日本が武力をふやせば、まわりの国も武力ふやして悪循環に 「いのみら通信」No.115号から
- 2022年 6月 18日
- 評論・紹介・意見
- 「いのみら通信」水野スウ
<(リベラル21)編集委員会から>
石川県津幡町在住の水野スウさんは、40年近くにわたって「紅茶の時間」という名で毎水曜午後、自宅を開放し、誰でも気軽に社会のことを話しあえる場を開いているほか、2005年ごろからは、日本国憲法をもっと身近に感じてもらうため、頼まれれば全国どこへでも出かけて「出前紅茶けんぽうかふぇ」をおこなっています。そんな「出前紅茶」はすでに350カ所に及びます。
その一方で、水野さんは、手書きの「いのみら通信」の発行を続けています。「いのみら」とは「いのちの未来がよりよいものでありますように」という願いを込めたネーミングとのことです。最新号は今年の5月13日発行ですが、その一部を水野さんの了解を得て紹介します。「いのみら通信」に関する問い合わせ先はsue-miz@nifty.com
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■9.11が世界をかえていったように、ロシア軍によるウクライナ侵攻もまた、世界を変えていくと思います。ロシアのお隣フィンランドはこれまで中立国だったけれど、大きな枠組みのNATOに入ろうとしている。スウェーデンも。ウクライナからの映像見ている人たちの中にも、ウクライナみたいになったらどうしよう、自国の平和のためには戦争もしかたない、ってそれまでとは違う気持ちになる人、ふえているかもしれません。
■日本でも、自分の国がいま攻撃されているわけじゃないのに、9条かえよう、軍事費倍にしよう、テキキチコウゲキノウリョク(っていい方やめたそうです、かわりに反撃能力)持とう、って声が前より大きくなってきています。それが日本を守るためだ、もっと強いものに守られなきゃ、って不安な気持ちは、うん、よくわかる。だけどね、こうも思うんです。日本が武力をふやせば、まわりの国もさらに武力ふやして、それなら日本ももっとふやして、って悪循環ループがぐるぐるぐるしてって、それはもうきりないんじゃないだろうか、って。
■たとえば、アメリカの核を日本に置いたら日本が強くなったように思えるかもしれない。でももしも唯一の被爆国だってこれまでずっと世界に言ってきた日本がそんなこと決めたら、まわりの国々どう思うだろう。どうやら日本は態度をガラっとかえるみたいだぞ、危険だ、って警戒されるんじゃない? それに、核を実際使うにはアメリカの許可が要って、日本だけの決定権は全くないよ。日本の平和のための選択のはずが、未来は全然、平和になりそうじゃない……
■世界の中には、ヒロシマ、ナガサキの被害を知らず、原爆落としたのは正しかったと思ってた人たちもいっぱいいた。だけど、ヒバクシャの方たちが、必死の想いでずっと伝えて伝えて、そうだったのか、知らなかった、そんなにも非人道的な武器だつたんだね、と気づいた人たちや国々が協力して、やっとやっと国連で核兵器禁止条約ができて、2021年1月からは核をもつことも使うことも禁止になったばかりだよ。それがよりにもよって「あの日本ですら核を」となったら、それは世界が未来に、平和に、向かう方向を決定的にかえることだと私は思います。だって世界はひとつながりで、お互いに影響しあってるのだから。
■悲惨な状況に頭が混乱している時ほど、立ち止まって考えるためのよりどころがきっと必要。焦る気持ちに押される前に、ちょっと待って、これは世界が平和に近づく方向だろうか? それとも遠ざかる方向だろうか? と、私は掌に握りしめた羅針盤にじっと目を凝らします。
■戦争をはじめるのは国ではなくていつも、ひと。こう書いてふいに、バーバラ・リーさんの名前を想い出したよ。
9.11のたった3日後、アメリカ議会で「テロを実行した国や組織などに対して大統領が武力行使することを認める決議」が出されたんです。その時、反対したのは上院下院通してリー議員ただ一人。星条旗のもと一丸となったアメリカの人々から、リーさんは当時どれだけ激しくバッシングされ叩かれたことだろう。
■その時のアメリカがそうだったように、いま自分の国が危ない!と思うと、あっという間にたやすく国と自分が一つになっちゃう性質が、人間にはあると思う。たとえ国の命令やあからさまな圧力がなくても、自分を国に委ねようとしたり、自分を国に差し出そうとしたり、そうしない人を責めたりして、全体が一色に染まっていく。人々の内側から沸いてくるそんなうねりは、同じ色になろうとしないものを呑みこんで消そうとする。その中で自らの個を消さないで自分の意見を貫く、って並大抵のことじゃないんだ。
■リーさんが2001年9.11テロ直後にとった行動。どれだけ多くの人にバッシングされようと、目の前で行われようとしている決議がどうしても正しいと思えないリーさんは、その個人としての意見を手放さなかった。大きな全体に流されずにちゃんと個のひととしてあり続けた。これって日本国憲法の13条なんじゃないの? って私は思いました。
■え、どういうこと? 13条って何だっけ。「すべて国民は、個人として尊重される」と書いてあるのが13条です。かつて、国のためにいのちを投げ出すのが当たり前の時代があって、その深い反省から生まれた日本国憲法(原案を書いたのはGHQだけど、その下地には憲法研究会の草案があったよ)。その13番目で、それまでは何をおいても一番の価値とされてきた「公」から「個」へと、もっとも大切なものが180度、大転換。
■この13条は、あなたはほかの誰ともとりかえのきかない唯一無二の存在、と言っているだけじゃない。国が間違ったことを言ったり、していると思った時は、個を消して黙るあなたではなく、自分の考えを持つ個人として行動する、そういうあなたでありなさい、と「わたし」に求めている13条でもあるんじゃないだろうか。
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