テント日誌2月25日版
- 2022年 2月 27日
- 交流の広場
- 経産省前テントひろば後
経産省前テントひろば後1807日後
月例祈祷会が開かれた、懐しいメロディに包まれて 2月18日(金)
今日は日中大分暖かくなってきたが、風が強い分、まだまだ寒さはきつい。しかし、日差しは春めいてきて、梅の花があちらこちらで咲き出している。寒さもあとちょっとの我慢と言うところだろう。
私が家を出がけにちょっとしたハプニングがあったので到着が遅れてしまい、台車運びもセッティングもイロハのお姉さん方にやっていただいた。しかし、遅れた分だけWaさんの印刷のお手伝いが出来た。
経産省前にやって来るとやはり風が強く、物が飛ばされそうだ。Eさんが早めに到着。サンケン太郎さんは風呂につかって来たそうで大分遅くにやって来た。Obさんもやって来ていつものようにお菓子を頂いた。
2時くらいにJKS47のメンバーがやって来て準備を始めたりしている。祈祷団の活動は3時からでその頃はまだ大勢集まっていないが、初めの15分程度は芸能の時間があり、懐かしいメロディが流れた。サキソホーンとトランペットの伴奏もついて最近の祈禱団は念仏ばかりでなく工夫が加わってなかなか面白い。
私は3時半ごろには文科省前のスタンデイングに行くので場所を移動したが、蔓延防止措置のためマイクなしで30分のスタンデイングをしている。それでも10人を超える人々が朝鮮学校への無償化適用を訴えて抗議に集まってくる。 (S・S)
福島は終わってない、原発はグリーンではない、汚染水を海に流すな 2月18日(金)
3時過ぎに到着したら黒装束の日本祈祷団の人たちが月例祈祷会の真最中。私たちも椅子に座って鎮魂にお題目三唱に参加、終わりにテントひろばから大日本帝国の加害の歴史、福島を経験した地震多発国日本から脱原発を、3.11に向けて、の挨拶。
5時から抗議コールで経産省抗議行動を開始、まだ明るい。
原発ゼロ・再エネ100の会、国会エネルギー調査会(準備会)が、毎週木曜に議員と経産省などの省庁とで「核燃料サイクルは見直しを!再処理政策の今後」、「気候危機対応にとどまらない再エネ増大・EVモビリティ改革に向けて」などをオンラインでヒアリング、汚染水流すなの院内ヒアリング集会(政府交渉)、再稼働阻止全国ネットワークが、実効性が無い避難計画でZOOM会議などの報告。
aさんが「福島から何を学んだのか?」を参照して原発の爆発(水素、核、一酸化炭素、水蒸気)を論じて今稼働を許されている原発の危険性を説明。そう言えば、今の原発はイチエフにあった免震重要棟も無く危険な複数基同時稼働が許され立地審査指針が無視されストレステストも無く避難計画に実効性無し。イチエフ事故の教訓が全く生きていない。Yoさんが自公政権の甲状腺がん多発と放射能影響隠しと戦争国家化を糾弾、MiさんがEUタクソノミー問題で、小泉純一郎、菅直人氏ら首相経験者5人が、東京電力福島第一原発事故で「多くの子どもたちが甲状腺がんに苦しんでいる」とする書簡を欧州連合(EU)の執行機関・欧州委員会に送ったことに、省庁や福島県が異議を唱えていることを厳しく批判。
Moさんとともに「座り込め、ここへ」と「水に流すな」を歌う。
また、テントひろばが3.11集会に向けて、国会与野党本部に「福島は終わっていない、直ちに原発ゼロ政策を!」訴える声明と質問書を送ったことを公表した。結果は如何?
