本間宗究(本間裕)の「ちきゅうブッタ斬り」(330)
- 2021年 10月 23日
- 評論・紹介・意見
- 本間宗究本間裕金融
一寸の虫にも五分の魂
「西洋の思想」では、「魂を持っているのは人間だけである」ということが一般的な理解となっているようだが、「東洋の思想」では、反対に、「一寸の虫にも五分の魂」の諺のとおりに、「すべての動物に魂が存在する」と理解されている。あるいは、「梅原猛氏」が主張する「草木国土悉皆成仏」という考え方のように、「大自然に存在するものは、すべて、神や仏と、インドラの網で繋がっている」という認識も存在するようである。
より具体的に申し上げると、「138億年前に誕生した大宇宙」、そして、「46億年前に誕生した地球」からの「大きな流れ」を考えると、「人間のみならず、すべての存在に、魂が存在する」という理解の方が正しいものと感じられるのである。別の言葉では、「動物の生態」を見ると「心の存在」を確信せざるを得ない情況でもあるが、この点に関して注目すべき事実は、「人間には、言葉による智慧の蓄積があり、また、高度な分業体制の発展により、高度な技術文明が存在する状況」とも思われるのである。
つまり、「数千年前から、人類が、どのような発展の歴史を辿ってきたのか?」を考えると、結局は、「大自然の仕組みを理解する自然科学」、そして、「人間社会の仕組みを理解する社会科学」の発展によるものと思われるのである。別の言葉では、最初に、「自然科学」が発展し、その後に、「社会科学」が追いつく展開のことでもあるが、現在の問題点は、やはり、「11次元にまで達した自然科学」に対して、いまだに、「3次元や4次元の段階にとどまっている社会科学」とも言えるようである。
より具体的には、「人類の欲望の塊」、あるいは、「悪魔のひき臼」とも言える「マネーの存在」により、「大自然が破壊され、人類の生存そのものが脅かされた状況」のことである。そして、この問題を解決する方法としては、「法界(ほっかい)」に存在する「神の智慧」を「人間社会」に移行することとも思われるが、この時に、大きな役割を果たすのが、「量子力学」や「分子生物学」などの「ミクロの分野」とも想定されるのである。
つまり、「目にも見えず、言葉にも聞こえない神の智慧」については、「霊感」や「直観」などの、いわゆる「インスピレーション」でしか到達可能な状況とは言えないのである。そして、この方法を実践したのが、「エジソンなどの数多くの先人」であり、実際には、「99%の努力(パースピレーション)」の後に、初めて、「神の智慧」に到達するわけだが、現代人の問題点は、「お金や地位や名誉などの『人爵』を求めるだけで、『天爵』という哲学や思索などで得られる境地を軽んじている状況」だと感じている。(2021.9.20)
------------------------------------------
天皇陛下の玉音放送
1945年8月15日、「天皇陛下の玉音放送」により、多くの国民が、日本の敗戦を知ることとなった。「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、以て万世のために太平を開かんと欲す」という天皇陛下の言葉により、その後、戦後の日本復興が始まったわけだが、今回の「眞子内親王の暴走婚」を見ると、「戦後の77年間は、いったい、何だったのか?」と悩まざるを得ない状況のようにも感じている。
具体的には、「天皇陛下バンザイ」と叫び、玉砕した多くの国民は、当時、「何を耐え、何を忍んできたのか?」、あるいは、「戦後の象徴天皇とは、いったい、何だったのか?」ということである。つまり、「明治維新後に、再び、絶対的な権力を与えられた天皇陛下」に関しては、基本的に、「富国強兵」を実現するために、「廃仏毀釈」により「お寺を毀し、地蔵の首を切ってまでも、強引に、『君が代』の意味する『天皇陛下の時代が永続する状況』を作り出したかった思惑」が存在するものと考えられるのである。
別の言葉では、今から、ちょうど800年前の「1221年」に発生した「承久の変」では、「天皇が戦いに敗れた結果として、権力や土地を失い、島流しにあった」という状況だったのである。そして、その後、「1868年の明治維新」までは、「600年以上も存在がないがしろにされた状況」だったわけだが、当時の薩長政府にとっては、「仏教よりも、神道の方が、日本の西洋化にとって好都合である」と理解されたようにも感じている。
