「○○は社会主義か」という問いについてーー和田春樹『歴史における社会主義』を読んで
- 2021年 7月 11日
- スタディルーム
- 世界資本主義フォーラム矢沢国光
1 ソ連の崩壊は「社会主義」の観念を一変した。
ソ連崩壊前、わたしたちは、「1917年のロシア革命は、史上初の社会主義革命であった」という共通認識の上に、「レーニンの社会主義革命をスターリンが裏切った」とか、「毛沢東は中国型の社会主義をめざした」とか「資本主義対社会主義の冷戦体制」などと議論してきた。「社会主義」は、いわば「常識」であった。
2 ソ連の崩壊は、この「常識」を覆した。1917年10月にレーニンのボリシェヴィキ党が武装蜂起して臨時政府を倒し、憲法制定会議を解散して一党独裁政権を樹立し、旧帝政派や農村諸勢力との内戦に勝利した。ヒトラー・ドイツと「独ソ不可侵条約」を結ぶがヒトラー・ドイツに進攻され、史上もっとも過酷な独ソ戦争を勝ち抜いた。その「ソビエト社会主義共和国連邦」の「社会主義」とは、いったい何だったのか。これがあらためて問われることになった。
3 ソ連の崩壊に追い打ちをかけるようにして、中国の「社会主義市場経済」が「社会主義」という「常識」の破綻をもたらした。「ソ連社会主義」に絶望し、「中国社会主義」に希望を見いだした人たちは、「今日の中国は社会主義か?」と疑問を呈しているが、「社会主義」の定義なくして、この問は成り立たない。
4 ソ連崩壊による「社会主義」観念の再検討の必要性を最も早く提起したのは、和田春樹の『歴史における社会主義』である。和田の「社会主義」再検討の方法は、
(1)「社会主義」はユートピアである、
(2)「ソビエト社会主義共和国連邦」は「戦争と革命の時代」の「総力戦体制」として、歴史的に規定される、
の2点である。
5 「社会主義」はユートピアである、という論断は、「マルクス主義」に依拠してきた者たちにとっては、容易に受け入れがたい論断だ。「ユートピア」とは「どこにもない」もの、言いかえれば「頭の中だけにある」ものであり、「空想」である。「社会主義」は「空想」か?エンゲルスは「空想から科学への社会主義の発展」と言ったではないか――和田は、エンゲルスの『空想から科学へ』自体が、誤解を招く著作であったとする。
6 では、エンゲルス『空想から科学へ』を離れて、マルクス自身の「社会主義・共産主義」は、空想ではなかったのか?
和田は言う。『共産党宣言』の「革命の主体としてのプロレタリアート」は、空想である。マルクスの「プロレタリアート」は、ユートピアの世界の主人公であり、現実の労働者ではない。現実の労働者は、生活の改善にともなって、「失うべきもの」と「祖国」をもつようになる。
7 では、『共産党宣言』以降のマルクスの「社会主義」論はどうか?
和田によると、「唯物史観」は、封建制から近代資本制への歴史的移行を説明する論理であるが、これを、「近代資本制から社会主義への必然的移行」に適用することによって、ユートピアへの志向に強烈な使命感を与えた。
封建制から近代資本制へ、という社会体制の移行を、社会的諸勢力の経済的基礎という「下部構造」の変化によって引き起こされる「必然的過程」とみる見方は、説得力がある。これを過去の解釈に適用するだけでなく、未来のシミュレーションにまで拡張する、というのも理解できる。そのためには、「近代資本制」とは何か、の解明が欠かせない。マルクスはこれを『資本論』で追求した。
わたくしの見るところ、マルクスの資本主義分析は、資本主義自体がマルクスの時代(1840年代~1860年代)には、まだ金本位制的産業的発展途上期であり、その後の金融資本的発展や複数為替システムをマルクスは知らない。宇野弘蔵の言う「経済原理」としての『資本論』は、資本主義の本質的理解にとって画期的であったが、経済原理だけで資本主義の将来を知ることはできない。[和田に言わせると「剰余価値説で労使関係の矛盾を説明したが、労働者と資本家の関係が非和解的なことを論証してはいない」。]
また、近代資本制の「上部構造」たる政治社会にしても、マルクスの時代には、世界大戦は、まだ視野に入っていない。(註)
マルクスの「社会主義」は、ユートピアとしても、『ドイチェ・イデオロギー』のユートピア[朝に狩猟を…]や、『ゴータ綱領批判』の第1段階は「各人は能力に応じて、各人には労働に応じて」、第2段階は「各人は能力に応じて、各人にはその必要に応じて」といったもので、他の諸家のユートピア思想に比べても質的レベルの低いものであった、と和田は言う。
8 レーニンが、それ以前の「マルクス主義者」(ドイツ社会民主党やロシアのプレハーノフら)と根本的にちがっていたのは、革命を「戦争のもたらす危機」に対する克服策として提起したことである。
レーニンは『帝国主義』で第一次大戦を次のように捉えた:
①帝国主義は資本主義の最高の発達段階であり、列強による世界の分割が完了した。
②第一次大戦は、世界の再分割のための世界戦争(帝国主義戦争)である。
③世界戦争から人類を守るには、帝国主義(資本主義)を打倒し、社会主義(資本主義の打倒の上に築かれる、ユートピアにもとずくまったく新たな社会)を実現なければならない。
そして「若干のテーゼ」(1915、レーニン全集㉑)で、第一次大戦に対する戦略的対応を、次のように提起した:
①戦争を支持する党派とは絶対に協力しない
②ボリシェビキによる権力の掌握で、
③各国に、植民地・民族解放の講和を要求。
④革命戦争:ロシア植民地の反乱、ヨーロッパのプロレタリアート反乱
また、和田によれば、レーニンの「社会主義」のモデルは[ブハーリンの示唆で]ドイツの戦時統制経済であった。