経産省は嘘をつくな!原発は安全ではない・安くはない、原発がなくても電気は足りている!原発はグリーンではない!原発はクリーンではない、原発は準国産ではない!再稼働反対!命を守れ!地球を守れ!未来を守れなどのコールで締めくくる。抗議行動終了後は、首相官邸前「原発いらない金曜行動」に移動。MiさんやYaさんたちが椅子・横断幕類の片づけてくれた、感謝! (K.M)
原子力に夢を求める面々がまだいる不思議 2月19日(土)
今日は夕方から雨の予報。徐々に雲は厚くなり真上には黒い雲が。だが西の空は明るくまだ雨は振らないだろう。なんて皆に言ったら小粒の雨がパラパラと降ってきた。でも傘をさすほどではなくすぐに止んだ。何だか空にからかわれている気分。(O・O)
Iさんが気づいた。今日は不思議な天気だ。雲一つない晴天は別に珍しくもないが夕方が近づくにつれ徐々に雲が増えるのが普通だ。撤収の時間になってもまだ雲は現れなかった。今日はTKさんが座り込みに参加してくれた。土曜日の座り込みのためだけに遠方から来てくれた。感謝です。
帰り道電車の窓からやっと雲が見えた。エアブラシですっと描いたような雲が三つだけ。いつもなら夕陽を浴びてくっきりと見える富士山が霞の中にぼんやりと見えた。不思議といえば原子力に欲や夢を求めたり、社会に不可欠だという主張のほうが遥かに不思議だ。 (O・O)
コロナ禍はおしゃべりを飢えさせる 2月20日 (日)
雨の予報でしたが、ギリギリもってくれて傘無しでも我慢できる程度の小雨ですみました。
レギュラー参加者9人(E藤、S藤、F原、S本、M島、S山、H野、N瀬、はしゆき)に加えて、通りがかりの人がゆっくりおしゃべりしていってくれました。F原さんがおにぎりと茹で玉子を差し上げたら喜んでくれて、来週も来るみたいに言っていましたから、ちょっと期待しています。
皆さんお喋りに飢えているのではないでしょうか。コロナ禍でなおさら、人と人との間に普通にあるべき交流がぶったぎられていますから。
終了後は事務所でいつも通りN瀬さんの引きたてのコーヒーを味わいました。そしてF原さんの持ってきた白菜を使ってT崎さんが中華丼を作って振る舞ってくれました。
ツイートを流し損ったので写真を直接貼り付けます。(はしゆき)
寒さの峠のような一日、飴をなめてしのいだ 2月21日(月)
今日も一日中、冷たい風が吹いて手袋なしではいられなかった。温湿度計を見たら気温10℃、湿度15%。5メートル位の風が吹いていたので体感温度は5℃。寒いわけである。
その為に通り掛かった人から2回も声をかけられた。最初の人は「ご苦労さま、少ないですけれど」と言ってカンパしてくれた。二人目の人は「風邪をひかないで下さい」と。温かい心遣いに感謝すると共に元気をもらいました。
天気予報によるとこの寒さは24日㈭までで25日㈮からは昼間の気温が10℃を超え、最低気温も徐々に上がってくるとのことなので本格的に春になっていくようです。そうなれば斎藤さんも寒さを気にすることなく出かけられるようになるでしょう。
座り込み準備をしていたら八王子のKaさんが来られた。久しぶりなので聞いたら「これから裁判の傍聴」とのこと。「きょうは煎餅が無かったので貰い物ののど飴を持ってきました」との事で飴をたくさんいただきました。
いつもは3時頃、金融庁ビルに隠れていた太陽が早くも2時40分に隠れてしまった。終わりまでKaさんに戴いた飴を舐めながらポットに入れてきた熱いお湯をすすって何とか凌ぎました。(保)
受験生と話ができたことは収穫だ 2月22日(火)
私の都合で㈬の当番をYrさんに交代してもらいましたのできょうは私が座り込みに参加しました。腰痛持ちということでグッズの運び出し・運搬をOgさんにやってもらいました。セッティングは曜日によって考え方が違うのでお任せしました。12時前にはセッティングを終えて座り込みを始めました。昼時だというのに人通りは多くありませんでした。国会が始まったので省を挙げて想定問答などを準備する段階が終わったのでテレワークに移行した人が多くなった為でしょうか。
