「ロシアの軍事侵略 弾劾」の間隙 /ウクライナ情勢についての私考(試論)Ⅱ
- 2022年 3月 12日
- 評論・紹介・意見
- 小島四郎
この頃、駅頭で「ウクライナ戦争反対」ゼッケンをつけてスタンディング情宣している個人・グループを多く見かける。最近までは、コロナの影響もあって駅頭での政治的街宣行動が殆どなく閑散としていた。私は、こうした街頭情宣に励まされる。ウクライナ情勢にかこつけた自民党の一部国会議員は「核共有」や「非核三原則の見直し」を滔々と語り、防衛相等も敵基地攻撃も『排除』せず」とやたら力んでいる。それだけに、人々の駅頭情宣を含めた様々な反戦・非核・平和の情報交換と集会とデモが必要だ。ウクライナで始まった欧州の再編は、この国の戦後政治にも大きな影響がある。
よく見ると、ゼッケンに「ロシアの軍事侵略 弾劾。その上での対話」と書かれている。書いた人は、今回のウクライナ紛争の経過を知っているのか。内容に、違和感と異議がある。ウクライナとロシアの問題は、ある長い歴史と今がある。それを、あるウクライナ人はロシア帝国の数百年前に及ぶ「血の色に塗られた歴史」という。しかし、問題は今のことだ。第二次世界対戦中は、ウクライナはロシアとしてナチス・ドイツと闘った。ウクライナは大祖国防衛戦争の戦場として多くの犠牲者を出した。ソ連邦解体後にはウクライナとして独立した。しかし、2014年2月、ウクライナとロシアが領有を争っていたクリミアにロシアは軍事侵攻し、親ロ派のウクライナ大統領を動かして、同年3月18日に条約を締結し併合した。同時期、キエフではウクライナ併合に抗議するマイダン革命(尊厳革命)が起き、親欧米派が親ロシアのヤヌコヴィッチ大統領を追放し、ポロシェンコ暫定政権を樹立した。かくして、ウクライナ全土とウクライナの全ての人々を反映した政権は消滅した。(以降は、キエフ政府と呼ぶ。)ヤヌコヴィッチはオレンジ革命(2004年)時にも大統領であったので二度目の追放であった。これに反発して東部のドネツク州とルガンスク州では、親ロシア系住民の分離独立の武装蜂起が起きた。翌年(2015年)にポロシェンコ・キエフ政府とロシアとドイツとフランスが署名した「ミンスク合意」が結ばれる。この「合意」は東部地区に特別な自治(分離独立)を認める内容であった。しかし、ゼレンスキーは「合意」を認めず、15年には、ルガンスク地区と並びロシア系住民が多いドネツク地区に、攻撃用ドローンを撃ち込んでいる。当然、家屋は破壊され死者も出た。つまり、ゼレンスキーは、2019年3月に大統領に就任する以前から、「ミンスク合意」を破壊する活動を行っていた。2015年時点で、ゼレンスキーはロシアを敵と定め、キエフ政府を対ロシアの「戦争機械」として鍛え上げていくことを決意し、ヒマワリ革命以来の米英との関係を深めていった。そして、2019年の大統領選に勝利するや、東部二州での戦闘を激化させた。一説では、8年間で18000人が死亡したと言う。これはもはや内戦である。キエフ政府は、ミンスク合意を意識的に破壊した。実際、「ウクライナ軍の練度は8年前より高い」という証言もあり、8年前の2014年以降、ウクライナ軍の「練度」を挙げる訓練を重ねてきた。それだけに、「ロシアの軍事侵略 弾劾」が実践的に意味している、ロシア軍は<撃ち方止め>国境線まで撤退せよ、という事の危険性について、どこまで考えたのかと尋ねたい。また、「その上での対話」についても同様に尋ねたくなる。撤退中も対話の時も、キエフ政府軍は国境線までロシア軍を追撃しても良いのですかと。もしも、キエフ軍に従う親米民族武装兵・国際志願兵なども同時に<打ち方、止め>なのだから、何も問題は起こらないと考えているのなら、楽観過ぎると異議を唱える。