二十世紀文学の名作に触れる(17) エリオットの『荒地』――20世紀モダニズム詩の金字塔
- 2021年 12月 16日
- カルチャー
- 『荒地』エリオット文学横田 喬
戦後の日本の現代詩は、トマス・スターンズ・エリオットの『荒地』から出発した。『荒地』派の詩人の一人、故北村太郎(本名・松村文雄)さんが私の新聞記者当時の先輩だった縁もあり、私は日本の現代詩に馴染んだ。エリオットの革新的な詩法は従来の詩の概念を大きく変え、欧米の文壇に大きな衝撃をもたらし、二十世紀前半の英文学は「エリオットの時代」とさえ呼ばれるに至る。詩集『荒地』(岩波文庫・訳:岩崎宗治)の核心部分を私なりに抜粋~紹介してみたい。
Ⅰ 死者の埋葬
四月は最も残酷な月、リラの花を/凍土の中から目覚めさせ、記憶と/欲望をないまぜにし、春の雨で/生気のない根をふるい立たせる。/冬はぼくたちを暖かく守り、大地を/忘却の雪で覆い、乾いた/球根で、小さな命を養ってくれた。/夏が僕たちを驚かせた、シュタルンベルク湖を渡ってきたのだ。/夕立があった。ぼくたちは柱廊で雨宿りをして/それから、日射しの中をホーフガルテンに行って/コーヒーを飲み、一時間ほど話をした。/ワタシハロシア人ジャナイノ。リトアニア生マレノ生粋ノドイツ人ナノ。/そう、わたしたち、子供のころ大公の城に滞在して、/従兄なのよ、彼がわたしを外につれ出して橇にのせたの。/こわかったわ。彼が「マリー、/マリー、しっかりつかまって」って言って、滑り降りたの。/山国にいると、とっても解放された気分になれます。/夜はたいてい本を読んで、冬になると南へ行きます。
つかみかかるこの根は何? 砂利まじりの土から/伸びているこれは何の若枝? 人の子よ、/きみには言えない、思いもつかない。きみにわかるのは/壊れた石像の山。そこには陽が射し/枯木の下に陰はなく、蟋蟀は囁かず、/石は乾いていて、水の音はしない。ただ、/この赤い岩の下の陰ばかり/(この赤い岩の陰に来なさい)、/きみに見せたいものがある――朝、きみの後ろを歩く/きみの影とも、夕方、きみの前に立ちはだかる/きみの影とも、違ったものを。/一握りの灰の中の恐怖を、見せたいのだ。
サワヤカニ風ハ吹ク/故郷ニ向カッテ。/ワガアイルランドノ子ヨ/キミハ今ドコニ?(中略)
<非現実の都市>/冬の夜明けの褐色の霧の下、/ロンドン・ブリッジを群集が流れていった。たくさんの人、/死神にやられた人がこんなにもたくさんいたなんて。/短いため息が、間をおいて吐き出され、/どの男もみんなうつむいて歩いていた。/坂道を登り、キング・ウィリアム通りを下り、/セント・メアリー・ウルノス教会の九時の時鐘が/最後の鈍い音をひびかせるほうへ流れて行った。/見覚えのある男を見かけ、ぼくは呼びとめた。「ステットソン!/「ミュラエの海戦で一緒だったね!/「去年、きみが庭に植えたあの死体、/「あれ、芽が出たかい? 今年は花が咲きそうかい?/「それとも、不意の霜で花壇がやられた?/「あ、<犬>は寄せつけるなよ。あいつは人間の味方だから。/「前足で掘り出しちまうからね。/「きみ、偽善者の読者よ! わが同類、わが兄弟よ!」
Ⅱ チェス遊び(省略)
Ⅲ 火の説教