昨日と違って今日は晴天で陽射しが強く照っていたのと風も昨日に比べれば穏やかな時間が長かったので昨日より楽でしたー太陽が金融庁ビルに隠れるまでは。太陽が金融庁ビルに隠れた2時半過ぎからは昨日と同じく熱いお湯を飲みながら「反原発ソング」を掛けて奮い立たせました。
今日の収穫は受験生と話ができたことでした。受験が終わって暇が出来たので裁判所を中心に霞ヶ関周辺を見学するためにきて我々のバナーに興味を示して立ち寄ってくれたのでした。ニュースを渡しながら、若い人が興味を持っている気候変動問題・テントひろばが作られた経緯などを説明した。休みなしでやっているので何時でも寄ってほしい旨を伝えて別れた。
午後2時頃、右翼の街宣車が5台、虎ノ門方面から外務省批判をしながらやってきた。どうしたのかと思っていたら、今日は島根県が独自に制定した「竹島の日」との事。外務省が何も動いていないとして抗議しに来たそうだ。そう言えばそんな記事を読んだ記憶がある。動かない外務省を弱腰外交として批判していた。(保)
天皇誕生日。確かに静か、関心がないのだ 2月23日(水)
今日は「天皇誕生日」の休日で、終わりは3時。天皇賛美の右翼の街宣車が来るかと思ったが来なかった。
風もなく暖かかったが、陽がビルに隠れると寒い。今日の当番は保っちゃんが山本さんと代わった。事務所から経産省前までの通る道も、バナーの張り方、貼る位置もちがうので面白い。
倉田さんは今日は規制庁の抗議闘争はないけれど、経産省前は行動しているのだから来たと言われ、演説をした。今日は冒頭に、友人の夫人が突然コロナで亡くなられたことについて触れ、突然身内のものを失うことはどんなに大変かということを話された。それから、原発問題については電力と送電の寡占支配について話された。
Yさんは倉田さんの話がどんどん深まっていると感心していた。
三上さんがお菓子、イヨカン、ミカンを持ってきてくれた。バイクのHさんが久しぶりに登場。西部ユニオンの2人もいつものように最後の撤収までいてくれた。当番4人の他5人。
割と静かな座り込み、そんな一日だった 2月24日 (木)
快晴ながら時々吹く冷たい強い風に悩まされた。
バナーも少なくセッティングする。
でも幟旗立てた椅子には常に誰か座っていないと倒れてしまう状態だった。
1時過ぎまで当番だけの静かな座り込み。
一時過ぎてSyさんが来てくれた。
先週土曜日に経産省正門わき看板の下の植え込みを外して黒土を入れていたのでどうするのかと思っていたら単に植え替えだったようだ。
コロナが始まって以来ずっと立っていなかったガードマンが正門前に立っているのに気が付いた。
先週まではいなかったけど…
何故また?と疑問が湧く。
今日私は地元で行った講演会の反省会があったのでいつもより早めに帰らせて頂いた。
いつも何かあるとYさんから知らせがあるけど、何もなかったのでその後も静かな座り込みだったのだろう。(I.K)
とうとうおっぱじめたか、ロシアのウクライナ侵攻 2月25日(金)
期待を込めてということも含めてプーチンはウクライナ侵攻を我慢するのではないか、侵攻は踏みとどまるのではないか、と思っていた。彼はウクライナ侵攻という賭けに出るかもしれないと想像はしていたが、それは五分五分とみていた。プーチンは予想超えて侵攻という賭けに出たのであるが、この行為にいかなる意味でも言い訳の余地はない。非難するのも馬鹿々々しいほどのことだ。これは明瞭に言っておくべきことであると思う。報道にへだたりがあるとか、アメリカ一辺倒だとか、批判や危惧が表明されているが、そんなのはことを明瞭にした上で話である。これははっきり言っておくべきことである。
制裁も含めた対応の問題はいろいろあるにしての、中国の外相の、理解するという擁護は各国の発言の中で最低である。とても聞くに耐えないものだ。中国の強権的政治を露呈させているだけといえる。人々の反応というか、評価は様々であるだろうが、僕はなりよりもプーチンのロシア統治というか、プーチン政治は僕らが予想するよりも、深刻な危機的状況にあるということを直観した。どんな経緯をたどるにしてもプーチン政治の終わりの開始だと予測する。その意味でこの蛮行に反対するロシアの人々の動きになりよりも注目している。それだけがこの問題を解決していく道であろうとも思えるからだ。ウクライナの人々には深く同情するが、どんな形であれ抵抗は続けることを願う。
