青山森人の東チモールだより…牙をむいた大雨
- 2022年 3月 3日
- 評論・紹介・意見
- 青山森人
2月21日の大雨
2月21日・月曜日、午後3時40分ごろ、首都デリ(Dili、ディリ)に降り始めた雨は小降りになりながらも2時間以上降りつづけました。すると午後6時30分ごろから中降り程度の雨足に戻してさらに降りつづけました。3時間近く雨が降りつづき、わたしの滞在する家の前の中庭は、流れ出る水の量より降ってくる雨の量が多いため、ちょっとした池になってしまいました。わたしの滞在先は首都中心地から東側にやや離れた場所に位置する高台にあるベコラという区域です。高台にこれほど水がたまるということは、下の平地には相当水が流れているであろうとわたしは少し心配になりました。
2月21日の午後から降ったこの雨は、東側からの流水による被害は出ませんでした。しかし南側からの流水によって大きな被害が出てしまいした。この場合の南側とはアイレウ地方とエルメラ地方の山岳部を意味します。首都の降水量自体はそれほどでもないとしても、これら山岳部に降った大雨が首都の西部(国際空港に近い地域)から北側の海へと流れるコモロ川の急激な増水と激流をもたらしました。コモロ川の急激な増水と激流は川沿いに建っている民家を襲い、この日の夕暮れ、大勢の周辺住民は急いで寝具などの家財道具を持ち出しながら懸命に避難をしました。
加えて、2月21日の夜9時ごろから首都にシトシト……と降り始めた小雨は、夜中になっても止むことなく、なんと明け方まで降りつづきました。小降りとはいえ夜9時ごろから翌22日の明け方までの長時間となると馬鹿にできない降水量となり、21日に被害が出た地域にさらなる追い打ちをかけました。
2月22日は明け方から深夜にかけて雨は降りませんでした。しかし23日へと日付が変わるとほぼ同時に雨が降り出し、その後、午前から午後にかけても止まず、夕方6時になっても降り続けました。首都のファトゥハダという地区にある小学校は校内・校庭が冠水してしまい、授業は中断、生徒は早退を余儀なくされました。この他、首都圏にあるいくつかの教育機関の建物の一部が被害を受けています。東チモールの大雨は住民に牙をむき始めました。
崩れ落ちる家
コモロ川周辺の被害の映像が翌22日、TVニュースやYou Tubeで流れました。明るいうちに(ということは同日午後4~6時半ごろのあいだということになる)、民家が崩れ落ちる被害が出ていました。川が氾濫して家に冠水するという生易しい被害ではなく、川の激流によって川の側面が削りとられ土台を失った家が川の激流に崩れ落ちてしまうという凄まじい被害です。22日午前中の時点で国営RTTL(東チモールラジオテレビ)局は、60棟以上の民家が危険にさらされていると報道じました。GMN(国民メディアグループ)局は、家が崩れ落ちる瞬間を映像にとらえ、また家を失った住民でしょうか、路上に泣き崩れる女性の姿を映していました。痛々しい光景です。
濁流の滝
アイレウとエルメラの山岳部に降った大雨の凄まじさもその後、映像で報道されました。山の土壌は雨を吸収することができず、山の斜面から濁流が流れ落ち山道を遮断していました。流れ落ちるその濁流はまるで滝、茶色い滝です。これが清流ならば荘厳な滝として壮観であると言いたいところですが、人の往来を阻む濁流であるからしてそんなのんきな感想はもてません。
劣悪な道路事情が常に政府批判の種となっている山岳地方ではこの大雨によってさらに道路事情が悪化し、悲劇を招きました。普段は水無川を横断している住民や首都圏と地方のあいだを往来する人びとは、生活のために激しく流れるその川を横断しなければならいという危険を背負うことになります。日本では「危険ですので川の様子を見に行かないでください」と大雨警報がだされる地域住民に警告がだされますが、東チモールでは生活道路がその川を横断することで成立することから、様子を見に行くどころの話ではなく、危険な川を渡るという行為に及んでしまうのです。バイクや車で果敢に激流の川を横断しようと挑戦しますが、バイクや車、最悪には人が流されてしまう事故が発生してしまいます。
犠牲者を出す大雨
2月21日から時間が経つにつれ大雨による被害の実態が明らかになってきました。新聞『ディアリオ』(2022年2月24日)によると、22日の時点でコモロ地区にある教会の教育施設にコモロ川周辺の住民90世帯205人が避難しました。またマナトゥトゥ地方でも12世帯が避難しています。
2月23日になると21日の大雨による3名の死亡が報道されました。ボボナロ地方で21日午後4時ごろ62歳の父親と21歳のその息子が帰宅するさい、川を渡ろうとして激流に吞まれて亡くなってしまいました。エルメラ地方では、大雨と強風によって倒れた木の下敷きとなって66歳の男性が亡くなりました(同『ディアリオ』)。
防げ得る被害と犠牲
コモロ川の急激な増水と激流が川べりの住民を襲う光景は去年の繰り返し、まるでビデオの再生です。大雨が降ればこうなることは火を見るよりも明らかなのに、防ぐことができなかった政府の責任は重いと言わざるを得ません。