撤退後の対話の実現は、キエフ政府以外の第三国による在ウクライナのロシア系住民への安全保障がない限り成立しません。それ程、相互の不信と憎しみは深い。国境越えを「軍事侵略」と規定する限り、キエフ軍によるジェノサイドを呼び、ロシア軍の全面介入のトリガーを引き、ウクライナ全域が戦場となり、ポーランドそして欧州が戦場になる。また、亡くなった18000人への戦争責任はどうするのと。ゼッケンした人たちが考えるような単純な事ではない。単純化すればするほど、1ミリでもロシア軍が国境を超えたら「俊略」だと非難し、紛争の長期化とEU諸国の再統合を望む米英の思うつぼなのだ。
軍事侵攻について、プーチンは24日のテレビ演説で「ロシア、ロシア国民を守るには他の方法がなかった」・「ウクライナ領土の占領はないと述べた。あくまでもキエフ政府の攻撃からロシア系住民約400万人(内、ロシア国籍所有者約40万人)を守るために、同胞保護のために主権を行使したと説明した。また、ドネツクとルガンスクの二つの人民共和国からの軍事要請に応えて集団的自衛権を行使したとも述べた。つまり、2月24日のロシア軍の国境越えは、突然起きたのではなく、地域紛争の延長と、思えた。それ故か多くの新聞の見出しも「ロシア軍の軍事侵攻」であって、「侵略」とは書かなかった。社説で「国の主権を侵す明白な侵略」と言い切ったのは朝日新聞だ。しかし、朝日新聞は、8年間に及ぶゼレンスキーの「ミンスク合意」潰しの武装攻撃には沈黙している。キエフ政府の在住ロシア人への差別排外攻撃と、それに抗したロシア軍との紛争状態にあった事に一切触れていない。こうした厚顔無恥を棚に上げ、中国に「侵略反対なぜしめさぬか」(3月8日 社説)と詰め寄っている。朝日新聞に訊ねたい。キエフ政府は「領土と主権の一致」を名目に、在住ロシア人を殺戮してきた。それに対してロシア政府がロシア人を守る事は、主権の行使ではないのか。かつて、イラン革命の際に行われた、米国大使館員救出作戦は、米国による主権行使ではなかったのか。これは侵略なのかと。その時、朝日新聞は何と言っていたのか。「領土と主権の一致」は、現在でも荒削りの概念であり、帝国主義者も民族解放運者も使い、結局、常に力の行使で決着がつけられてきた。がしかし、当事者の納得する解決ではないので繰り返し矛盾として吹き出し、ぶり返され、世界中の紛争の種になっている。解決策は、対話だけである。朝日新聞は、この点に口を結んだまま、今日までロシア批判を続けている。すっかり、ゼレンスキーに与し、この愛国者の世界戦争への狂気を褒めたたえている。
ロシアの行為は国際法に反していない。国連憲章は同胞(国民)の保護や集団的自衛権を認めている。つまり、24日の軍事侵攻に対して、国際法違反だと上段に構えて糾弾する米英やEU諸国そして欧州メディアには無理がある。国境を軍隊が1ミリでも越えたら国際法違反との見解は、ウクライナ侵攻では判断の基準にならない。むしろ、ロシアと米国が国際法を利用して米ロ角逐戦にウクライナを利用したと言える。その上で、私なりにロシアの過失と指摘したい事がある。2015年のゼレンスキーの軍事攻撃に対して、ロシアは二つの歴史的要素に配慮すべきだった。一つは、ロマノフ王朝以来、長く民族的抑圧をウクライナ人に強いてきた事、二つに、ナチスによるウクライナ在住ユダヤ人の強制収容から守り切れなかった責任である。この歴史を根底に置くと、ゼレンスキーとそれを支える米国(NATO)の干渉によってミンスク合意が破壊されても、ウクライナのロシア系住民を守るための戦争準備ではなく、そうした紛争的事態を回避する策を、ドイツとフランス(この両国は合意文書に署名している)の三カ国で相談しウクライナ問題(ミンスク合意に関する)での国際会議を開くべきだった。 