ミャンマー/米国人ジャーナリスト、D・フェンスター氏の釈放をめぐって
- 2021年 11月 18日
- 評論・紹介・意見
- ミャンマー野上俊明
16日のロイター通信は、<日本使節が米国人記者の解放に協力したとの報道に、日本政府距離を置く>と題して、以下のように報道している。
――オンラインマガジン『Frontier Myanmar』の編集主幹である米国人ジャーナリスト、ダニー・フェンスター氏(37)は、扇動、移民法違反、不法集会の罪で11年の刑に処せられた後、11月15日に釈放された。国軍が所有するミヤワディ・テレビは、15日、解放活動に公然と関わってきたビル・リチャードソン元米国州知事兼外交官の要請を受け、フェンスター氏に恩赦が与えられたと発表した。しかし驚いたことに、釈放にあたって、日本財団の会長でありミャンマーの国民和解のための特使を兼任する笹川陽平氏と、渡邉秀央元大臣らの尽力をも多としている。・・・ミヤワディTVによると、笹川氏、渡辺氏、リチャードソン氏の要請を受けて、『国の友好関係を維持し、人道的な理由を重視して』フェンスター氏は、釈放されたという。
ダニー・フェンスター氏 イラワジ
渡邉氏は子息で「日本ミャンマー協会」常任理事・事務総長を務める渡邉祐介氏とともに、クーデタ以後あからさまにクーデタとミンアウンライン将軍とを擁護し続けてきたために、とりわけ在日ミャンマー人たちの怨嗟の的になっている人物である。日緬関係にかかわる二大フィクサーと目される人物が、裏で仲介の労を取ってフェンスター氏の釈放にいたったこと、しかしこれは手放しで喜べる話ではない。両氏とも国軍との太いパイプを誇ってきた人物であるが、そのことがミャンマーの民主化に役立ってきたなどという話は寡聞にして私は存じ上げない。なるほど、ミャンマーでさまざまな慈善事業を行なって、ハンセン氏病の撲滅に寄与し、また何百校という学校を建設してきた実績がある日本財団である(今から二十年ほど前でも、一校舎当たりの建設費は4~500万円するといわれた)。ロイター電によれば、今回笹川氏は、民族間の対立が激しい北西部のラカイン地域にも足を運び、国内避難民のために850万ドルの寄付をすると政権幹部に伝えたという。また氏はミャンマーに300万ドル相当のCOVID-19ワクチンの寄付を約束したという。そういう笹川氏であるから、渡邉氏と同列に置かれるのは心外かもしれないが、しかしフィクサーという役回りは民主主義とは両立しないのが通例である。
アジア太平洋戦開始争間際、日本の特務機関がアウンサン将軍らを取り込んで以来、日緬両国関係史は戦後にいたっても常に戦争人脈の暗い影を引きずってきた。今日なおミャンマー国民に塗炭の苦しみをなめさせている軍部独裁体制の大本を作ったネーウイン―日本軍国主義に軍事訓練を受けた三十人志士のひとり―軍政に対し、歴代自民党政府はODA供与を名目にして手厚い資金援助をしてきた。ミャンマーにテインセイン疑似文民政府が成立しNLDが合法化された際、ODA再開をするにあたって過去を清算する必要に迫られた。それで日本政府は3000億~4000億ともいわれる過去の債務を帳消しにしたのである。残念ながら、絶好の機会でありながら、日本国民の血税を原資とするODAが、独裁体制を支える資金源になってきたことへの反省の声は聞かれなかった。※ちなみに、ネーウイン一族は、毎年夏になると欧州で長期のバカンスを楽しんだという。その結果、戦後いち早く独立を勝ち取ったビルマは、東南アジアで最も早く発展するだろうと見込まれていたのにもかかわらず、1980年代には国連が最貧国家に認定するまでに落ちぶれてしまった。
※私は2016年にミャンマーを訪れたのであるが、その直前安倍首相はミャンマーに対し、新たに8000億の円借款を約束した。ヤンゴンで私は何人かの人に日本の太っ腹について賞賛されたが、私自身は相変わらずのバラマキ外交に憂鬱な気分であった。
話を戻そう。日本の外務大臣は、今回の件にまったく関与しておらず、笹川氏は個人的な資格で交渉したと述べた。しかしこれがもしある人物が個人の資格で北朝鮮当局と勝手に交渉したとしたら、どうであろうか。平然と外務省はノータッチだなどと言えるのか。ましてミャンマー側は、国営紙に一面でこの会談を報じており、笹川氏を日本の特使として扱っている。国際的に孤立する軍事政権にとって、笹川氏の訪問は渡りに船だったのではないか。フェンスター氏の釈放に尽力したことを認めるにせよ、こういう裏技がまかり通るようでは、日緬関係は健全であるとはいえないであろう。日本政府のもっと毅然とした姿勢を望みたい。
最後に蛇足ながら、リチャードソン氏とフェンスター氏についてキャリアを紹介しておく。
リチャードソン氏は、1990年代から熱心にアメリカの政治家、外交官としてアウンサンスーチー氏の解放のために尽力してきた過去を持つ。しかし2017年にロヒンギャ危機が勃発し、17万人が難民となってバングラディッシュに逃れたことで、国軍の肩を持つスーチー氏と激しく衝突、以来不仲になっていた。
また米国人ジャーナリスト、ダニー・フェンスター氏であるが、氏はもともとはMyanmar Nowに所属する記者であった。Frontier Myanmarに移籍したのは、どうも本年になってからであるらしい。Myanmar Nowからの話として、Frontier Myanmarは弾圧対象になっていないので、氏を逮捕する理由がみあたらない。おそらく治安当局は、弾圧対象になっているMyanmar Nowにまだ所属していると誤認して逮捕したのではないか。しかし誤認だったことが分かってからも、フェンスター氏を対アメリカの外交的なカードとして使えると考えて、拘留を続け、重刑を課したのではないかという。それが真実だとすれば、フェンスター氏の釈放は国際社会の圧力の成果であるとともに、他面では軍事政権の思惑通り、人権に配慮する軍事政権という演出に一役買ったことになる。ミャンマー情勢が一筋縄ではいかない側面を持つことがよくわかる話である。
フェンスター氏がFrontier Myanmarの編集主幹になってから、紙面に大きな変化があったのではないか(私は2.1以前の紙面は知らないので)。IrrawaddyやMyanmar Nowにくらべてカバーする報道の領域は狭いが、縫製産業や農業問題など、他紙があまり扱わない地味であるが、ミャンマーにとって重要な問題を深く掘り下げる調査報道の優れた内容は、すぐに私の目に留まった。そこには社会科学や社会哲学の素養がうかがわれ、ミャンマーの知識人にともすれば欠けがちなものだったので、だれが書いているのか気になっていた。アメリカ人のフェンスター氏(ドイツ語ではFensterは窓という意味なので、ドイツの新聞では「窓」氏と書いてある新聞もあった)が自ら書いているのだとすれば、私の疑問は氷解する。フェンスター氏のような存在は、ミャンマーのジャーナリズムにとって貴重な戦力になっていたであろう。その意味で国外追放になったのは、かえすがえすも残念でならない。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion11495:211118〕
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