実に実行したとは言い難い。むしろ逆に、1952年4月対日平和条約発効後、それまで植民地国だった「朝鮮・韓国」の「日本国民」を、「在日」のまま「外国人」として「日本国籍」から除外してしまった。いわゆる「在日問題」であるが、それによって、彼らの戦中の徴兵や被爆あるいは被災などの戦後補償はまったくの論外とされたのである。
その意味では、戦争中の「慰安婦」が、「ただの紙切れ」となった軍票を持たされたまま戦場に置き去りにされた事実を根拠に、日本国家の責任を問い賠償を要求したのは政府にとっては何よりもショックであったろう。
しかし、日本政府は1952年の対日平和条約および1965年日韓条約などにおいて、韓国への賠償問題は「誠実に対応している」(すでに解決済み)という姿勢を一貫して固持し続けてきた。個々の「慰安婦」が何ら戦後補償されていなくても、「国と国」としてはすでにその問題は終わっている、というのである。たとえば、ドイツのように国際法上法的な責任はなくとも、「道義的責任」があるならば「特別立法」などによって政治的責任を取ろうとする意志や試みは、日本においては皆無であった。
さて、その後の経緯は長くなるので省略せざるをえないが、ただ二つのことは明記しておこう。
一つは、1993年の「慰安婦問題」に対する「遺憾の情」を表わした「河野洋平官房長官談話」や1995年の「村山富市首相談話」、さらに1995年から2006年度解散まで続いた財団法人「女性のためのアジア平和国民基金」の活動である。とりわけ、この略称「アジア女性基金」は、政府と国民との共同活動として、韓国だけでなく、フィリピン、台湾、オランダ、インドネシアの「慰安婦」たちへの償い金(一人当たり約200万円)や高齢化する「慰安婦」のための医療・福祉支援事業など、総額約6億円+7億円が使われたと言われる。また、償い金手渡しの際には、歴代首相(橋本・小渕・森・小泉)の「お詫びの手紙」も添えられたという。
日本の関係者にとっては、「ここまでやった!」と自画自賛する内容かも知れない。しかし、先にも見た通り、法的には「すべて終わったこと」という公的な姿勢は一貫して変わらず、この「アジア女性基金」活動も、あくまでも当時の政府が国民と共に取り組んだ「善意の活動」としての位置づけだった。
そのため、日本国家の正式な「謝罪」とそのための「法的な措置」を求めていた「慰安婦」たちの中には、これらは「問題を終わらせるためだけの姑息な欺瞞」として批判し、償い金も受け取らない者も少なくはなかった。
いま一つは、金学順などの裁判闘争を支援する側が、当時の「慰安婦」の状況を「従軍慰安婦」と呼び、「強制連行」「性奴隷」などの言葉を用いたことである。これは、1996年2月5日国連人権委員会からのクマラスワミ報告書の中でも、「軍隊性奴隷制military sexual slavery」という言葉として用いられている。
もちろん、戦中の「慰安婦」は、軍票という日本軍内だけに有効な「紙幣」による「売買」がなされていたし、日本軍が直接に「慰安婦」の招集や連行に携わっていたわけではなく、軍からの情報を受けながら商人が介在していたことは事実だろう。しかし、戦中のことである、どこまで「管理」が行き届いていたか。「慰安婦」相手の暴力、強制がどこまでセーブされていたか。実質はまさしく「従軍性奴隷」であったろうことは想像がつく。それでも形式的な裁きの場では、証拠もない中での「従軍慰安婦」や「強制連行」「性奴隷」という言葉は正確性(事実)を問われ撤回を迫られる。とりわけ「強制連行」は吉田清治のフィクションだったと報じられた後には、それを真に受けて報道していた朝日新聞社が謝罪をよぎなくされた(2014年12月26日)。
以上、二つの事を取り上げたのは、「慰安婦問題」が、元「慰安婦」たちの想いや願いが日本国家には通じなくて、それゆえに、「アジア女性基金」の活動が、これまた韓国の多くの「慰安婦」たちには無視・冷笑され、未だに、日本と韓国との国家的な政治課題になり続けていることの理由の一端としてである。
と同時に、このような双方の「理解不能」状態の持続は、とりわけ日本国内での「嫌韓」感情を刺激し、「慰安婦バッシング」を強めることにもなっているからである。
3団体(「そよ風」「花時計」および「なでしこアクション」)の「慰安婦」バッシング
前回紹介した3団体のうち、前者2団体の結成年および会員数をもう一度記しておこう。
「日本女性の会・そよ風」:2007年、会員570名
「愛国女性のつどい・花時計」:2010年4月、会員1040名
この内「そよ風」は、2009年段階からすでに「慰安婦」バッシングを開始しているが、それとは別に、1992年1月から毎週水曜日に日本大使館前で行われ続けている元「慰安婦」とその支援団体による「水曜デモ」が1000回を迎えるという2011年12月、しかもこの時は韓国国内だけでなく日本国内はもとより、世界同時アクションが行われるという日、これらに対抗して「行動する保守」の女性団体が急きょ「なでしこアクション2011」として結集されることになった。