ところが 、米国-バイデンが戦争危機を煽り、遂にはプーチンとの電話会談の後、「米国はウクライナに米軍を派遣しない」と明言し、<プーチンよ、ウクライナに軍事侵攻できるものならやってみろ>とけしかけた。ゼレンスキーも「ロシア軍は来ない」と明言していた。いまでは不謹慎な言い方になるが、これにプーチンは<大ロシアの大統領>が小馬鹿にされたと怒り、堪忍袋の緒が切れて、2月24日の軍事侵攻へ走った。しかし、領土・民族が絡んだ問題は、戦後も今も、決して武力では解決できない。当事者相互の信頼と安全があっての話し合い解決以外にない。ましてや、ウクライナ問題のような複雑な歴史と複雑な国際的力学の焦点となっている所では。既に、ウクライナの地域紛争は政権を巡る戦争へと発展し、更には欧州全体、世界大戦の可能性も出てきている。
政権転覆と革命を考える。当初、プーチンはロシア軍の侵攻を自衛目的の限定的侵攻であると明言していた。進行しても住民のライフラインを避けて行動、していた。私は「ミンスク合意」の徹底-ロシア人保護の為だと考えた。所が、違った。狙いは、キエフ政府の打倒-傀儡政権への交代であった。政府打倒-交代はウクライナの人々の権利、最も大切な権利である。この原則を破れば侵略になる。
三方面から侵攻したロシア軍が東部の在ロシア人の安全確保に向かわず、キエフやオデッサやハリコフなどの大都市部に向かい、かつチェルノブイリ原発を占領した。こうした軍事展開は、ウクライナの人々に犠牲と沈黙を強い、自由を奪い政権交代の権利も奪う。ロシアは侵略者に堕した。地域紛争が国家間の戦争へとの転化-侵略軍と祖国防衛軍との戦いになった。仮にロシアが勝ち親ロシアの政権が誕生しても、ウクライナ地域紛争の一時の休戦でしかない事は、歴史を振り返るまでもなく、自明である。しかも、頼るべき国際法など有りはしない。国連憲章は、国家・領土・国民の保護を優先し、「武力による威嚇又は武力の行使を、‥慎まねばならない」(『国連憲章』2条4)という原則を述べているにすぎず、ウクライナのような複雑な歴史を抱えた民族・領土問題には対応が出来ない。柔軟かつ粘り強く対話できる国際的な政治環境を作らねばならない。世界には、近代帝国主義諸国が諸民族・地域の支配のために、過去の帝国の歴史も利用し勝手に国境と領土を定めてきた地域が多く存在する。ウクライナ問題は、確実にクルド民族やウィグル族や台湾問題に連動する。こうした国際法上の限界を見透かし悪用し自陣営の有利に世界を動かそうとする米英やG7がおり、ロシアも中国もおり、背後に新自由主義の利益の為なら命も売買する企業群がいる。軍事行動より会議のテーブルづくりに励むべきであった。自制するべきだったのだ。
軍事力で政権交代を目指すのは、戦後80年以上も米国がベトナム・アフガン・イラクその他、多くの国と地域で実行してきた侵略行為である。それを、例え主権と集団的自衛権の行使と言う国際法上の名分があっても、決して行ってはならないと定めたのが国連憲章・前文の「大小各国の同権」なのだ。これ、は、原則・基準であるようで、そうでもない、頼りならない、がしかし現代世界の基準とされている国連憲章の核心といえる。米国は、この核心を何度も無視し、イラク戦争の際には、国連決議も無しに勝手に有志連合軍を作りフセイン政権打倒を行った。ウクライナの人々は、「国の同権」を否定され、自分たちの政権を作る権利を奪われた。かくして、キエフ政府に反対する人々も含めてウクライナの共通の敵に対し、一致団結し祖国防衛戦争へと革命戦略を転換せざるを得なくなった。毛沢東の1935年の戦略転換(『日本帝国主義に反対する戦術について』)に似ている。つまり24日以降、ロシア軍の戦争目的が政権打倒である事がハッキリしてくる中で、人々の闘う方向性がロシア軍対ウクライナ愛国軍との闘いへと変化したのです。これは、プーチンがミンスク合意を尊重する人々や国際世論の支持を失い、他方ゼレンスキーは差別排外主義者・NATOの手先から一躍・愛国者となり、一気に両者の政治的立ち位置が大きく変わった事を意味した。
