私の辺野古物語
- 2022年 1月 26日
- 評論・紹介・意見
- 小原 紘沖縄辺野古
韓国通信NO688
<民謡酒場で>
那覇の民謡酒場にぶらりと入った時のこと。
「おすすめ料理は?」とたずねたら、「自分で選びなさい」とまるで命令口調なのがおかしくて、店の女主人と予想もしない長話しをすることになった。夜8時過ぎというのに舞台のある大きな店の客は私ひとりだけだった。
娘が三線を習っていると言ったら、とても打ち解けて、家族の話をしてくれた。彼女の親は石垣島から売られてきた。弟は当間武三という知られた芸人だという。印象深かったのは島による差別がとても多いこと。沖縄県ではないが奄美に対する差別は特にひどいという。
食べものは山羊料理、それと古酒しか思い出せない。酔いが回ったころ、本土による沖縄に対する差別の話になった。
「最低でも県外」という鳩山首相の発言は沖縄の人たちから大歓迎された。「こんな立派な首相はいない。」ギロリという言葉がぴったりの彼女の眼光と話し方に圧倒された。
それから3か月後の2010年5月、突然、首相が前言を撤回した。とっさに首相官邸前へ抗議にかけつけたのは沖縄を訪ねた余韻が残っていたからかも知れない<写真上/辺野古現地/左/官邸前抗議/撮影筆者>。
遠い沖縄のことである。埋め立てが始まっても歯噛みをするだけ。なんとも歯がゆい沖縄と私の関係、政府への怒りは積もるばかりだ。
<ふるさと納税>
5年前から名護市にふるさと納税をしてきた。わずかばかりの寄付だが、寄付の理由を名護市がネットで公開している。「辺野古に基地はいらない」「平和を愛する名護市民を応援」と私の思いが毎年記されてきた。
ふるさと納税は返礼品の豪華さが注目される社会現象になったが、名護市は一切返礼品のない「誇り高き」ふるさと納税だった。振込料自己負担で振り込むと、礼状と領収書が送られてくるだけ。市長が稲嶺進氏から渡具知武豊氏になっても、ふるさと納税を続けた。平和を愛する名護市民へのエールとして。一去年から返礼品つきに変わったのを機に馬鹿々々しくなって寄付はやめた。
<政府に意見書提出>
昨年、地元の千葉県我孫子市議会に働きかけ政府に意見書を提出。辺野古反対の世論を地域からあげていこうとする取り組みは地元紙沖縄タイムズで報道された。
民謡酒場から生まれた私と辺野古の物語である。
初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
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〔opinion11701:220126〕
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