書評「ニーベルンゲンの歌」-ジーフリトとクリエムヒルトの悲劇の物語
- 2021年 11月 18日
- カルチャー
- 合澤 清
『ニーベルンゲンの歌』相良守峯訳 前篇・後篇二冊(岩波文庫1966)
“Das Nibelungenlied”
*今回は前篇に限って感想文を書いてみました。
ブルグンダー(Burgunder)という名前のワインがある。なかなかおいしいワインだ。ラベル表示はドイツ語だし、ドイツで買ったものだったため、特に注意することもなくドイツ産のワインだとばかり思っていた。
最近になって、偶々この本を再読する機会があり、恥ずかしながらやっと次の事に気付いた。ブルグントがゲルマンの一部族であることは間違いないのであるが、ブルグント地方とはフランスのブルゴーニュ地方のことで、そこで作られたワインがブルグンダーと呼ばれているというのであった。
さて、この物語は、西暦1200年頃のものといわれているが、作者は不明である。色々な伝説や神話などをミックスしながら出来上がったものではないかという。もちろん、ホメロスやギリシア神話などからの影響も大いにあるようだ。
それにしてもこの一大叙事詩が展開する地域の広大なことには驚かされる。ライン川の周辺地域ばかりか、ニーダーラント(オランダ、ベルギー辺)、デンマーク、ザクセン(おそらく、今のニーダーザクセンの一部をも含むものかもしれない)、さては北欧からフン族が支配する小アジアや東欧などをも舞台として縦横に駆け巡る壮大な規模で展開されるのである。
主役である英雄ジークフリート(ここではジーフリトと呼ばれている)は、ニーダーラント(ニーデルラント)の王家の出身である。また、ジークフリートに愛され、夫婦になる「世にまたとあるまじき美しい姫」と形容されるクリームヒルト(この本では、当時の発音に従って、クリエムヒルト)はブルグント(ブルゴントと発音)国の生れである。
最初にこの本を読んだ時には耳慣れない「ブルゴント」などは委細構わず読み飛ばしていったのだが、さすがに今回はワインの名前と似ているため、気になって調べてみて先のことに気が付いた次第である。
この叙事詩のあらすじは、ワグナーのオペラ「ニーベルングの指輪」などでも周知だろうと思うが、ここではこの叙事詩を直接なぞりながら、感想などを述べさせていただこうと思う。
ニーダーラントに生まれ育った王子ジークフリートは、鍛え抜かれ、並外れた強靭な肉体と頭脳の持ち主ではある。彼は長ずるにつれて数々の戦に出陣し、並ぶもの無き武勲をあげる。
なかでも特筆すべきは、ニーベルンゲン国を攻め落とし、その守備の要たる強力無双の侏儒(アルプリーヒ)を降参させ、彼がもっていた「隠れ蓑」(これをまとえば、誰にもその姿が見えなくなる蓑)を奪い取る。実はこれが彼とその一族に禍を及ぼす悲劇の遠因になるのである。
また、彼は竜と対決し、これを切り殺したおりに全身に返り血を浴びて不死身となり、そのためどんな刃をもっても彼に手傷を負わせることができないのである【これは、ホメロスの『イリアス』に出てくる不死身のアキレウスの神話から借りたものであろう】。
この剛勇の王子が、絶世の美女として世に名高いクリームヒルト姫に求婚するため、ブルグント国のウォルムスでグンテル王が治める城にわずか12人の伴を連れて出かけて行くことからこの物語は始まる。クリームヒルトはこのグンテル王の妹にあたる。
ジークフリートは客人としてもてなされ、この城に暫く逗留することになる。
面白いのは、ジークフリートは自分が何のためにこの地に赴いたのかをグンテル達に話そうとしていないし、グンテル王の居城では(あるいはこの時代、すべての城での習わしだったかもしれないが)クリームヒルトおよびその母親ウオテは別棟に住んでいて、客人の接待にも出てきていないため、互いに顔すら合わせていないのである。そのため、ジークフリートは肝心の姫君にまみえないまま、帰郷しようとさえしている。
また、当時は騎士への叙任式というのがあった。これは認可を与える王侯・貴族が資格者(大概は若者であろうが)の一方の肩を剣や手などでたたくという儀式によって行われたそうであるが、最近の西洋史学者の研究では、叙任者が肩を思い切り「ひっぱたく」ことがあり、そのため資格者がその場で気絶したり、すっ飛ばされたりすることすらあったという。
更にすごいのが、武術の鍛錬を兼ねた練習試合である。実際には死者や大怪我をする者まで出たといわれる。この書ではその一場面が次のように描かれている。
