ロシア古儀式派に関する素人談義――下斗米教授の講演に触発されて――
- 2021年 10月 15日
- 評論・紹介・意見
- 下斗米伸夫古儀式派岩田昌征
10月9日(土)、世界資本主義フォーラムのオンライン研究会で、神奈川大学特別招聘教授下斗米伸夫氏による講演「ソ連崩壊30年――プーチン・ロシアの世界戦略を理解するために」を聴いた。
非専門家の私=岩田の印象では、ロシア・ソ連・ロシア近現代政治史を論ずる日本人研究者集団の中で、下斗米氏は、17世紀後半以来の古儀式派の社会的存在の意味を重視強調する点で特異な光彩を放つ 。
周知のように、サンクトペテルスブルグに 首都を構えたロシア帝国は、18世紀以来、古儀式諸派を弾圧しつつ、外はオスマン帝国を圧迫しつつ、東中欧の強国としてヨーロッパ国際政治に登場した。西欧中欧では主に悪役、嫌われ役であった。マルクス、エンゲルスのロシア嫌いは顕著であった。古儀式派が 反キリストとみなした帝国正教会は、そのような国際環境においてロシア帝国の対内的結集性と対外的正統性を保証し、供給し続けて来た。すなわち、帝国正教会内部には国家安全保障と軍事外交に関する本能的感覚が涵養されていた。
それに対して、古儀式派の諸セクトは、国家権力に圧迫される伝統貴族、農民層の一部、新興商工業者による自生的経済社会生活の宗教的・精神的支柱となって、西欧の資本主義的近代化における プロテスタントの役割に相似する役割を果たしたと思われる。しかしながら、西欧プロテスタントとは異なって、自己の独立諸国家を帝国に対抗して創設することはなかった。それ故に、近現代世界を生き抜くに最も必要な技能を体得するチャンスが古儀式派には元々欠如していた。国政と軍事外交を一体となして、こなしていく技能の欠如である。
それゆえに、例えば、プロテスタント・プロイセンのビスマルクのような政治家、ハプスブルグ帝国やフランス・ナポレオン3世帝国を手玉に取るような国政家を生み出す社会的土壌は、古儀式派の伝統の中に不在であった。革命家を輩出する土壌になったとしても。
ここで質問である。下斗米氏が主張するように、革命後のソ連政権首脳に古儀式派家系の人物があれほど多く存在していたとしたら、その事実が革命国家の国内秩序形成と国際外交に直接的、あるいは間接的にいかなるプラス、マイナスの作用をなしたのであろうか?
古儀式派は、司祭容認派(ポポーフシチナ)と司祭否認派(ベスポポーフシチナ)に大別され、夫々が数多くの独立諸派に分かれる。対するロシア帝国正教会の方も、帝国内では統一組織体であっても、帝国外の諸国家・諸民族の正教会とは同列の一教会にすぎない。カトリック教会のように諸国家・諸民族のカトリック教会を全体の完全な一部となす世界的ヒエラルキーをなしていない。Autocephalous(独立、自立)である。
ここに一つの謎がある 。下斗米氏がそう努力しているロシア革命を宗教的伝統の中においてみた時の謎である。社会主義革命がロシアで成功した直後、レーニン等の革命家は、Cominternを創設した時、カトリックの普遍教会を模倣したかの如く、カトリックと同じ組織原理をCominternに採用した。各国共産党は、世界共産党の、例えば日本支部、ブラジル支部として発足した。1943年のコミンテルン解散以後、各国共産党の関係は、諸正教会関係のごとく、Autocephalousとなった。その後、各地域で新左翼諸グループが誕生し、まるで古儀式諸派のごとくである。
何故、レーニン等は、ロシアの伝統に反するようなカトリック教会流の世界党を組織したのか。古儀式派系のボリシェヴィキ指導者が多いというのに。
下斗米氏は、 ボリシェヴィキと古儀式派の濃い関係を、司祭派(ポポーフシチナ)の富豪サッバ・モロゾフが作家ゴーリキーを介してレーニン党に資金提供していた事実によって例証する。