あれはまだ、中学の三年生だったと思う。学校の帰りにイギリスとフランスのエジプト介入(スエズ運河支配)に反対するナセルの武装抵抗の報道を知り、深い衝撃を受けた。イギリス帝国主義批判とアラブ革命に共感した。同じ年のハンガリアでは国内における政治改革にソビエト(ロシア)が軍事介入し、これに対する国民の武装抵抗があった。当時のハンガリア首相(ナジ)がソ連軍に拉致され抵抗する声をラジオで聞いて興奮した。俺も同じ事態になったら武装抵抗し、戦車に火炎弾で向かっていけるだろうかと想像した。
このハンガリー動乱は戦後のソ連圏(社会主義圏)の解体と崩壊の始まりだった。敗戦を契機に拡大したソ連圏(社会主義圏)の解体と崩壊の始まりであり、これはベルリンの壁の崩壊まで続いた。このハンガリア国民の対する軍事加入(軍事的制圧)は社会主義国家に対する帝国主義国家の策謀の排除、あるいは社会主義の自衛の行動という形で正当化された。ソ連(社会主義国)サイドで。この事件を契機にソ連圏(社会主義圏)への疑念と批判が生まれたが、ソ連の行動を正当化する考え(社会主義の防衛・自衛)というは左翼では強かった。社会主義圏が崩壊するとか、ソ連が解体するとかということは想像できない絶対的体制という意識は強く、だから、ソ連の行動を擁護する考えも強かった。社会主義国の核兵器はきれいな兵器であるとか、社会主義国の戦争は正義の戦争だという言説がまかり通っていたのである。(ある時期、日本共産党はそういう言説を取っていた)。新左翼という存在はあり、こうした言説に批判的だったことはあるが、それは少数派だった。
ここで指摘しておきたいことはソ連圏(社会主義圏)の崩壊と解体は、彼らがかつて言ったような帝国主義国からの介入や攻撃で起こったのではないということである。具体的にいえばNATO軍の介入や攻撃によってそれは崩壊したのではないということである。当時、社会主義圏ではワルショワ条約があったが、NATOU軍がソ連圏の内部国の反権力・反体制的動きに介入し、ワルショワ条約軍を攻撃したことはないのである。ソ連圏(社会主義)の崩壊はその内で体制(権力構造、統治権力)の矛盾で起こった、つまりは強権的で専制的な権力構造の矛盾の展開がもたらしたのである。このことはよく知っておかなければならない。
プーチンがNATOの拡大が自国の安全保障の危機ということを盛んに宣伝し、戦争の理由にあげるが、NATO軍がロシアに戦争を仕掛けるとは誰も思っていない。核保有国であるロシアに仕掛けるとは思ってはいない。こういう言説は説得力がないのだ。このことをプーチンは百も承知のはずである。なぜこんなことを口実にし、戦争までするのか。これはプーチンには戦争で解決したい危機があり、その口実にほかの理由がないから、これを使っているだけである。要するに統治権力の危機を戦争によって解消したいのである。その口実にしているだけである。
社会主義圏が次と次ぐと崩壊し、ソ連も崩壊したのは統治権力のあり方をめぐる問題であった。だから、どういう統治権力を作るかが課題であったし、それに成功しなければ政治的不安定を抱えることになる。社会主義権力(強権的、専制的権力)の後にどういう統治権力を創るかは旧社会主義国家の課題であったが、プーチンはイデオロギー的に社会主義というのは掲げないが、強権的で専制的な国家権力を存続させた。エリツインの政権もあったから、旧ソ連の統治権力をイデオロギー抜きで再生、保持してきたというべきか。彼の帝国主義的政治と言われるものである。この展開は中国では徹底した強権的体制としてあり、人々の意識や意思を抑えこむことで、安定しているように見える。それは批判や政治意思を社会の深部に閉じ込めているだけである。抑え込んでいるだけだ。
プーチンは習近平と似ているといえる。違う点は、プーチンは反体制派というか、そういう部分を抱えていて政治的に不安定であるということだ。プーチンは強権的に自己の反対派などを抑え込み切れてはいない。ここにプーチンが戦争に乗り出す大きな契機があると考えられる。戦争はある段階までは統治権力を強める。どのような理由であれ、強い拝外主義とナショナルな契機を生み統治観力を強めるのである。統治権力の危機を一時的せよ延ばさせる。