≫ジゲムント(ジークフリートの父親)の宮廷で、いまや紅白試合がたけなわとなり、宮殿もまた居城もゆらぐばかりの響きがきこえて、意気軒昂たる勇士らは鬨のこえをあげた。手だれの老武者もまだ若い武士も烈しく撃ち合ったので、槍の柄は折れ飛んで、空中に唸りを発し、その破片があちこちの勇士の手から宮殿の方まで飛んでゆくのが見られた。このような戦いは真剣につづけられた。≪
こうしてみると、まさに弱肉強食、肉体的な強さが全てに勝り、ジークフリートはまさにその典型であるが、当時の王侯貴族は自ら強靭な肉体と武術を兼ね備えた戦士に他ならなかったのである。
そういえば、古代中国の『三国志演義』に出てくる英雄豪傑らも、大方は等しく強靭な肉体と豪胆な度胸をもつ人達だったように思う。私のような軟弱者は、到底生き伸びて行けなかったかもしれない。
「人間は自然状態にあっては、万人の万人に対する闘争の状態にある」というのはトマス・ホッブズの有名な言葉であるが、やはり時代を遡れば遡るほど、そうした自然状態に近い環境の中で生きることを迫られたものと思われる。
ジークフリートをこの地に引き留めたのは、外敵の侵入があるという報である。かつてグンテル王に仇なす、ザクセン国の君主リウデゲールとデンマルクの王リウデガストがウォルムスへ攻め入ろうと、宣戦布告の知らせをしてきたのである。
グンテルも両方から攻め込まれてはたまらない、重臣を集めて対策を練るのだがよい考えは浮かばない。それを察知したジークフリートが助勢を買って出て、自ら先頭に立って両軍に向かっていく。ここでジークフリートの獅子奮迅の戦いぶりが、実にリアルに描写される。これもホメロスが『イリアス』で描き出した英雄アキレウスの姿を彷彿させるし、『三国志演義』中の張飛が、曹操の100万の大群を前にして、ただ一人で立ちふさがる絵姿が目に浮かぶ。
ともかくも、ジークフリートは敵中深くただ一騎で突進し、ついには敵将のリウデガストとリウデゲールを捕虜としてウォルムスの城へと連れて帰るのである。
戦勝の祝いで、彼はクリームヒルトとその母ウオテに紹介される。
ジークフリートに課せられた困難はまだ続き、今度はグンテル王が美人の評判の高いイースラントのプリュンヒルト女王に求婚したいと言い出すのである。このプリュンヒルトという女王は、次のような大変な女丈夫である。
≫美しさ限りなく、膂力もまた素晴らしかった。勇壮なる武人を相手とし、愛を賭けて槍投の技を競った。また遠くへ石を投げ、更にそのあとを追って幅跳びをした。彼女の愛を得んとするものは、以上三種の競技において、確実にこの位たかき女王から勝たねばならなかった。その一種目たりと敗をとれば、彼は首を失うこととなるのだ。
乙女はこの勝負をどれほど度々おこなったかわからない。この由をライン河畔で、姿うつくしい騎士がつたえ聞き、その妖艶なる乙女に思いをよせたのである。そのためやがて多くの勇士が、命を失う仕儀とはなったのである。≪
まともに勝負すれば到底勝ち目がないにもかかわらず、グンテルはどうしてもプリュンヒルトを得たいと思い、家臣のハゲネの助言により、ジークフリートの助けを仰ぐことになる。
さてここで、どうしてジークフリートの手助けが必要なのか、本文には全く触れられていない。また、ハゲネがどうして突然ジークフリートの名前を持ち出したのかも不可解であったが、それらは次の訳者の脚注からおおよそ推察しうる。
それによると、「この叙事詩よりも起源の古い北欧神話によれば、ジーフリトは先にプリュンヒルトと恋仲になったのに、グンテルの母に忘れ薬を飲まされて、彼女との愛の誓いを忘却したことになっている。それゆえ彼はイースラント(アイスランド)における彼女の城下イーゼンステインのことをよく知っているのである。」
ジークフリートは自分の身分を隠し、あくまでもグンテルの家臣ということにして一緒にイーゼンステインに乗り込む。そして、例の「隠れ蓑」を使って、巧みにグンテルを援け、プリュンヒルトとの勝負に勝たせるのである。
ここで非常に気になるのが「身分」である。女王プリュンヒルトに結婚を申し込めるのは、王様という同等の資格者以外は駄目なのだ。いくらえらい家臣と言えども、「家臣」である限りは結婚相手にふさわしくないとみなされるのである。この「身分」からくる歯車の狂いが、ついにはジークフリートの死を招き、ひいては一族全滅の悲劇となって現われる。
さて次から、いよいよ悲劇的結末へと展開して行く。
先ず、無事にプリュンヒルトを自分の居城に連れ帰り、めでたく結婚式を挙げたまではよいのだが、花嫁がどうしても同衾してくれないのである。無理に同衾しようとすると、あの類い稀な力でねじ伏せられ、手足を縛られて壁につりさげられる始末。こうして最初の夜が明ける。どうしようもなく困り果てたグンテルは、またもジークフリートに相談を持ちかける。そしてジークフリートは再び「隠れ蓑」を用いて、二人でいる寝室に忍び込み、彼女をねじ伏せて、グンテルと交代する。
