SJJA& WSJPO【西サハラ最新情報】491 国連ボスは、何のためオデッサに行ったのか?
- 2022年 8月 21日
- 評論・紹介・意見
- ウクライナサハラ国連平田伊都子西サハラ
「ペンの用意はいいか?」と、ステファン国連ボス報道官が弾んだ声で8月16日ヌーン・ブリーフィング(定例記者会見)を始めました。 そして突然、17日から20日まで<国連ボス>がウクライナとトルコを電撃訪問すると、得意になって発表しました。 トルコの記者が慌てて退席しました。
最近、国連ボスは身の安全のためだとかで、プレスの裏をかくスーパースター旅行をします。 国連ボスは世界のオープン・オフィス・国連の事務総長です。 気取ってないで、世界にオープンして行動してください。
① ウクライナ南部リビウで国連ボスが発言:
バイデン政権から多額の地球温暖化対策資金を約束された国連ボスは、バイデンが仕掛けたウクライナ大統領ゼレンスキー閣下の招待を受け、ウクライナ南部のリビウへ8月17日に入った。翌18日、ゼレンスキーはもう一人の招待者エルドアン・トルコ大統領を外して、国連ボスと綿密な作戦打ち合わせをした。そして、ロイターによると国連ボスは、「ロシアに占領されているウクライナ南部のザポロジエ原子力発電所を巡る状況に深刻な懸念を表明し、原発とその周辺を非武装化すべきだ」と、表明したそうだ。
すぐにバイデン政権国務省プライス報道官が、ロシアに対し「原発周辺でのすべての軍事行動を止めるように」と、要求した。バイデン政権とゼレンスキーと国連ボスの目的は、<黒海穀物取引視察>を名目に、ザポロジエ原発危機を煽り、ロシア軍を撤去する事にあった。最終目標は、クライナ勝利にある。
ロシア国防省は18日、ザポロジエ原発で人為的な核の災害リスクを警告し、ウクライナ軍が19日に同原発で<挑発>を計画していると主張。一方、ウクライナの軍情報機関は、ロシアが19日にザポロジエ原発で何らかの<挑発>を行う準備をしているとした。
エルドアン・トルコ大統領が招待されたのは、国連とトルコの仲介によって8月1日から再開したウクライナ産穀物海上輸出の宣伝の為だった。この場でも国連ボスは、妥協の精神で穀物輸出継続を確実にするよう、ロシアとウクライナ双方に呼びかけてみせた。
バイデン政権は新たに7憶7,500万$(約1,060憶円)の援助をウクライナにやった。バイデン政権は総額106憶$(1兆4,519億円)をウクライナに貢いだことになる。
② 「何のためオデッサに行くのか?」:
8月16日、国連ボス出発の前日に、「南のためにオデッサにいくのか?」と、ベノ記者が質問した。国連ボスの報道官は「彼が春にモスクワとキーフに行った時、<穀物取引>を最初に提案した。以来、数百万人が危機にさらされている食料問題は、ロシアの穀物輸出も含め、緊急課題になった。彼は、自らの提案成果を自ら確かめるため、オデッサに行く」と、答えた。「オデッサからイスタンブールまで、どうやって行くのか?船じゃないよね?」と、ベノが畳み込んだ。「船じゃない。旅行の詳細は教えない。私もその一員だから、安全のためにね、、」と、国連ボスに同行する報道官は答えた。
8月19日午前、国連ボスはオデッサに入った。
「穀物市場をさらに落ち着かせ、価格を下げるためには、ウクライナとロシアからより多くの食糧と肥料を輸出することが極めて重要、、世界で最も弱い立場にある人々や国々の希望だ」と、約1万トンの小麦を積んだ<クブロスリY>ばら積み貨物船に乗せてもらった国連ボスは上機嫌で、穀物取引の成果をアピールした。穀物輸出が再開して以来、25隻の船がウクライナの港を出港し、60万トン以上の穀物を輸出しているそうだ。が、<世界で最も弱い立場にある人々>のところには、たった一隻しか出港していない。
8月19日の定例記者会見でエドワード中国TV記者が、「プーチン・ロシア大統領がマクロン・フランス大統領と電話会談をした時、<ロシアの穀物輸出妨害はそままじゃないか>と、問い質したそうだが?」と、質問した。留守を預かるファラファン副報道官は、「食料はロシアへの制裁対象に入っていない。全ての政府と私企業が、穀物を市場に流すようにと、我々は働きかけている」と、答えた。
③ オデッサ(ポチョムキン)の階段:
オデッサはウクライナ南部にあり、黒海に面した最大の港湾都市で工業都市でもある。さらにリゾート地、文学都市としても有名で、ロシア帝国時代から文化の拠点となってきた。19世紀末にオデッサはペテルブルク、モスクワ、ワルシャワに次ぐロシア帝国第四の都市に発展した。1875年にロシア初の労働者の政治組織とされる南ロシア労働者同盟がオデッサで結成され、1900年にはロシア社会民主労働党オデッサ委員会が設立された。1905年から1907年にかけてのロシア第一革命ではオデッサは革命運動の一拠点となり、1905年6月には水兵による反乱が起きたポチョムキン号が入港する。革命後に町は落ち着き、穀物輸出と工業生産が発展した。オデッサ市の使用言語はロシア語だ。