戦争を形成する条件は人々が他(他の国家あるいは共同体)に対して恐怖の共同意識を持つことである。この恐怖の意識はいろいろの形で培われるものである。例えば、9・11はアメリカの人々に衝撃と恐怖感をもたらした。これは9・11のビル攻撃の規模と正体不明さが恐怖感を生み出したのだが、時の政府(ブッシュ大統領)は戦争に誘導したのである。もともとはこの攻撃は他の国家からしかけられたものではなく、政治グループから仕掛けられたものだから、治安的に警察的に対応すべきことだった。それを戦争にしたのはブッシュが戦争を望んでいたからである。ただ、ここで見ておくべきはここには人々の恐怖の共同性ということがあったことだ。9・11で生まれた恐怖の共同性をアフガニスタン戦争やイラクまで戦争まで誘導したのだが、その基盤はあったことは見ておくべきことだ。
プーチンは戦争の動機にNATOの拡大によるロシアの安全保障が脅かされるという。これは一般的な国家危機論である。これは一般的なお話というか、通りのいい言葉であるが、少し立ち入って検討すれば根拠がないことがすぐわかる。アメリカの追い込みかたにそのことは幾分かみいだせるということはある。アメリカは外交解決を口にしてはいるが本気で外交解決する気はなかった。プーチンは自己の統治権力のありようが支持を得ない、反対派が多いという危機感がある。彼の恐怖は自己の統治権力が弱く、絶えず反対派の動きにかき回されることだ。この解決は国民の支持をえる統治権力へ統治権力を変革するしかない。彼は強権化し、専制を強める形でしか対応できない。これは習近平も同じである。
プーチンはこのことが自己の統治権力の弱さの解決にならぬことはよくわかっているし、旧社会主義権力がなぜ崩壊したかも熟知しているはずだ。ただ、彼は旧社会主義権力をイデオロギーだけ抜いて再生させ、保持している。そこで深まる危機に対して、かつてなら社会主義にたいする攻撃としたものを、ロシア国家への攻撃として対応しようとする。これはNATOUの拡大がロシアの安全保障上の危機だという場合の中身である。かつてなら社会主義への資本主義からの攻撃としていたものを、ロシアへの国家攻撃にかえてやっているのである。
ここで実はプーチンは自己の統治権力の危機を、国家危機にすり変えるということをやっている。プーチンは自己の統治観力の弱さ、そこからくる恐怖を、NATOの拡大による恐怖(軍事的に侵攻されるかもしれないという恐怖)にすり替えている。自己の統治権力の弱さを、他国に対する戦争による国民の統治権力の支持で補おうとしているのだ。そのためには他国(NATO)からの脅威をでっちあげ、そこから対抗的戦争の口実を生みだし、戦争まで仕掛けているのだ。
このプーチンの政治的策術はプーチンを支える政治的支持層(官僚)や軍などには一定程度は共有されると推察される、何故なら、彼らはプーチンの統治権力の危機と国家権力の危機を重ねられる場にあるからだ、彼らには国家危機(プーチンのいう安全保障上の危機)を危機として受け取れる立場にあるからだ。他の国家からの脅威というのは国家権力の立場にあれば、それは受け取りやすいからだ。
それなら国民はどうだろうか、多分、ロシアの国民はプーチンの恐怖感を共同の恐怖感としてはいないように思う。すり替えをわかっているともいえる。ロシアの国民はウクライナ問題に関心が薄いと伝えられるが、多分、これは正しいのであろう。国民はウクライナがNATOにはいればロシアの安全保障が侵される、つまりは戦争状態が生まれるなどとは思っていない。ウクライナのロシア系住民の権利保護という点では心動かされるところもあるだろうが、そこにある政治的工作もわかっているはずだ。ロシア国民はNATO拡大の脅威、そのための自衛、そのための戦争を必要と思っていない。プーチンは安全保障の危機ということでナショナリズムを喚起しょうとするのだろうが、その心的基盤をロシアの民衆は共有していないと思う。この推測は間違ってはいないと思う。そして、どんな形になるかロシアの民衆の中から反戦の声は広く出てくると思う。それが戦争の続行をとどめる力になると思う。その可能性は高い。