この「なでしこアクション2011」の外務省前抗議行動に触発されて、その後、2012~2015年、「そよ風」「花時計」とも「慰安婦」バッシングにかなりの比重がかけられている。
これら保守の女性団体の「慰安婦」バッシング(反感)の中身は、まずは彼女らは、「恥を知らない」女性、ということである。
その一つの恥は、「売春婦」であった過去を「晒して」しまったこと。
いま一つは、その「恥ずかしい過去」を晒して、日本に「謝罪と賠償」を要求してく
る女性であること。
その「恥ずかしい韓国慰安婦」に対して、彼女たちには、「日本の慰安婦」は次のように対比されるのだろう。
日本の「慰安婦」は「売春婦であったことは恥ずかしいという気持ち」があるため、黙り続けるだろう。・・・だから、韓国「慰安婦」のように、「かつては高給取り」であり、今も「多くの支援者や政府から多額の援助金」を得ながら、なお日本政府に責任と賠償金を要求するような、そんな「恥ずかしい」女性ではない・・・と。
しかし、「慰安婦」問題に向き合うことは、「家族の中の妻や母」という役割の中に位置づくのとは異なり、一人の女性としての自分が露わにされることでもある。
「親に売られてしまった、ということで、同情すべきことはそこだけなわけですが・・・」(p.252)と語る時、韓国「慰安婦」も一人の女性であることが否応なく感知され、そのことは、さらに、「なぜ『性』は神聖視されたり、一方では、忌まわしく恥ずかしいと思われるのか」、「なぜ『性』の売買がなされるのか」・・・という問いにまで導かれてしまうだろう。
本書の鈴木彩加氏もまた、次のように述べている。「慰安婦問題は、戦時性暴力というセクシュアリティに言及することであり、すでに『性』を語っていることになる」(p.259)。
草の根保守の女性たちもまた、「慰安婦問題」に向き合う時、「一人の女性」として、「女性問題」や「性の問題」を抜きにはできなくなるはずである・・・。
「行動する保守=女性団体B」でのハプニング
「女性団体B」(ママ)は、2009年結成。会員数は約800名。正会員は女性のみ(約500名)で、男性は準会員(約300名)として認められている。東京都内が中心で、大阪や北海道に支部がある。
2011年の東日本大震災後には、1カ月~2カ月に一度のペースで「東北復興支援料理教室」が開かれてきた。現在も、「料理教室」は、準備する間、食事をする間に「嫌韓・嫌中・愛国心」を中心とした話題を楽しめる場として重視している。
ある時の料理教室でのエピソードである。会長は60代の女性。
一人の若い男性が飛び込みで参加し、「慰安婦の会」に出たという話を持ち出した。会長はすかさず、「ハルモニ?慰安婦の?噓ばっかだったでしょう?」と言うと、その男性Hさんは、「全部が嘘というよりかは基本は本当で、それを少し脚色した感じでした」という。ずいぶんナイーブな男性が参加したものだ。でもその場は白けてしまい、しばし沈黙。その時に、常連の男性Iさん(60代)が「慰安婦、いい女だった?」と声を発したが、それに応じる人はいない。そこでさらに場を持たせようと男性Jさん(70代)が「慰安婦、好きな人~?」と挙手を求めたが、それにも反応はなし。その日の料理教室は盛り上がらないままに終わり、若い男性Hさんは、その後は来なくなったという。
しかし、男性Iさん、Jさんの元「慰安婦」を性的な対象としてジョークを飛ばすことに、B会の女性たちは不快感を抱いたのは確からしい。だが、その場でも、次の会でも、それに対する「批判」は一切出て来ない。女性が男性に反論や異論を呈することはあり得ない、と自主規制されているのであろう。
それでも、男性は年齢にかかわらず、「慰安婦」を性の対象として眺めたり嗤ったりするのに反して、女性は、特に中年以上高年齢の女性たちは、「慰安婦」を性の対象として眺めることはできない。ましてや「ババア」と侮蔑することなどは論外である。
ここにも、「草の根保守」の女性たちが「慰安婦問題」に向き合う時の、男性とは異なる女性自身の複雑な状況を見て取ることができるだろう。
元「慰安婦」たちの高齢化や死去、さらに元「慰安婦」たちの運動母体にもなっていた「日本軍性奴隷問題解決のための正義記憶連帯」の代表だった尹美香(ユン・ミヒャン)が、元「慰安婦」から不正を告発されたと報道されている。韓国「慰安婦」問題や運動が今後、どのような展開をするのか、十分には見通せないが、しかし、金学順を初めとする韓国「慰安婦」たちの問題提起は、日本の国家はもちろん、私たち一人ひとりにとっても、今後とも、真面目にかつ、現実的に問い続けなければならないものだと思う。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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