ある統一教会女性信者の心理的葛藤から --信仰の自由と「奴隷になる自由」-- ㈠
- 2022年 10月 6日
- 評論・紹介・意見
- 森 善宣統一教会
はじめに
去る参議院議員選挙中の2022年7月8日に起きた安倍晋三の銃殺事件は、自由民主主義を標榜する日本社会に大きな衝撃を与えた。それと同時に、その犯人が襲撃の理由として挙げた「世界平和統一家庭連合」(旧統一教会:世界基督教統一神霊教会)【以下「統一教会」と略称】による家庭破壊ならびに統一教会と自民党政権との深い癒着という問題についても、日本国民は今更ながら衝撃を受けることになった。
この癒着は既に早くから指摘されていただけでなく、巷間ここに来て新たに一国の総理を長く務めた人物の殺害という極限の結末に行き着いてしまった。これまで報道を避けてきたかのように振る舞っていたマスコミは、にわかに統一教会を槍玉に挙げながら、自民党政権との癒着を熱心に語り出した。それはちょうど鬼の首を取ったかのような勢いで、そこでは日本国憲法で保障された「信仰の自由」についても問題視され出した。
本稿は、このような情勢に鑑み、筆者が接触した統一教会のある女性信者の心理的葛藤に関して論述する中で、信仰の自由や「奴隷になる自由」について考察する。近代社会が獲得した「内面の自由」の不可欠な一面として、信仰の自由を盾にした宗教集団による権利侵害は、かつての「オーム真理教」の忌まわしい記憶に止まず、現在までも継続して残存する。安倍晋三の国葬儀が国民の反対の中で行われたように、問題は解決していない。
以下、統一教会とその教義を紹介し、その日本浸透を説明する。そして、筆者がS大学在職中に聴取した統一教会の一女性信者の心理的葛藤について語る。その中で信仰の自由に伴う問題、つまり「奴隷になる自由」を考察して、それを解決するための方策も筆者なりに提案する。読者諸氏の忌憚の無いご批判やご意見を仰ぎたい。なお、敬称は全て省略し、引用文献は末尾に列挙、朝鮮民主主義人民共和国は「北朝鮮」と略称した。
Ⅰ.統一教会の始まり
そもそも論から入るのは、マスコミの統一教会叩きにおいても、余りその記述が見られないのと、その教義を知らずしては批判も何もあったものではないと思えるからである。ちょうどキリスト教の何たるかを知らずしてクリスマスを祝う日本人が今も多数いるのと比例して、日本人の宗教的な自堕落さが「鰯の頭も信心から」という嘲笑的な悲劇を生んでいると言っても過言ではない。統一教会は単にキリスト教の一派ではないのである。
(1)朝鮮半島の精神風土
その教祖の話をする前に朝鮮半島の精神風土について説明しなければなるまい。教祖の話と関連付けてその精神風土を語るのに最適の資料は、彼の長男である文孝進(故人)と結婚し(資料A)、家族として教祖の身近で統一教会の内実を見聞した女性の著書を引用する(資料B)。引用に際して漢数字の表記を洋数字に改めたことをお断りしておく。
その著書によると、教祖は「1920年1月6日、朝鮮半島北西部の平安北道の海岸線から3マイルはいった農村に8人兄弟の5番目として生まれ、文龍明と名付けられた。」 この農村とは現在、北朝鮮の行政区画で定州と呼ばれている場所である。ところが「龍はサタンの象徴なので、彼は伝道師となったしき、名前は文鮮明と変えた」(B25頁)という。
この文鮮明こそ、のちに統一教会を始める人物である。当時の朝鮮半島は日本による植民地統治の下にあり、後述するように彼の出生時期が日本における布教に財源獲得という特徴を刻印したのである。それを語る前に、当時の朝鮮半島の宗教的な雰囲気について概説しよう。この著者は次のように整理している。
「朝鮮固有の宗教は一種の原始的シャーマニズムである。シャーマンは『巫堂』と呼ばれ、霊界と交わる特別な力をもつと信じられている。彼らは運勢を占い、豊作や、たとえば病気などの苦しみからの救済のような恩恵を精霊に乞う。また森や山、あるいは個々の木々や岩に住むと信じられている精霊と交流する。