その際、≫彼(ジークフリート)は姫の手から黄金の指環を一つ抜きとったのだが、貴い王妃は一向それに気がつかなかった。そのほか、彼は彼女の帯をも奪ったが、それは上等の絹の打紐であった。それは彼が思い上がってしたことかどうかはわからない。彼はそれを妻に与えたが、それが禍の種とはなった。かくてグンテルと美しい姫とは相並んで臥した。≪
こうしてグンテルに恩を売ったジークフリートは、クリームヒルトを連れて故郷へと帰っていく。
やがて数年がたち、クリームヒルトもプリュンヒルトも共に男の子を儲け、それぞれが叔(伯)父の名前を付けられる。しかし、「安寧秩序の紊乱」とでもいうべきか、プリュンヒルトがふと、彼ら二人は自分たちの「家臣」であるはずなのに、なぜ挨拶に訪れようとしないのか、といぶかり始め、夫のグンテルにそのことを伝え、二人を招待するように仕向けた。道路がろくに整地されていないこの時代の旅は、いくら馬や車を使うからといっても甚だ不自由であり、危険であったという。しかし無事にウォルムスの城に到着し、さて歓迎の宴が催される。
当然ながらジークフリートは、身分的にはグンテルと同格であり、彼の真向かいに席をとる。プリュンヒルトにとってはこれがまず不可解なのである。「家臣の分際で」と。
更に、次の叙述からは、クリームヒルトとジークフリートへの嫉妬があったように思える。
≫プリュンヒルトは、時々世にも美しい王妃クリエムヒルトの顔を眺めやったが、彼女の輝く顔色は、黄金とその光を争うばかりであった。≪
≫1200人の勇士が、ジーフリトの食卓をかこんで席についた。王妃プリュンヒルトには、臣下として彼にまさるものは世にあり得ぬものと思われた。彼女は彼に愛情をおぼえて、彼をば世に存えさせたいと思った。≪
そしてついに、両王妃の宿命の対立が火ぶたを切る。
最初はどちらの夫が優れているか、の競い合いである。ここでも「家臣」か、同等か、同等以上かという、まさに中世の身分制社会にありがちな争いが伴侶のプライドをかけて戦われる。そしてついに、…。
≫王妃クリエムヒルトは(怒りに堪えかねて)いった。「口をお慎みになった方が、御身のためでしたろうに。ご自分できれいなおからだを辱かしめなすったのだ。いつの世に、側妻の身分で王妃になれたものがありましたか」…「きれいなあなたを最初に愛してあげたのは、夫ジーフリトです。」…「あの人が臣下なら何ゆえ愛をおうけになりました。」≪
そしてクリームヒルトがその証拠として取り出したのが、かの運命の「指環」と「帯」であった。
≫クリエムヒルトが再びいった、「私は盗人ではないはずです。あなたが名誉を重んじられるなら、黙っておられればよいのに。私が嘘つきでない証拠には、私がしめているこの帯をごらんなさい。夫は確かにあなたを妻としたのです。」彼女は宝石をちりばめた、ニニフェ産の絹布の帯をしめていたが、それは実に立派なものであった。王妃プリュンヒルトはこれを見ると泣き出した。彼女はその話をグンテル及びあらゆるブルゴントの家来に語らざるを得なかった。≪
こうして、両王妃間の抜き差しならぬ諍いの結果、グンテルとその臣下(特に筆頭の家臣で、親族でもあるハゲネ)は、王家の名誉を守るためにジークフリートを殺害することに決める。名誉を失った王家は滅亡するしかないのがこの時代の掟である。
そしてクリームヒルトに彼の弱点を聞き出したうえで、ジークフリートを「はかりごと」にかけて、森に狩りに誘い出し、泉の水を飲む背後から、その弱点を射ぬいて殺害するのである。
その弱点とは、≫「竜の傷口から熱い血潮が流れ出し、天晴れな勇士がそれをからだに浴びた際、両方の肩の骨の間に一枚の広い菩提樹の葉がおちてきました。この場所こそあの人の急所なのです。これが私の心配の種なのです。」≪
ゲーテはこの叙事詩についての覚書で「両篇の趣はおのずから異なる。前篇はより多く華麗、後篇はより多く強烈。…」と書いている。前篇を読むと、中世社会の悲劇が女王同士の誇りと威厳を賭けた対立を通じてよくあらわされている。後篇は、いかにもゲルマン人気質を思わせる徹底さ、凄惨な全滅の物語である。
実はこの本の再読を思い立ったのは、この夏の間、西洋史や中国史の通俗本を読みふけっていて、特にギリシャ、ローマや中世社会について書かれた事柄に興味をそそられ、それらとの関連からこのドイツ最大の古典(ゲーテの『ファウスト』と共に)を読み返してみようと考えたわけだった。後篇についてはまたあらためて感想を述べたいと考えている。
2021.11.17記
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