再びウクライナ戦争を考える 煽られた民族の分断は、何を生み出したか
- 2022年 7月 9日
- 評論・紹介・意見
- ウクライナ紛争松井和子
私は教師になった時、障害を抱えた子どもたちの教育に携わろうと考えていた。そして今から20年程前退職するまで、その仕事に携わって来た。
1970年代の初め、まだ日本では障害を抱えた子どもたち全員が学校教育を受けられる状況になかった。障害はないけれど経済的な貧困から学校に行けず学習が遅れた子が障害児学校に編入させられてもいた。1970年に入って障害児が増え始め、入学を希望しても入学できない状況が生まれてきた。仕事の傍ら、研究会仲間たちと学校に入学できない地域の子どもたちの実態調査をした。家の中のひと部屋にずっと閉じ込められている子、保育園は行けたけど学校へは行けず退化の様子を見せている子など実態が分かり、行政などにその実態を伝え、「就学猶予制度」の見直しを訴えた。
1981年「国際障害者年」と、続く「国連・障害者の十年」など国際的な動きが加わって、1979年にやっとすべての障害児の教育義務化が実現した。1960年70,614名だった障害児学校・学級児童生徒数は、2000年には190,572名となった。
退職後、友人から声をかけられ、初めて、地域にあった朝鮮学校を訪ね、授業を参観した。そこで初めて、日本で生まれ育っても日本民族でないとの理由で子どもたちの教育が保障されていないことを知った。人として対等に扱われない差別がここにもあった。何とかしたいと子どもたちを支援する会をつくった。しかし民族差別はそれから20年余り過ぎた今も変わらない、それどころか、ひどくなっている。
以上の経験から、ウクライナ戦争が起き、何が原因だったかを調べるうちに、その歴史において民族問題が大きく関わっていることに関心を持った。同じ地球に同じ人として生まれたのに、戦争にまでなったこの事態は悲しみであり、恐ろしいことだった。2013年チェルノブイリを訪ねた時、病院で出会った子どもたちはいまどうしているだろうかと思いながら、ウクライナの歴史や文化、政治のことなどを調べた。
旧くから人が住み、支配者が絶えず変わりながら、東西ヨーロッパの交通の要衝となってきたウクライナ。そこで起きた戦争は止みそうにない。犠牲者は無辜の民。
ウクライナにはずっとずっと昔から、民族の統合や言語の統一は重要視されず、他民族が融合してきた歴史があった。ユーラシア大陸の民族とともに言語や文化に共通性を持つスラブ民族である。文学や音楽にもそれが表れている。だが19世紀に西欧の「民族=国民国家」概念が入り、第二次世界大戦、ソビエト体制崩壊を経て、その様子は変化を見せていたようだが、日本と違って、ウクライナ人もロシア人もつい最近まで一緒に暮らしてきたのだ。今回の事態に、飽くなき利潤を求める大国の思惑が、被さって見えた。
第二次世界大戦で組織的な大虐殺を引き起した民族至上主義ナチスドイツは、ヨーロッパの国々を席巻し、ウクライナにもやってきた。他の国と違い、西ウクライナでは、ヒトラーに対抗するのでなく彼らの思想に同調、同盟を組んだ。そして自国や近隣諸国のユダヤ人虐殺に手を貸し註1)、多くがナチス党にも所属した。
大戦終結後、国際法廷でナチスドイツも皇軍日本も裁かれた。
しかし何故かウクライナのナチスドイツに関わった者たちは、ニュルンベルク裁判で裁かれなかった。日本も731部隊細菌戦に関わった者たちが東京裁判で裁かれることはなかった。どちらもその思想は温存され、戦後も生き延びた。
ウクライナの民族主義者たちは1950年半ばまでゲリラ部隊として存続、アメリカCIAが彼らを匿い支援していたという記録(アメリカ公文書)が存在する。731部隊の研究試料は日本を占領したアメリカに渡り、直後起きた朝鮮戦争では、アメリカによる細菌戦に731部隊関係者が協力していた記録註2)が存在する。
日本は、1951年サンフランシスコ条約で独立、「植民地とした朝鮮・中国の島々に対する権利」もすべて放棄、新しい日本国憲法が制定・発布された。しかし昭和天皇によってアメリカに差し出された沖縄のアメリカ基地は、独立後もそのまま残り、日本国内にあるアメリカ基地の70.3%がいま沖縄にある。
ウクライナは大戦後ソビエト連邦下にあり、独立したのは1991年ソビエト崩壊後である。独立後のウクライナ政権は汚職が蔓延し、産業は疲弊した。そして2004年にオレンジ革命、2014年2月にはクーデターが起きた。それによって民族の共存は揺らぎ、ウクライナに暮らすウクライナ人とロシア人の分断は深まった。
2014年のクーデターで第2公用語ロシア語は禁止になった。ロシア人が多く住む東部や南部地域から抗議が起きた。東部の自治を求める住民投票をウクライナ政府は認めず、地域住民の権利は剥奪された。その内戦は8年間続き、停戦のための「ミンスク合意」は動かず、今年2月攻撃は激しさを増した。東部住民はロシアに軍事支援を要請、翌日ロシア・プーチン大統領は侵攻を発動した。ウクライナ戦争が始まった。
「正義のウクライナ」「悪のロシア」と報道され、世界中が一色に染まるように見えた。本当にそうなのか? 私には疑問だらけの戦争だった。
‟争いを武力で解決しない”と誓った日本は、アメリカ・西側諸国と一緒に、戦争を終わらせるどころか、その対立を支援・助長している。戦争の惨禍は、そこに暮らすウクライナ人、ロシア人を襲い、いのちも生活も破壊している!!!
私は知りたい。8年前、いやそのずっと以前から、国内で民族同士が争う状況が生まれてから今日まで、ウクライナ国内で起きていたことを知りたい。人びとはそうした状況をどう知り、どう見ていたかを。
私たちの国・日本では、沖縄が米軍基地下で土地を奪われ、経済困難を抱え、大変な状況に置かれていても、在日朝鮮人が日本人同様税金を納めながら、その子どもたちの教育権利が奪われていても、国はその政策を見直そうともしない。国民も黙っている。政権担当者たちの目線は、民の生活や未来よりも自分たちの利権あさりにあるのではないか? 一番近い東アジアの国々と友好を築くことさえもおろそかだ。 自分のふり見ず、相手のことを煽り立てる。
ウクライナで起こされた戦争で、人類も地球もまた大きな代償を払わなければならない。
アメリカはじめ西側諸国が言う「他民族共生社会」「民主主義」はどこにあるのか。
戦争で実現するはずもない。
戦争をする国になることはごめんだ。
教育に生活に役立てる税金は我われのもの、武器に変わることはごめんだ。
戦争反対! 武器供与を止めよ! 軍事同盟をなくせ! 今そう叫びたい思いで いる。
(2022/7/3)
註1)ウワディスワフ・シュピルマン著実録『戦場のピアニスト』(2000年 春秋社)
ウクライナ兵は自国だけでなくポーランドでもドイツ軍と一緒になって虐殺行為をしていた。
註2)『資料【細菌戦】』(1979年 晩聲社)p51-第3部
細細戦の実態 Ⅳアメリカの細はこうして強行された
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion12172:220709〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。