ルネサンス研究所(2022年9月定例研究会)のお知らせ/「2010年代の政治闘争の総括と同伴知識人について」
- 2022年 9月 4日
- 催し物案内
- 中村勝己
安倍晋三元首相の国葬儀が近づいている。自民党と旧統一協会との関係に批判の目が向けられている。国会前に数千人が抗議に集まるなど、これは新たな政治闘争の始まりであり、2015年の安保法制闘争の記憶が甦える。2015年の安保法制闘争に参加した若者たち。その中でもシールズ(SEALDs:自由と民主主義のための学生緊急行動)が国会前の行動やネット上での情報発信により闘争全体をけん引したことは記憶に新しい。この運動に関西で参加し、大学の哲学科で哲学者・鷲田清一の薫陶を受けつつ、しかしその闘争の総括作業の中で鷲田清一をはじめとする「同伴知識人」を批判することで批評家としての立脚点を確立した若者がいる(第65回群像新人評論賞優秀作)。今回は『平成転向論――SEALDs 鷲田清一 谷川雁』で批評家デビューした小峰ひずみ氏を招き、同じく2015年夏に国会前でハンガーストライキを敢行し、その後も青年・学生の運動に関わってきた同世代の活動家たちに批評をお願いした。著者小峰ひずみ氏のリプライもある。
日 時:9月13日(火)18:30開始(3時間弱)
報告者①:木本将太郎さん(北部反戦)
報告者②:村上仁さん(全国一般労働組合東京南部)
リプライ:小峰ひずみさん(批評家)『平成転向論 SEALDs 鷲田清一 谷川雁』(小峰 ひずみ)|講談社BOOK倶楽部 (kodansha.co.jp)
「……「連帯」(助け合い)という概念を考えるとき、ふたつのことが問題になってくる。量と質だ。量とは、人数のことだ。何人と協力し合い、つながり、団結しているかということである。質とは、その連帯の強さのことだ。どれくらい親しく一体感があるか、どれくらい続けられるかということである。そして、脱原発デモやSealdsのデモによる大量の動員が行われて、あまり芳しい結果を残せなかった現在、問題になっているのは、一般に何万人来た、何百人とつながっているというような量のことではない。むしろ、質だ。つまり、何人が連帯しているかということではなく、どのように連帯しているか、ということだ。たとえば二〇一五年のSealdsのデモなどを考えると、量ばかり、人数ばかり多くて、質はあまり良くなかったと感じる。つまり、運動を国家や権力に対して効力のある次元までもっていくことができなかったし、これからもないであろうということだ。東浩紀はこう言っている。「二〇一一年以降、日本にもにわかにデモ=動員の季節が訪れ、多くの左翼が熱狂した。しかし、二〇一七年のいま、それはほとんど何も残していない。政治を動かすのは、お祭りではなく日常である」(『観光客の哲学』p.207)。昨今の左派の運動は敗けてばかりだ。単純に、弱い。続かない。なぜだろうか。ひとりひとりがバラバラだと言われている無縁社会なのに、なぜ強固に連帯することができず、安保闘争や国会前のお祭りが終わると、運動も終わってしまうのだろうか。その理由を、東はアイデンティティが欠如しているからだと言う。「政治を動かすのは[…中略…]動員ではなくアイデンティティである。連帯の理想はアイデンティティの欠如に敗れた」(同上p.207)。アイデンティティとは、自分の属性のことだ。このアイデンティティというものに訴えかけてくるからこそ、人間は長い間、強く連帯することができる。たとえば、黒人の公民権運動などは、黒人にとって「これは私の問題だ!」と思えたからこそ、長く闘い効果を収め、いまも闘いうるのだ。……」(ブログ小峰ひずみの部屋より)
会 場:オンライン研究会(後述の方法で参加予約を頂いた方に招待メールを送ります)
資料代:500円
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