女性・女系天皇容認論の立ち位置
- 2021年 11月 16日
- 評論・紹介・意見
- 天皇制澤藤統一郎
(2021年11月15日)
秋篠宮家の長女が結婚して皇族から離脱した。皇族の女性が一人減ったということは、女性天皇を認めた場合の有資格者が一人減ったことにもなる。
天皇という地位は世襲とされている(憲法第2条)。世襲とは血統でつながるということだから、血統でつながる者がいなければ、天皇という地位はなくなる。いわば、天皇制が自然死を迎えることになる。もちろん、無理に傍系をたどれば血統のつながりは無限に広がるが、天皇の場合そうはいかない。
皇室典範第1条が皇位継承の資格を「皇統に属する男系の男子たる皇族」に限定していることから、天皇候補の有資格者払底のリスクが高まっている。これに関連して、女性・女系天皇の可否をめぐる議論が盛んである。つまりは、皇統の絶滅防止の観点からの女性・女系天皇容認が議論の発端なのだ。
男系男子にこだわれば、傍系を探して天皇に就けることになるが、右翼にとっても、天皇信仰者にとっても、血統愛護者にとっても、ちっともありがたくない天皇が生まれることになる。
マルクスが喝破したとおり、君主の主要なる任務は生殖にある。しかも、天皇家の場合、男子を産まなくてはならない。これは、皇位継承者とその妻にとって大きなプレッシャーである。大正天皇(嘉仁)以来、側室制度はなくなった。今さら復活も出来まい。
皇統大事の保守派は「天皇制自然消滅」への危機感をもった。その危機感が、小泉政権時の「皇室典範に関する有識者会議」となり、女性・女系に皇位継承資格を拡大する内容の報告書をまとめている(2005年11月24日)。
しかし、この保守派の思惑に対する右翼の抵抗は大きい。たとえば、産経新聞コラム「政界徒然草」(2021.4.7)は、《有識者会議があぶり出す「革命勢力」 女性天皇と「女系天皇」が持つ意味》というおどろおどろしいタイトルで、こう言っている。
「皇位は初代の神武天皇から現在の天皇陛下まで126代にわたり、一度の例外もなく父方に天皇がいる男系が維持されてきた。「女系天皇」はその大原則を破るのだが、肯定する勢力がこの機に乗じて動きを活発化させている。」
これ、100年前の記事ではない。へ~え、右翼って大真面目にこう思っているんだ。ところで、この論者から「革命勢力」という讃辞を得た女性(ないし女系)天皇容認論だが、リベラルなものだろうか。あるいは憲法適合的なものだろうか。
女性(ないし女系)天皇容認論は、天皇や天皇制の存在を前提とする保守性と、性による差別を否定する進歩性を併せもっている。天皇就位の性差別を是正したところで、所詮は天皇や皇族という身分差別容認の枠内でのこととして迫力はない。むしろ、女性天皇容認は「安定的な皇位継承策」の一策として語られ、天皇制の自然死を防止する役割を期待されるものとなっている。
リベラルな論調で知られる東京新聞の社説(2021年8月10日)が「皇位継承論議 新しい皇室像を視野に」(2021年8月10日)、「皇位継承策 議論の先送りをせずに」(2021年8月10日)などの社説を掲げている。同旨なので、後者を抜粋して紹介する。
「安定的な皇位継承策を議論する政府の有識者会議が中間整理案をまとめた。女性宮家案か、旧宮家の皇籍復帰案かの二つだ。」
「現在、皇位継承権を持つのは秋篠宮さまと悠仁さま、八十代半ばの常陸宮さまの三人だけだ。悠仁さまの時代に十分な皇族の数を維持できなくなる…。そんな危機意識を踏まえた論議である。」「そもそも論点は既に出尽くしており、議論の先送りはもう避けたい」
要するに、天皇制を維持するためには、一刻も早く、女性・女系天皇を容認せよというのだ。両性の平等の主張の如くに見えて、実は家制度を守ろうという主張ではないか。
個人の尊厳や法の下の平等が常識となっているこの時代に、憲法上の世襲の制度を守ろうというのが、時代錯誤の奇妙さの根源なのだ。
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2021.11.15より
http://article9.jp/wordpress/?p=17962
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〔opinion11491:211116〕
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