ていこう原理⑨ 死後もなお、アベ政治への讃辞と忖度か
- 2022年 9月 8日
- 時代をみる
- 国葬長谷川孝
◆民主主義にそぐわぬ「国葬」という儀式
憲法の三大原理とされる国民主権、基本的人権、平和主義の根本にあるのは、個人の尊厳と民主主義だと思います。
少なくとも主権者・国民=ピープルの半数以上(共同通信の世論調査など)が反対する安倍元首相(私はTVや国会議員たちのように「元総理大臣」とは決して言わない!)の「国葬」は、《民従》的なニオイが紛々です。なぜなら、決定手続きでも理由に関しても、「国葬」の是非についても、弔われる人が「国葬」に相応しいかも、民主的な議論が皆無だからです。
まず、いきなりの!閣議決定。内閣の決定だ、おとなしく従えみたいな発表。
アベ政治が、まるで「最高議決機関」と思い込んで、国会を「追認組織」扱いしたような閣議決定。だから国会での議論無視です。まさにアベ政治の丸写しです。「私は立法府の長」と言い放った、三権分立無視、専制主義的認識への批判も反省も、まるで見えません。
理由も、首相在任期間が長かったことと、世界を駆け回り《顔を売った》ことぐらいか? 一〇〇回以上の虚偽答弁を繰り返して国会を空洞化し、官僚に公文書を改ざんをさせ、政官界に忖度をはびこらせて、民主主義を損なったこと、もちろんモリ・カケ・サクラなども、死者は鞭打たずでいいのでしょうか。
◆「統一教会」との接点の大本を「国葬」?
さらに、いま政治が問われている「統一教会」(改称過程にも懐疑があるので、「旧」無しのカギカッコ表記にします)との接点・関係での、安倍元首相の役割の解明がなされていないことがあります。自民党もですが、〈森喜朗、小泉純一郎、安倍晋三…歴代トップが築いた利権支配の闇/ 岸田も手に負えない安倍派の旧統一教会汚染〉(週刊ポスト)です。
安倍派は、岸信介・福田赳夫・安倍親子と続く自民党の右派(右翼)集団で、「統一教会」や関連団体の原理研究会に協力したとされるのが岸信介。反共主義や家族(家庭)主義で一致したとされます。
その伝統を引き継いだ安倍元首相は、いわば「統一教会」との接点・関係の、総窓口、総元締め的な存在だったと疑ってもよさそうです。ご本人は既に故人なので、自分で点検・整理はできません。すべきなのは、「国葬」をするという内閣でしかないでしょう。それが責任。アベ的な政治は静かに「送り」去りたいものです。
◆国家の意志を示したフランスの例
さて、「国葬」という儀式の是非です。国家が、一人の故人の評価を葬儀の形で示すのは、好ましいとは思えません。あえて考えるなら〈国民葬〉でしょうか。国連難民高等弁務官として尽力し人間の安全保障に取り組んだ緒方貞子さんや、アフガニスタンで住民の生活の復興に尽くした中村哲さんといった人なら、〈国民葬〉で納得できるのかもしれません。
権力にかかわる政治家は、自ら遠慮すべきだと思います。それが、民主主義的な精神だ、というべきでしょう。
イギリスやフランスでも「国葬」は行われているようですが、大統領や首相経験者に交じって、詩人などの文化人の「国葬」も行われているようです。フランスでは、イスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を授業で見せて暗殺された教師の「国葬」を行っています。国家の意志を示す、文字通りの「国葬」です。
「統一教会」系の韓国の集会で、献花され讃えられた安倍元首相です。岸田首相には、意志があるのでしょうか?(読者)
初出:「郷土教育758号」2022年9月号より許可を得て転載
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