青山森人の東チモールだより…祝!「独立回復」20周年記念
- 2022年 5月 28日
- 評論・紹介・意見
- 青山森人
公布された法案とされない法案
5月18日、ルオロ大統領(当時)は、市民団体「ともに歩む」などが反対していた補正予算を公布しました。約11億ドルという大型の補正予算案は国会を通過したあと、国会内の予算・財政を担当する分科会で正式に編集される過程で増額され、報道によれば(例えば『ビジネス チモール』[2022年5月23~29日号])公布された補正予算額は12億4121万748ドルとなっていました。
もう一つの「5月20日」前の駆け込み法案である大統領責任に関する法案についてですが、ルオロ大統領は次期大統領に判断を委ねました。大統領が政権与党の勢いに乗ることなく冷静にもブレーキをかけたことは高く評価してよいと思います。
ラモス=オルタの大統領就任式典を知らせる看板。
大統領府に近い広場にて。
2022年5月20日、ⒸAoyama Morito.
上の看板の裏側(あるいは表側?)は「独立回復」20周年を祝う看板となっている。
2022年5月20日、ⒸAoyama Morito.
20年目の「5月20日」
5月19日、記念式典に参加するため海外から訪れた来賓客が続々と東チモールに到着し、政府・大統領府そして指導者たちは接客に大わらわでした。
考えてみれば、シャナナ=グズマン率いるCNRT(東チモール再建国民会議)が野党となりフレテリン(東チモール独立革命戦線)が代わって政権与党となった現体制の第八次立憲政府にとって、本格的に国際社会の舞台の上に立つのがこれが初めての経験といえます。
大統領府にとってはルオロ大統領が任期中に公務として外遊できたのは、インドネシアの大統領就任式に出席したくらいで、重要なバチカンからの招待にも当時の最大与党であったCNRTとの確執から国会の承認を得られずじまいで、国外に出られませんでした。フレテリンが最大与党に代わったのでルオロ大統領は外遊ができると思いきや、世界中に蔓延した新型コロナウィルスのためにできませんでした。フランシスコ=グテレス=ルオロは、国内の政治的袋小路と世界的な新型コロナウィルスの両災禍によって国際舞台にたてられなかった不運な大統領といえます。そのルオロが大統領として5月19~20日に海外からの来賓客に対応できたことは少しの慰めにはなったのかもしれません。
5月19日夜、首都郊外タシトゥールに設置された会場で、歌や踊りなどのエンターテイメントで新大統領の就任を祭り気分で祝いました。夜も深まった11時ごろ、ルオロ現大統領とラモス=オルタ次期大統領が会場のひな壇に着席し、厳かな形式にのっとった宣誓就任式へと雰囲気が切り替わりました。そして日付けをまたいで20日の0時10分ごろからラモス=ホルタによる大統領就任の演説が始まりました。ラモス=ホルタはさすがこういう舞台に立つのは慣れたもので、ポルトガル語・英語・テトゥン語ときにはインドネシア語も少し交えて、海外からの来賓客を退屈させないように気を配りました。演説の内容ですが、国内向けには平和・自由・民主主義・発展を守りそして強化する立場を主張しつつ、シャナナ=グズマンへの賛辞を忘れていませんでした。そして国際社会向けとしては、ウクライナそしてアフガニスタン・ミャンマー・シリアの戦争・紛争に言及し、とくにフランスのマクロン大統領をロシアのプーチン大統領にたいし戦争回避を働きかける努力をした人物として称えました。およそ30分間の演説が終わり、ラモス=オルタは10年ぶりとなる大統領職に返り就きました。
ところ変わって大統領府の広場、5月20日の午前、「独立回復」20周年記念式典が行われました。10時ごろ国旗掲揚の儀式が始まり、それが終わると20年前の「独立回復」宣言を当時読み上げた国会議長であったルオロ前大統領が再び読み上げました。次にラモス=オルタ大統領が解放闘争に命を捧げたすべての人たちのために一分間の黙禱を捧げ、そして演説へと続きました。ラモス=オルタ大統領はおよそ10時間半前に演説をしたばかりなので、くどくならないように配慮したと思われます。演説は約20分ほどで終わりました。そのなかで解放闘争の指導者たちと若い世代への賛辞と国際社会への謝辞を送り、男女平等とジェンダーの多様性を支持する姿勢を国民そして海外からの来賓客に向けてアピールしました。演説の途中でラモス=オルタ大統領は大統領府広場の外で式典を観ている人たちを広場に入れるように取り計らい、海外からの来賓客の方を向いて英語で「ちょうどいま私は広場の門をあけて子どもたちに開放するように言ったところなんですよ」と解説して、前の晩遅くまでタシトゥールの会場にいたお客さんたちを飽きさせないように老獪で粋な演出を披露しました。