オデッサには、<ポチョムキンの階段>と呼ばれる、200段の巨大な階段がある。黒海を航行する船にとって、オデッサの象徴とされており<オデッサの階段>とも呼ばれている。この階段はイタリア・サルデーニャの建築家フランシスコ・ボッフォなどがデザインしたものを、1837年から1841年までかけて建設された。階段は現存し、水兵の反乱が起きた戦艦ポチョムキンが1905年6月14日にオデッサに入港したのも史実だ。<ポチョムキンの階段>、別名<オデッサの階段>を 世界的に有名にしたのは、ロシアの映画監督セルゲイ・エイゼンシュテイン(1898~1948)による<戦艦ポチョムキン>のワンシーンだ。
―再上映するとー
「1905年の6月14日に、皇帝派兵士たちが階段にいるオデッサの市民に発砲した。撃たれた母の手から離れた乳母車が階段を落ちていく、、」
主要な役以外は素人(艦隊の水兵やオデッサ市民など)が演じた。エイゼンシュテインも神父役で出演している。またオールロケで撮影され、劇映画にも拘らず記録映画の臨場感がある。伝説のエイゼンシュテイン・モンタージュ手法や階段シーンは、世界の映画作家がマネをした。このモノクロ無声映画は、1925年12月24日、モスクワのボリショイ劇場で第一次ロシア革命20周年記念式典で上映され、大好評を博した。しかし、海外では共産主義的な内容を理由に、上映禁止や場面をカットして上映された。
日本では、1926年、横浜港にフィルムが着いたが、共産主義プロパガンダがあるとの判断で輸入禁止となり、敗戦まで政府により上映禁止措置が取られていた。1959年、山田和夫(評論家)などによる自主上映運動で、初めて日本人の目に触れ、1967年、ATGの配給で、やっと劇場で一般公開された。
日本語や漢字を学んだエイゼンシュテインは、「日本映画は米国映画の真似ばかりしている。なぜ日本独自の映像美を語ろうとしないのか」と、批判した。ハリウッドに招待され、「西部劇のようなものしか撮れないハリウッドはどうかしてる」と批判し、ハリウッドから二度と声がかからなくなったとか、、
世界で一番有名な6分間の映画シーン、「戦艦ポチョンキンキン」の
乳母車がオデッサ階段を転げ落ちてくるカット
2022年2月にウクライナ戦争が始まると、オデッサにあるロシアの文化遺産、建築物、標識などやロシア語の扱いをどうするかを協議する市の委員会ができ、「ポチョムキンの階段」もその協議の対象になりました。 そして、敵勢力の上陸に利用されやすい港に近接したポチョムキンの階段は封鎖し、一般市民の出入りを禁止にしたそうです。
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「サラー西サハラ難民アスリート」の出版情報です。
著者:平田伊都子、写真構成:川名生十、画像提供:アマイダン・サラー、SPS、
定価:本体1,800円+税、
発行人:松田健二、
発行所:株式会社 社会評論社、東京都文京区本郷2―3―10、電話:03-3814-3861
同じ「社会評論社」が出版してくださった「ラストコロニー西サハラ(2015年)」、「アリ 西サハラの難民と被占領民(2020年2月)」にも、お目を通してください。
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Youtube2018年7月アップの「人民投票」(Referendum)もご案内。
「人民投票」日本語版 URL :https://youtu.be/Skx5CP3lMLc
「Referendum」英語版 URL: https://youtu.be/v0awSc25BUU
Youtubeに2018年4月アップした「ラストコロニー西サハラ」もよろしくお願いします。
「ラストコロニー西サハラ 日本語版URL:https://youtu.be/yeZvmTh0kGo
「Last Colony in Africa] 英語版URL: https://youtu.be/au5p6mxvheo
WSJPO 西サハラ政府・日本代表事務所 所長:川名生十 2022年8月22日
SJJA(サハラ・ジャパン・ジャーナリスト・アソシエーション)代表:平田伊都子
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion12308:220821〕
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