日本の政治家はもっと知性を
- 2021年 9月 11日
- 時代をみる
- 政治家盛田常夫
ハンガリーでも来年の総選挙に向けて、与野党が激しい攻防を続けています。9月中旬には野党の共同首相候補が選出されます。これにたいして、与党は「ストップ・ジュルチャーニィ、ストップ・カラチョニィ」の署名活動を始めました。
とくにブダペスト市長のカラチョニィが野党の共同首相候補になることを恐れる与党は、カラチョニィ批判を強めています。その際、「オルバン首相は英語を話せるのに、カラチョニィは英語の上級資格をもっていない。オルバン首相はCNNのインタヴューに応えることができる語学力をもっている」というのもカラチョニィ批判の材料です。
ハンガリーでは大臣になるためには大学を卒業していることが暗黙の必要条件で、卒業のためには語学の国家試験をパスしなければなりません。これをパスしない限り、正式な卒業認定を受けられない仕組みになっています。
もっとも、外交交渉で首相や大臣が通訳なしで外国の政治家と話し合うことはありませんから、政治家が語学の達人である必要はありません。ただ、CNNのインタヴューを受けたり、首脳会合で簡単な会話ができる程度の語学力は必要です。したがって、欧州では政権のトップに立つ政治家には、それなりの学力と知性が求められます。それなりのエリートでなければ、政権のトップに立つことはできません。
ここが日本と違うところです。菅首相を見ていると、日本の政治家の質の悪さが目立ちます。田中角栄のように、学校は出ていなくても、独立国としての日本に誇りをもち、アメリカと対等に向き合おうとした政治家もいますが、今の政治家にはそういう世界観がないだけでなく、基本的な学力や知力が不足しています。
ASEANをアルゼンチン、原爆を原発、「コロナ対策に専念」を「専任」などと言い間違えたり、原稿を読み飛ばしても気づかなかったり、というのは、基本的な学力が欠如しているからです。原稿なしには喋れないのは、いろいろな集団の頂点に立って、人を導いた経験がないからです。
いかなる集団であれ、多くの人を率いてきたエリートとしての経験や矜持がない人に、トップは務まりません。まして、基本的学力に欠ける人は、いかに周到に準備された原稿でも、まともに読むことすらできないのです。
基本的な学力がなくても首相になれる日本は先進国の中でもきわめて特異な国です。日本村の政治に必要なのは、学力、知力や世界観ではなく、親分―子分関係と恫喝力です。不思議な国です。これならヤクザの親分でも、首相が務まりそうです。
麻生・安倍両元首相はカリフォルニア大学とロンドン経済大学の卒業としていましたが、イギリスやアメリカの語学学校通いを、大学卒業として誇大に宣伝していただけです。学歴に箔を付けるために虚偽の履歴を公表していたわけですが、たとえ語学学校に1-2年通ったとしても、簡単な会話以上の語学はできません。
週刊新潮によれば、小泉進次郎のコロンビア大学大学院進学は政治的コネだったようです。偏差値がきわめて低い大学からアメリカの名門大学へまともに進学できるはずもなく、多くの人はコネ入学だと推測はしていましたが。大学からTOFEL600点を入学条件とされ、1年は語学学校に通い、それから1年で大学院政治修士課程を卒業したことになっています。1年程度の語学学校通いで、英文論文など書けるわけがありません。
この程度のにわか勉強で修士号を取得できるのは、勉学でも強力な支援者がいただろうことは想像に難くありません。それでも、日常の挨拶程度の語学ができることは国際的な場面で役に立つこともあるでしょう。「sexy」発言のように。ただそれだけのことです。日常会話が多少できることを「語学ができる」とは言いません。
日本の政治家が欧州の政治家のように、学力と知力を備えることができるのはいつの日でしょうか。100年経っても、あまり変わらないのでは、と思ってしまいます
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