愛国軍の中には、極端に言えば24日過ぎの短期間であれ、キエフ政府の反ロシア差別排外主義に反対し続けていた人々もいますが、親米派の民兵組織や志願兵もいます。ともかく、急速に反ロ愛国戦線が出来上がったのです。この戦線の主勢力はキエフ政府軍です。革命戦略が変わっても、このキエフ軍の体質は変わりません。キエフ政府軍の暴走を止める役目を担うべき反キエフ政権派は、まだまだまだまだ小さな勢力。この勢力はウクライナのNATO化に反対し、またウクライナ人のためのウクライナ建設にも反対し、自立・中立を目指している。私は、路線転換し祖国防衛戦争を戦っているこの勢力を支持し期待しています。しかし、愛国戦線の少数派です。35年当時の毛沢東の様に、強固な政治指導部も鍛えられた部隊も未形成。こうした現在での愛国戦線の状態では、「ロシアの侵略 糾弾」は例え<正義>の要求であったとしても、ロシア軍が国境線に戻ってから「その上での対話」なら、恐らく対話中にも、キエフ政府によるウクライナのロシア系住民へのジェノサイドとロシア国境への放逐が必ず起こります。その瞬間に、今は<正義>を独占している人々は、ジェノサイドの犯罪・悪として糾弾される。
非常に難しい問題を、「侵略 弾劾」で事態を括り実行を迫るのは禍根を残すやり方で、はっきり言えば間違い。ジェノサイドや放逐の中心的実行部隊は、ゼレンスキーが最も信頼を置いている米・英の特殊部隊です。この可能性について、東京新聞3月7日付けの記事で「英国立防衛安全保障研究所」(RUSI)の秋元千明が指摘しています。彼は「米英は、‥情報機関と特殊部隊で編成された複数のチームを秘密裏に現地派に派遣し、ウクライナ軍の作戦指揮や米欧の兵器の提供、ウクライナ指導部の亡命準備に従事してきた」と述べています。我々が<ジェノサイドにはならないよ>と、軽く考えるのは長い抑圧―被抑圧と弾圧の歴史を知らないからです。結果次第では、欧州大陸を戦場にした大戦争になります。とても難しい状況なのです。私の「違和感と異議」は特別な事ではなく、米英の欧州再編・エネルギー秩序の再編を狙う国を除いて、人々がまたEU諸国が皮膚感覚として実感している事なのです。現在、仲介役にトルコが名乗り出て、一方中国もそうした役割を果たす用意があるとの話が出ている。今は、名前がでている国のネゴシエーションによる<即時の停戦そして対話の実現>に期待するしかありません。ユーゴ内戦に終止符がうたれたのは、戦端が開いてから10年以上がたってからであった。恐らく同様に、今後十年以上に亘り続く停戦と和平の交渉が続くだろう。そして、どこかの時点で、反ロ反米ウクライナ人民戦線がキエフ政府に変わって政治勢力として登場してくるだろうと期待している。新たな主体が登場することで、長い・長い民族抗争にピリオードがうたれ、新たな人々が国境や領土や民族を超えて、多様で豊かな社会へと進んでいくだろう。
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion11843:220312〕
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