9 レーニンが1917年10月に、ボリシェヴィキ党内のカーメネフやジノビエフの反対を振り切って武装蜂起⇒「ボリシェビキ党独裁」に踏み切れたのは、以上のような「帝国主義戦争」によるロシア帝国崩壊の危機に対する対応――帝国主義戦争からの離脱という戦略をもっていたからであった。
だが「帝国主義戦争からの離脱」は、休戦・講和・兵力の引き上げですむような容易なことではなかった。
その後の「ヨーロッパ革命の敗北」とソ連「一国社会主義の建設」の過程は、第一次大戦によって始まった世界史の段階が近代国家間の「総力戦」の時代であることを示している。
和田は、「総力戦」の時代の特質を次のように描く:
(1)総力戦態勢の構築とは、①国民国家の成立、②労働者・農民の国民国家内への統合)、
(2)戦争による工業の発達、工業の発達による大量破壊兵器の発達
(3)勝敗を決定する要因は、(戦場ではなく)体制の維持(それを左右する国家、科学技術、民族)にある。
また、両大戦を1つの世界戦争と捉える:
第一次大戦→戦間期→第二次大戦→冷戦→第三次世界戦争への恐怖
「戦争と平和の問題が世界史の第一義的問題であった」67p
こうして、レーニンのロシア革命によって、「社会主義」は、「ユートピア」から「世界戦争の時代の総力戦体制の構築」の問題へと現実化した。言いかえれば、「社会主義」は、ユートピアから「総力戦体制としての国民国家」に国民を結集するための看板となった。
10 では、「社会主義」は、「総力戦体制としての国民国家」の看板としてほんとうに有効であったか?事実は、ヨーロッパ最強のヒトラー・ドイツの軍事攻勢を一手に引き受け、3000万人の犠牲を払って文字通り「総力戦」を勝ち抜いたのは、ソ連「反帝国主義戦争」ではなく、「ロシア大祖国戦争」であった(大木毅『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』岩波新書2019)。「社会主義」は、看板としても機能しなかった。
和田はこうして、レーニンやスターリンのソ連を「社会主義」という基準で評価する[それは「社会主義」自体が空想の産物であるから不可能だ]代わりに、「総力戦体制としての国民国家」として、歴史的に評価することを提案している。
11 ここからは、わたくし(=矢沢)の見解である。
合わせて30年に及ぶ両大戦は、敗戦国だけでなく、戦勝国にとっても、過酷な総力戦体験であった。戦争の犠牲者は、軍人・兵士だけでなく国民全般に及んだ。戦争の惨禍は、戦場だけでなく、国土の隅々に及んだ。その結果、世界大戦の終結は、各国を「総力戦のための国民国家」から「国民福祉のための国民国家」へと転換させた[国土が戦場とならなかった米国は事情が異なるが]。
ソ連も例外ではない。スターリンは依然として「社会主義」の看板は掲げていたが、戦争は望んでいなかった。「帝国主義戦争に備える総力戦体制の構築」というレーニンの「社会主義」は、第二次大戦の終結とともに終わった。
「戦争と革命の時代」は、第二次大戦とともに終結したのだ。
ところが「終わっていない」と考えたのが、毛沢東だ。毛沢東は、フルシチョフの「平和共存」に反対し、米国だけでなくソ連「社会帝国主義の戦争発動」に対しても備える「総力戦体制」をつくろうとした。そして、人民公社・大躍進、文革を発動し、失敗した。
毛沢東時代を否定した鄧小平は、そして、鄧小平を引き継いだ習近平は、毛沢東の「帝国主義戦争に備える総力戦体制の構築」という「社会主義」についても否定したのだろうか。[これについては、別の機会に論じたい。]
(註)近代資本制の解明に、マルクスは『資本論』を書いて先鞭をつけたが、マルクスがじっさいにまとめた研究は、その執筆プラン「資本、土地所有、賃労働。国家、外国貿易、世界市場」の前半に留まる。後半の「国家、外国貿易、世界市場」は、ほとんど手つかずであった。そのため、マルクスの資本主義像は、第一に、「一国資本主義的」になった。第二に、資本主義国家の動向--とくに資本主義列強を頂点とする諸国家・地域の世界編成――が描かれなかった。そのため、マルクスの国家認識は、「階級支配の道具」といった対内国家論に留まり、「対外戦争のための体制」という対外国家論――主権国家論・国民国家論――に及ばない。
参考:
①矢沢国光、2019 年 5 月 18 日世界資本主義フォーラム・矢沢報告資料 「暫定・資本主義像」
https://2a740400-c582-422a-b08e-931f276ca7b8.filesusr.com/ugd/eaeae1_c83972facee741298bf0579636866389.pdf
②矢沢国光、資本主義国家の成立――世界資本主義論の再構築のために
https://2a740400-c582-422a-b08e-931f276ca7b8.filesusr.com/ugd/eaeae1_23c78d685ac9432fba243241bff5f386.pdf
③矢沢国光、10.31 世界資本主義フォーラム報告「ドイツ帝国と第一次大戦 資本主義と国家の結合(2)」
https://2a740400-c582-422a-b08e-931f276ca7b8.filesusr.com/ugd/eaeae1_cccef1ce7dd64077b0be34c611405c8f.pdf
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔study1177:210711〕
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