政治家も官僚ももっと本気で ―「ばらまき」が失礼などと言ってる場合か
- 2021年 10月 15日
- 時代をみる
- 田畑光永経済政策財政
11日の本ブログで岸田新首相の所信表明演説を論評した際に、岸田氏が「危機に対する財政支出はちゅうちょなく行い、万全を期します。経済あっての財政であり、順番を間違えてはなりません」という言葉を批判した。その際に、財務省事務次官の矢野康治氏が『文芸春秋』11月号に寄稿した文章を援用した。矢野氏の所論が現在の日本の財政状況を簡明に説明していたからである。
ところがこの矢野氏に対して、自民党の高市政調会長が批判の声を上げた。その批判は主にテレビ番組での発言であるためにきちんとした文章にはなっていないのだが、趣旨は、矢野氏が「最近のばらまき合戦のような政策論を聞いていて、黙っているわけにはいかない」と書いているのに対して、「政治家は選挙によって選ばれた国民の代表である。その政治家のすることに官僚が『ばらまき合戦』などというのは失礼である」ということのようだ。
この発言にも驚いた。この人は国民の代表である国会議員は「一段偉い人間である」と思っているようだ。だから国民の召使たる官僚如きが議員のすることに軽々しく「ばらまき」などと言うのは「控えおろう!」ということになるのだろう。
とんでもない錯覚だ。衆議院議員のことを代議士とも呼ぶが、その名の通り、忙しい国民に「代わって」物事を考えるのが議員の仕事であって、別に人間が偉くなったわけではない。生活費(歳費・月額129萬4000円)のほかに「文書通信交通滞在費」(月額100万円)まで支給され、おまけに公費で秘書までついているのだから、しっかり人の話を聞いて勉強するのが政治家の仕事である。
高市氏がここまで思い上がったのには、先の自民党総裁選挙で安倍元首相の応援のおかげらしいが、とにかく予想以上の国会議員票を集めたことが大いに影響しているのであろう。政治の世界ではこういう人間の小ささ、愚かしさが時に露骨に表れて、なんとも憮然たる思いにとらわれる。
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さて、以上はじつは、これから書くことの前置きである。というのは、この高市発言は軽薄な思い上がりにすぎないにしても、じつはその裏には野党各党に対する政府与党の新政調会長としての顔つなぎのご挨拶の意味があったのではないか、というのが、本題である。まあ、私の勘ぐりかもしれないが・・・。
どういうことか。コロナ禍をこれ幸いと財政出動の理由にするのはなにも自民党だけではない。今度の総選挙の公約ではいくつもの政党がさまざまな名目で現金を配ることを掲げている。まさに「ばらまき合戦」である。昨年は国政選挙がなかったから、1人10万円給付から始まって、ゴーツー何とかやら、飲食店への救済金やらはみんな政府与党のお手柄となってしまった。
今度の選挙でやっと野党にもチャンスが回ってきたわけで、それぞれが思い思いに現金配布を打ち出している。そこで、「ばらまき合戦」を「失礼な言い方だ。基礎的財政収支(の黒字化)にこだわり、本当に困っている人を助けない。こんなバカげた話はない」という高市発言はバカげた理屈だが、そこには「ばらまき合戦」と言われて野党各党が感じる後ろめたさを幾分和らげる効果がありそうだからである。
高市氏が言うように「本当に困っている人」だけに現金を配ることが出来るなら、規模もそれほど大きくならないし、立派な緊急対策と言えるだろう。しかし、そんなうまい方法はない。「本当に困っている人」を誰がどうやって判定するのか。きちんと判定しようと思えば、相当な人手と時間と経費がかかるだろう。場合によっては配布する金額よりもはるかに多額が必要となるかもしれない。
したがって昨年の一律10万円もまさにそうだったが、配るとなれば大づかみにならざるを得ない。だから一日4万円とか6万円とかの飲食店の休業補償が一部で「コロナ景気」、「コロナ・ブーム」などと喜ばれたりもする。
そんなことは自明なのに各党が公約に現金配布を掲げるのは、むしろその無駄こそが狙いと見られても仕方があるまい。べつに今日、明日の暮らしに困っていなくても、現金をもらってうれしくない人はいない。「配っても預金を増やすだけ」という矢野次官の所説は正しいが、選挙で票を合法的に金で買うためと考えれば、目的合理的な公約である。
しかし、だからと言って、各党が似たような公約を掲げるのは無意味である。多くの党が現金配布を約束すれば、その効果は減衰するし、選挙後にはどんな形にせよ、なにがしかは配布しなければなるまい。財政に対する後遺症も確実に残る。
災厄、災害となれば、国会は一も二もなく政府に緊急財政出動を迫るのがお決まりであるが、その迫り方はむしろ野党の方が積極的である。そしてその分をほかの支出を削って埋め合わせるということはまずない。財務省の抵抗を押しきることが政治の力という錯覚は高市氏ばかりでない。むしろ野党の方に強いかもしれない。
おそらくそれは、役所は与党の味方であり、与党の言うことばかりに耳を傾けるのだから、役所の言い分を押し返すことが野党の本分と考えているからであろう。私はそれが財政健全化のためには大きなマイナスの働きをしていると考えている。
今度の矢野発言問題で経済同友会の桜田謙悟代表幹事が12日の記者会見で、「書いてあることは事実だ。100%賛成する」と述べたという記事(10月13日・『日本経済新聞』朝刊)が印象に残った。正直に言えばイヤな感じである。
矢野氏の文章は、言っていることに間違いはないにしても、財政を救うためには十分に利益を上げている企業に幾分たりとも負担を求めるという姿勢がないのが、私にはなんとも物足りない。一方、それを敏感に感じ取った財界が「100%賛成」と歓迎するのは見たくもない構図である。イヤな感じの元である。
11日の拙文でも書いたが、2019年度の企業の内部留保(利益剰余金)は475兆円にも達している。国家的緊急課題である財政再建になんらかの形でそれを動員しない手はないと思うのだ。前文では「政治家、官僚の頭の使いどころ」と書いたが、素人の私でもいくつかやりようがあると感じるのだから、専門家にはさまざまな知恵があるはずなのだ。
そこに政治家も官僚も目を向けないのがなんとももどかしい。それは「経済界は敵にしたくない」という思惑が、政府、与党ばかりか、野党にもしみわたっているという状況が反映しているのではないかと思えてくる。
「タイタニックが氷山に衝突する」という警告は大事だが、それを言えばすむという問題ではない。財政破綻という惨事を避けるための非常手段をテーブルに載せるのが官僚の責務であるし、それを真剣に討議するのが政治家の仕事のはずだ。失礼だの無礼だのと呑気なことを言ってる段階ではもはやない、と思うのだが。
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