つまり、「1868年から1945年」までの「77年間」については、「武力による帝国主義」が実験された状況であり、また、「1945年から現在」までの「77年間」については、「資金力による世界の富の奪い合い」に奔走してきた状況だったのである。別の言葉では、「パンとサーカス」で崩壊した「1600年前の西ローマ帝国」と同様に、「日本」のみならず、「世界の先進各国が、有り余るマネーが生み出す「狂宴」に酔いしれていた状況」でもあったが、今回の「眞子内親王の結婚問題」により、一挙に、酔いが醒めた可能性も考えられるのである。
より具体的には、「軍部の暴走」で崩壊した「日本の軍国主義」が、現在の「官僚の暴走で崩壊寸前の状態に陥っている日本の国家財政」に重なって見えるわけだが、実際のところ、「スポーツやスクリーン、そして、セックス」という「戦後の享楽的な3S政策」の影響で堕落した日本人にとっては、「目先の生活を楽しむ刹那的な人生」により、「思考が失われた状況」となっている可能性も考えられるようである。(2021.9.23)
------------------------------------------
30年前と現在との違い
「中国不動産のバブル崩壊」について、「30年前の日本」と似ている点が指摘され始めているが、この理解には、大きな注意が必要だと感じている。つまり、表面上の「不動産バブル崩壊」については、確かに、「30年前の日本と同様の展開」になるものと思われるが、大きな違いとしては、「世界的な金融システムの脆弱性」が指摘できるのである。
具体的に申し上げると、「1990年の日本バブル崩壊」で発生した不良債権は、その後、「金融機関」、そして、「国家や中央銀行」に移行したわけだが、当時の情勢としては、「金利低下による金利負担の減少」が発生したことも理解できるのである。つまり、「デリバティブのバブル発生により、世界の金利が急低下し始めた」という事実により、今回の「中国のバブル崩壊」とは違い、問題の先送りが容易な状況だったのである。
しかも、「1991年のソ連崩壊」が、「共産主義諸国の資本主義化」という結果をもたらし、このことも、結局は、「世界的な金利低下」に貢献したわけだが、今回は、反対に、「米中の対立激化」により「世界的な信用が失われ、金利が上昇している状況」となっているのである。つまり、「マネーの根本」である「信用」が減少しているために、「1971年」から始まった「信用本位制」とも呼ぶべき「現在の通貨制度」が破たんしかかっており、その結果として、「大量のデジタル通貨」が存続の危機に直面しているのである。
より具体的には、「デジタル通貨の大量創造」が産み出した「DX革命」というのは、基本的に、「アナログからデジタルへ」という「情報や資金の効率化への動き」が、大きな原因だった可能性のことである。つまり、「情報の一部だけを切り取っているデジタル化」については、「マクロ物理学の申し子」とも言える状況だったようだが、今後は、「アナログ化」が必要とされる「ミクロ物理学」の時代が始まるものと思われるのである。あるいは、「東洋の唯心論」が発展することにより、「西洋の唯物論」で忘れ去られた「心の謎」が、深く解明され始める状況も想定されるが、この時に発生する変化は、「デジタル通貨に関する世界的な疑問」とも思われるのである。
つまり、「デリバティブという金融商品」が中心となって産み出した「大量のデジタル通貨が、人々の欲望を過剰に刺激し、その結果として、世界的な環境破壊や異常気象に繋がった可能性」が検証し始めるものと思われるのである。しかも、現在では、すでに、「マネーの収縮」が始まっており、実際のところ、「1600年に一度」ともいうべき「マネーの大膨張」は、いまや「過去の歴史」となった状況とも言えるようである。(2021.9.24)
本間宗究のコラムhttp://www.tender-am.com/column.html より許可を得て転載。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion11414:211023〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。