河辺のテントは敗れ、最後の木の葉の指先が/つかみかかり、土手の泥に沈んでいく。風が/枯葉色の地面を音もなく横切る。妖精たちはもういない。/美しいテムズよ、静かに流れよ、わが歌の尽きるまで。/川面に浮かぶ空き瓶も今はない。サンドイッチの包みも、/絹のハンカチも、ボール箱も、煙草の吸い殻も、/もっとほかの夏の夜の証拠品も。妖精たちはもういない。/彼女らの男友達、シティーの重役連の彷徨える御曹司たちも/いなくなった。住所も残さないで。/レマン湖の岸辺に坐ってぼくは泣いた。/美しいテムズよ、静かに流れよ、わが歌の尽きるまで。/美しいテムズよ、静かに流れよ、ぼくは声高にも長くも話さないから。/だが、背後の冷たい風の中、ぼくの耳に聞こえる/骨たちのカラカラ鳴るひびき、そして、大きく避けた口の忍び笑い。
鼠が一匹、草むらを音もなく這っていった、/ぬるぬるした腹を引きずって。/ぼくは、よどんだ運河で釣りをしていた、/冬の夕暮れどき、ガス・タンクの裏、/破滅した兄王のこと、そのまえに死んだ/父王のことを、思いかえしながら。/低い湿地には白い剥き出しの死体がいくつか転がり、/低く乾いた狭い屋根裏部屋では、打ち棄てられた骨たちを/カタカタと鳴らす鼠の足/今年も来年も。/だが、背後でときどきぼくの耳に聞こえる/警笛とエンジンのひびき――スウィーニーが/泉でからだを洗うポーター夫人をご訪問だ。/おお、月に照らされミセス・ポーター/と、彼女の娘/足洗いにはソーダ―・ウォーター/ソシテ聖堂デ歌ウ少年タチノ歌声!
チュッ チュッ チュッ/ジャグ ジャグ ジャグ ジャグ ジャグ ジャグ/あんなにも乱暴に犯されて。/テリュー
<非現実の都市>/冬の正午の褐色の霧の下/ユーゲニデス氏はスミルナの商人で/無精髭を生やし、ポケットに干葡萄をつめこみ/「ロンドン渡し運賃保険料込み」一括払いの手形をもっていたが、/俗語まじりのフランス語でぼくを誘った――/キャノン・ストリート・ホテルで昼食をとって、/週末はメトロポールでご一緒しませんか、と。(以下略)
Ⅳ 水死(省略)
Ⅴ 雷の言ったこと
汗にぬれた顔を赤く照らす松明の輝きの後/庭や園を満たす冷たい沈黙の後/岩地での苦悶の後/喚き声や泣き声がして/牢獄と宮殿、そして遠く見はるかす/山々に、とどろく春雷のひびき/生きていた者は今は死者/生きていたわれわれはいま死にかけている/わずかばかりの忍耐を示しつつ(中略)
空の高みから聞こえるあの音はなんだ/母親が悲しみ嘆く押し殺した声/フードをかぶり罅割れた地面に躓きながら/果てしない平原を行くあの群集は何者だ/まわりは平らにつづく地平線ばかり/山地の向こうのあの都市はなんだ/裂け、歪み、砕け散る、すみれ色の大気の中/堂塔が倒れかかる/エルサレム アテネ アレキサンドリア/ウィーン ロンドン<非現実>(中略)
ぼくは岸辺に坐って/釣りをしていた。背後には乾いた平原が広がっていた/せめて自分の土地だけでもけじめをつけておきましょうか?/ロンドン・ブリッジが落っこちる落っこちる落っこちる/ソレカラ彼ハ浄火ノ中ニ姿ヲ消シタ/イツワタシハ燕ノヨウニナレルノダロウ――おお、燕、燕/廃墟ノ塔ノ、アキタニア公/これらの断片を支えに、ぼくは自分の崩壊に抗してきた/では、おっしゃるようにいたしましょう。ヒエロニモふたたび狂う/ダッタ。ダヤヅワム。ダミヤタ。/シャンティ シャンティ シャンティ
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