ハンガリア事件から始まった社会主義圏の崩壊は社会主義権力の内部矛盾によってうまれた生まれたものである。この権力を守ろうとした者たちは自己に批判的な部分を軍事的抑圧し、権力を維持した。その口実に帝国主義やそれに連なるところからの攻撃があり、その自衛にためにやったという宣伝をしてきた。ウクライナ政権のNATO加盟を同じように使っているのがプーチンだが、プーチンが政権の転覆を呼びかけるというのはその形である。ウクライナ政権がネオナチ的というか、これも帝国主義が攻撃というその類である。自分の方がネオナチなのにそんな批判は滑稽である。かつてソ連がナチ(フアシズム)と闘ったという歴史がそういわしめるのだろうが、それは古い話でソ連を含めた社会主義権力がかつてのフアシズムに類似している強権的。専制的権力であることが明瞭になった現在、こんな批判は当たらない。社会主義権力が進歩的なものだという幻想が、戦争はいつも帝国主義戦争だという幻想と重なっていた時代があった。これが旧社会主義権力の宣伝を浸透させていた。それで人々を戸惑わせてもいた。そんなことを想起したが、民衆の殺戮と蛮行を見る目を曇らされてはいけないと思った。
アメリカの動きについてであるが、バイデンはプーチンを戦争の方に追い詰めていることはある。これは伝統的なアメリカのやり方である。バイデンの大統領選挙で勝利をした後の宣言を見れば明瞭であるが、アメリカの民主主義は戦争を媒介にしてあるものだ。いうなら戦争を必要としている。戦争の否定を内包する民主主義という現在的課題の民主主義とは相いれない。戦争と民主主義は矛盾するし、非戦と民主主義は両輪のようなものとしてある。それが現在の民主主義だ。戦争とセットになっているアメリカの民主主義の限界とそれを超える課題を提示したのは戦後の歴史だ。社会主義権力が崩壊したのはアメリカの民主主義の力ではない。冷戦の結果であり、アメリカはアメリカ民主主義の勝利とうぬぼれたのだ。アメリカの権力は民主主義権力であるという幻想を暴いたのはトランプの登場だったが、それに勝利したバイデンは古い戦後のアメリカ民主主義を再確認したにすぎない。
NATOへのウクライナ加盟などNATO 拡大がロシアの国家不安の口実を与えることになっていることは多くのひとが指摘するがそれはあると思う。プーチンの言い分を浸透させることになっている。そこは見ておかなければならない。アメリカの民主主義は対抗的民主主義であり、限界のあるものだ。自立的な民主主義ではない。非民主的な統治権力に敵対視、それを、戦争で持って民主化させるということもやりかねない。これは統治権力の民主主義への転換を統治権力の歴史性を踏まえてやる、つまり内在的に展開していく過程を無視する傾向をもつのであり、戦争でそれを押し付けるということをやる。ここは民主主義が統治権力の歴史性を踏まえて、いうなら統治権力の支配をめぐる闘いの中でどう達成するかということで、一番難しいのだが、ここでアメリカ民主主義は問題というか欠陥がある。
今回、口では外交的解決と言いながら、本気でそれをやらなかったことは、ある意味でプーチンを戦争においやったこともあり、アメリカが結果において戦争に加担しているともいえる。これは僕らが見ておかなければいけないことだ(三上治)
::::::
経産省・エネ庁は「今だけ、金だけ、自分だけ」の大嘘つき! その192
東電<イチエフ「廃炉」の(最終的な)姿について、…、検討を進めていくことになる>
~いつまで定義無き「廃炉」工程を継続? 定義無き「処理水」の「海洋放出」反対~
2022年2月26日 木村雅英
次の東京電力の回答をご覧いただきたい。
<
Q9.東電や経産省は「中長期ロードマップ」で何を達成するのですか? 「廃炉」は実現するのです か? 30年後のイチエフ敷地の「姿」を明らかにしてください。
(回答)
福島第一原子力発電所の「廃炉」は、「放射性物質によるリスクから人と環境を守るための継続的なリスク低減」を実践していく活動です。