政府は川沿いに家を建てるのは危険だから禁止すると警告はしますが、それだけではそこにしか家を建てて生活するしかない住民は救えません。政府は去年2021年4月に発生した大雨で被害をうけた住民に十分な支援を与えていないことを、それだけ高額な予算が必要だということですが、この期に及んで自ら認めているありさまです。災害にたいする取り組みが甘いのではないでしょうか。
『インデペンデンテ』(2022年2月28日)より。
「お金がない、タウル首相、去年の災害から立ち直れない」(タイトル)。
「タウル=マタン=ルアク首相は、2021年4月4日に発生した自然災害にまだ解決は みていない、なぜなら被害総額が大きからだ、と語る」(1行目)。
また政府は、去年コモロ川の激流で家を失って今回もまた同じところに建てられた家が被害にあったとしても支援はできないと冷たいことを述べています。政府は住民が危険な場所に家を建てなくてもよいように行政支援をともなう法整備をまずするべきです。それをしないで言葉の警告を発しているだけなら、何度でも同じ悲劇が繰り返されることでしょう。自然災害で被害をうけるのは立場の弱い人たちです。苦しい財政ではあるでしょうが、そこを何とかするのが指導者たちの役割です。
『ディリポスト』(Dili Post、2022年3月1日)より。
「地方首長には地域住民に危険な場所に家を建てることを禁止する権限がない」(タイトル)。
「ディリ地方自治体のベラクルス区内ビラベルデ町長のアブドル=マンコリ=アラニャードは、住民が川べりや山の上という危険な場所に家を建てることを禁止する権限を地方首長はもっていない」、「住民は(子どもを)学校に行かせるため生活するためにやって来て家を建てるが、住民のその権利を抑制するためには地方当局に権限を与える法整備が必要であると語る」。
東チモールの”気象庁”は「危険な場所に近づかないように」との警告と一緒に各個人が所有する携帯電話やスマホに大雨の警報を送信します。しかしながら地方では道路事情が劣悪で橋がかけられていない川が多々あります。大雨警報だけでは、危険は百も承知で増水した川を渡らざるを得ない人たちを川から遠ざけることはできません。大雨のたびに悲劇は繰り返されます。そしてこれも最低限のインフラ整備がされていれば防げ得る悲劇なだけに残念です。
防げ得る被害と犠牲といえばデング熱も然り。保健省のオデテ=ビエガス(元国立病院長)は、各診療機関のデング熱対策の行動は遅きに失したと過ちを認めました(『インデペンデンテ』、2022年2月28日)。去年の12月の時点で昆虫学者は大雨によって蚊の大量発生を警告したのにもかかわらず早急な対応をとらなかったことを悔やんでいます。自らの過ちを認めることは立派ですが、30名以上もの子どもたちが犠牲になったことに関しては、親が子どもをすぐに医療機関に連れてくれば助かっていたと親の責任に転嫁しているところがちょっと気になります。
防げ得る被害と犠牲は防げ
2月23日以降も犠牲者がでました。24日、コバリマ地方とボボバロ地方に流れる川が人を吞み込んでしまいました。42歳の母親とその息子が川に流され、息子は助かり母親は亡くなってしまいました(『ディアリオ』、2022年2月28日)。
市民保護庁は2月28日、今年1月から2月27日夜9時30分までの自然災害による被害報告をタウル=マタン=ルアク首相にしました。それによると14名が命をなくしたのことです。犠牲者の内訳は、ボボナロ地方で4名、エルメラ地方とマナトゥトゥ地方でそれぞれで1名、バウカウ地方で6名、飛び地RAEOA(オイクシ・アンベノ特別行政区)の2名です。また2月27日の時点で1週間前の大雨によってコモロ地区の教会教育施設に避難している住民は80世帯の294人となり、首都デリ市内で128棟が被害をうけ、そのうち4棟が破壊、3棟がかなりの破損、川に吞まれるなどの危険な状態にあるのは105棟であると報告されました。
自然が暴れるのは防ぐことはできないとしても、被害と犠牲を出さないように効果的に手を打つことはできるはずです。とくに同じ被害と犠牲を繰り返えさないようにするのは政府の大きな役割です。人命救助の観点を強化して、これから襲ってくるであろう3~4月の大雨にたいし適切な対策を講じることが指導者たちに求められます。
3月2日から大統領選挙運動が始まりました。16日まで続きます(投票日は19日)。2月28日、わたしはベコラから首都中心部にむけて大通りの坂道を歩いて下っていたとき、ベコラ教会に近いところで、ラモス=オルタ候補者が愛用の小型オープンカーを運転して走らせているのを見ました。車の後ろの座席にはシャナナ=グズマンCNRT(東チモール再建国民会議)党首が座って沿道の人びとに手を振って愛嬌を振りまいていました。東チモールの指導者たちはいまこんなことをやっている場合でしょうか?
青山森人の東チモールだより 第452号(2022年03月03日)より
青山森人 e-mail: aoyamamorito@yahoo.co
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
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