私=岩田は、この論脈でゴーリキー作『どん底』が古儀式派的ロシア世間のドラマであると解釈する。私見によれば、『どん底』の主要人物は、木賃宿の亭主コストゥイリョフ(54歳)と巡礼ルカ(60歳)である。『どん底』の舞台は、木賃宿の地下室であり、そこに何人かの零細職人たちが 木賃を払って雑居している。突然、ルカ老人が「旦那衆、ごきげんよう!」と出現する(第1幕)。そして、殺人事件の騒動の中、殺人犯でもないのに突然姿を消す(第3幕)。他の世俗の登場人物たちは、ルカの影の下で談論する(第4幕)。
私=岩田の印象によれば、ルカ老人は、古儀式派の中の逃亡派(ベグーンストヴォ)に属する巡礼であろう。
ピョートル大帝が開始した上からの近代化は、古儀式派の民衆にとって反キリストそのものであった。身分証明書所持義務、農奴制強化、兵役義務、人頭税、西欧式工場、西欧的同業組合等の反キリスト世俗世界からの逃亡に救いを求めた。逃亡派は、二つの部分から成る。一つは、実際に実世界から離れて一生を巡礼して過ごす者。もう一つは、逃亡生活に共感しながらも世俗世界から離れられなかった者は、身分証明書・旅券を持たぬ巡礼=逃亡者(ベグーヌイ)を匿う掟に従う。ジローブイエと呼ばれ、ベグーヌイに隠れ家と生活の糧を提供する巡礼受け入れ者たちである 。
ルカ老人は、ベグーヌイ。地下宿の持ち主コストゥイリョフは、親の代まではジローブイエであったが、本人は帝国の世俗になじみ、帝国正教会に改宗していた。そして、本来は隠れ家である地下室を木賃宿に転換していた。そんな事情を知らなかったベグーヌイのルカ巡礼が突如木賃宿に飛び込んで来た。そこから、ドラマ『どん底』は始まる。これが私の解釈。
ルカ老人が古儀式派であることは、翻訳では直接見えてこないが、ロシア語の原本を見れば すぐわかる。知人のロシア語通訳から借用したソ連時代に出版された『どん底』(На дне)で確認すると、ルカ老人の発言「イエス・キリストさま」(岩波文庫、中村白葉訳、pp.81、83、100)、や「やれやれ…」(p.103)は、全て呼格で、Gospodi Isuseになっている。主格ではIsusである。手元の小学館、三省堂のロシア語辞典にはIsusはなく、Iisusだけである。Iisusが帝国正教会の、Isusが古儀式派の綴りではなかろうか。ただし、セルビア語でもクロアチア語でも、すなわち正教国セルビアでもカトリック国クロアチアでもIsusである。
訳者中村白葉は、解説の末尾で「ルカは、本篇に登場する十指に余る人物のことごとくがしっかりと大地に足をつけた現実的人物である中にあって、ひとりやや架空の人物めく感銘を与える存在である。これはいわば、ゴーリキィの嘘の哲学、夢の教理の説教者であって、この篇におけるゴーリキィの思想の代弁者である。」(p.168)と評価する。しかしながら、古儀式派の逃亡派(ベグーンストヴォ)が実在であったことを考えれば、ルカの架空性よりも現実性を見たほうが『どん底』は面白くなろう。ルカ老人は、自身は逃亡派のベグーヌイだと正面から告白していないにしても、他人事を装ってか、「そんな話はな、無僧宗のとこへでも行って聞かすがいいんだ……そういう人たちがいるんだよ、それが無僧宗といってね…」と正体を示唆しているようだ。ここで「無僧宗」は「司祭否認派(ベスポポーフシチナ)」の別訳である。それにまた、『どん底』の有名な劇中歌「明けても暮れても牢屋は暗い」は、帝国正教会と組んだ帝国官憲につかまった古儀式派信徒達が獄中で歌っていたものだったかも知れない。
下斗米氏に私の『どん底』論を古儀式派研究から評していただきたい 。
下斗米氏は日本における古儀式派研究の蓄積について若干触れておられたがN.M.ニコリスキー著『ロシア教会史』(宮本延治訳、恒文社、1990年)の意義については全く言及されなかった。私などの古儀式派に関する知識は、殆どソ連科学アカデミー通信会員ニコリスキーの本書による。本文500ページに近いこの訳書に言及しないで、日本における古儀式派研究を云々できるのだろうか。
令和3年10月11日(月)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
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