10時40分ごろ式典が終わると、会場広場に入った人たちは思い思いに記念写真を撮り、和やかな祝日の雰囲気を満喫していました。
わたしの見たところ5月18日から庶民の生活は祝日・休日のムードに浸っていました。20日になると交通量が少なく町はひっそりとしていました。なかには開いている商店もありましたがほとんどの店が閉まっている状態でした。
20年前の「5月20日」とは違い、歴史的な場に居合わせたいという熱い想いで式典会場に赴く人(わたしもその一人でした)は今はそれほどいるとは思われません。会場に足を運ぶには各人それぞれの事情と動機があってのことで、自由と独立を達成したぞ!という国民一体となるような熱い想いはもはや過去のものです。加えて、いまはテレビのほかにスマホでもYouTubeを通して式典からの中継を見ることができます。暑い中、なにも無理して会場に行くことはありません。各個人がめいめい「5月20日」をすごしているのが今の東チモールです。
ラモス=オルタ大統領が演説中に開けさせた門。
大統領府入り口にて。
2022年5月20日、ⒸAoyama Morito.
記念式典が終わると会場に入った人びとは思い思いに記念写真を撮り始める。
被写体として人気があったのは制服姿であった。
大統領府広場にて。
2022年5月20日、ⒸAoyama Morito.
駆け込み法案にたいする新大統領の姿勢
さあ、シャナナ=グズマン率いるCNRTと国会解散を約束したラモス=オルタが大統領に就任しました。
ラモス=ホルタ大統領は、5月18日に前大統領によって公布された補正予算案について控訴裁判所に違憲性を諮る構えを見せています。まったく緊急性がないのにもかかわらず緊急と称して大型の補正予算が公布されたことについて猛抗議の会見をした市民団体「ともに歩む」は、ラモス=オルタ大統領の構えを歓迎しています。補正予算にかんして残念なのは、タウル=マタン=ルアク首相が市民団体や世論の批判に真摯に向き合って説明しようとしないことです。
大統領責任に関する法案ですが、当時のルオロ大統領がラモス=オルタ次期大統領に判断を委ねたことについて、野党CNRTの国会議員はルオロ前大統領に感謝を表明し評価しました。ラモス=ホルタ大統領は当然のことながらこの法案は優先事項ではないと述べています。おそらく拒否権を行使することでしょう。
果たしてこれら「5月20日」前の駆け込み法案が国会解散の理由に発展するでしょうか?あるいはシャナナによる新連立勢力形成の工作が続いているのでしょうか?ラモス=オルタ大統領の一挙手一投足が注目されますが、それ以上に水面下におけるシャナナの動向が気になります。
祭りのあと
5月24日、公共放送局・RTTL(東チモールラジオテレビ)の夜のテレビニュースで、広大なゴミ捨て場でゴミをあさって家族の生計を助けている子どもたちの姿を短くまとめた映像が放映されました。全身が隠れるほどの風で舞う埃のなかでゴミの山から何か金目になるものや足しになるものを探す子どもたちの姿、そしてゴミのなかからミカン見つけた子どもたちがそれを食べる姿が痛々しいかぎりです。「5月20日」で華やかな外交活動を嬉々として展開する指導者たちに水を差す現実を突きつけた映像でした。
青山森人の東チモールだより 第462号(2022年05月27日)より
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion12075:220528〕
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