福島第一原子力発電所の「廃炉」の(最終的な)姿について、いつまでに、どこまで、どのような 状態にしていくか、ということについては、地元の方々をはじめとする関係者の皆さまや国、関係機 関等と相談させていただきながら、検討を進めていくことになると考えております。
地元の皆さまの想いを受け止めながら、引き続き、安全・着実に、ひとつひとつ福島第一の廃炉作 業を進めてまいります。
>
これは「東電と共に脱原発をめざす会」における私の質問に対する東電の2月18日の文書回答。
尾松亮さん(作家・リサーチャー)が「岩波科学」で指摘してきたとおり、イチエフ「廃炉」の姿や状態が曖昧なまま、11年間<「継続的なリスク」低減を実践していく活動>が続けられている(本シリーズその190)。
ここでは、<「定義欠如」維持を志向する政策決定は何をもたらすかー専門家に求められる言語チェック機能>(尾松亮、岩波科学2022年3月号)を紹介する。
尾松さんは、<オリパラは緊急事態宣言下で、国民の多く、そして医療従事者の多くが反対する中で開催されたことを忘れてはならない。>と、コロナ対策において「安心・安全」、「第〇波」、「医療崩壊」などの定義を曖昧なままにして、オリパラを開催し、効果検証不能な私権制限策を押しつける政府を糾弾する。
そう言えば、今世界が注目している「ロシアのウクライナ侵攻」においても、プーチンが多くの軍事作戦を偽りの曖昧な説明で強行していることも同じか。
さて、尾松さんは原発事故対応において、<「廃炉」を定義しないまま(終了)に向かう工程>のみならず、<「処理水」とは何か決めないままの海洋放出>を糾弾している。
スリーマイル島原発においては、事故起源汚染水の内容を明確にして当面「河川放出を行わない」協定を結んでいる。ところが、経産省の「ALPS処理水」の定義には「どこで生じた水なのか」という起源規定を含んでいない。それ故<この定義で放出を認めれば、事後的に「処理水」の範囲を無制限に広げることができてしまう。>
それゆえ<このまま「廃炉を進めるために」と「処理水の海洋放出」を認めてしまえば、制限なく「処理水」が生み出されることになる。そして、その海洋放出の後に達成されるはずの「廃炉の完了」とはどんな状態なのか、それも未定にされている。>
尾松さんは結びに、政府はなぜ「定義」を避けるのか、専門家にチェック機能が求められる、としているが、私はさらにメディアにもしつこく「定義」を尋ねることを求めたい。
それにしても「廃炉」も「処理水」も定義を曖昧なまま「海洋放出」という名の海洋投棄を止めねば。
●3月3日(木)「アベ政治の継承を許さない」ポスターの日)
国会正門前 13時から
●3月4日(金)経産省抗議集会(毎週金曜日)
●3月5日(土) 東海第二原発いらない! 第三波一斉行動
市川でのアピール行動 13時~14時JR本八幡駅
●3月9日(水)福島原発訴訟第二陣控訴審
14時~ 東京高裁1回 101号法廷
●3月11日(金) 月例祈祷会 JSK47士
経産省前テントひろば 15時から
3.11福島原発事故後11年経産省本館前抗議行動
~福島は終わってない、原発はグリーンではない、汚染水を海に流すな~
日時:2022年3月11日(金)17時~18時半 場所:経産省本館前 主催:経産省前テントひろば
{経産省申し入れ}
資源エネルギー庁原子力政策課が半年以上申入れ対応を事実上拒否している中で、3.11までに申入れ書提出をし、3.11集会で参加者に披露する。「声明」を修正して申入書を来週に提出(郵送)。(2月14日)電話で資源エネルギー庁原子力政策課三浦氏から直接受け取りを断られる。3.11までに申入書提出を通告。
【発言】鎌田慧さん 他多数
●3月11日(金)17時~18時 第44回日本原電本店抗議行動 日本原電本店前(JR秋葉原駅昭和通り出口徒歩7分)
●3月11日(金)第102回東電本店合同抗議
18時45分~20時30分 東電本店前
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。