4世紀に中国人が半島に仏教をもたらしたとき、この民俗伝承は消滅もしなかったし、中国の道教や日本の神道のように独自の宗教に形式化されることもなかった。朝鮮人はただ、われわれの古い信仰を仏教の教えに接ぎ木し、朝鮮では仏教が14世紀まで支配的な影響力をもつ宗教に留まっていた。同様に、儒教が興隆し、次の5百年間、宗教生活の頂点にあったとき、儒教は民俗の伝統と置き換わったわけではなく、それと併存していた。
固有の信仰をほかの宗教教義に組み入れていくこの過程は、19世紀、仏教が復興し、キリスト教が朝鮮に導入されたときも続いた。いまだに仏教が支配的な国において、キリスト教がもっとも急速に成長している宗教である現在でも、民俗宗教は、最先端をいく現代的韓国人の想像力にさえ、強い支配力を行使し続けている。日曜の朝、教会の礼拝に出席するキリスト教徒は、その午後、家の神に捧げ物をして、なんの矛盾も感じない。
先祖崇拝と霊界への古い信仰に加えて、私たちの文化には強いメシア信仰が信仰の傾向がある。メシア、あるいは『正義の道の使者』が朝鮮に出現するという概念は、百年前のキリスト教導入に先駆け、その根を仏教の弥勒の概念と儒教の『真の人間』つまり仁人、そして『鄭鑑録』のような朝鮮の啓示の書にものっている。
神授権によって統治するという王という概念も、わが国最古の伝統に登場する。子どものころ、私たちはみんな、古い朝鮮神話『檀君の神話』を教えられる。檀君は神霊桓雄の息子で、桓雄自身は天主桓因の息子である。伝説によると桓因は息子に天から下って地上に天国を作ることを許した。桓雄は朝鮮に来て、虎と雌熊に出会う。虎と熊は桓雄にどうしたら人間になれるか尋ねた。桓雄は彼らに神聖な食べ物をあたえた。熊は従い、人間の女に変身した。虎は従わず、獣のままに留まらねばならなかった。桓雄はこの女と結婚し、この神霊とかつての雌熊の婚姻から檀君が生まれた。檀君は王宮を平壌に建て、地上における自分の王国を『朝鮮』と命名した。
20世紀後半に、文鮮明師のメシア思想が根を下ろしたのは、この豊かな土壌のなかだった。(中略)彼は神によって選ばれた。彼は『再臨の王』、世界の宗教をその指導のもとに統一し、地上天国をうち立てる神聖な道案内である。正統の諸宗教が彼をカルト・リーダーと糾弾することはイエスの迫害と同じだ。文師は、このイエスの使命を完遂するよう神から霊感を得たのである。」(B23~24頁)
このような精神風土に関しては、韓国人の心理学者も同様な分析を行っている。次頁に掲げる概念図は、その学者が提示した図表に筆者が便宜のために加筆したもので、南北朝鮮の精神風土の特徴を上手く表している(資料C)。南北朝鮮に共通する集団的無意識としては、檀君神話とシャーマニズム、仏教、儒教、キリスト教が基層となっている。さまざまな宗教が重層的にごたまぜになっているのが分かるであろう。
この基層の上に日本による朝鮮の植民地統治からの解放を受けて、1948年の南北朝鮮の体制成立を経て1950年の朝鮮戦争による南北朝鮮の分断固定化という外的な衝撃の中で、朝鮮民族に特有の「」の情念が形成された。その情念は権威主義文化の範囲内にとどまりつつも、韓国では歴代の軍部独裁体制下で進められた近代化とそれに伴う民主化・自由化のうねりとして表出した。全国的に繰り広げられた「ソウルの春」の運動である。
(2)統一教会の創始
話を教祖に戻すと、彼が覚醒する下りは次のようである。「彼は勤勉で信心深い子供で、10歳のとき改宗した家族に従い、熱心な長老派教会員だったと言われる。1936年の復活祭の朝、文鮮明が16歳のとき、すべてが変わった。彼は語っている。ある山の中腹で祈りに熱中していたとき、イエスが彼の前に現れた。イエスは彼に告げた。神は、イエス自身が地上でし残した仕事を文鮮明が完遂することを望んでいる。十字架のイエスの死は人類に霊的救済をもたらした。だが、磔刑は、地上にエデンの園を取り戻すことによって、人類に肉的救済をもたらすというその使命を、イエスが完遂する前に起きてしまった。
最初、文少年は聞くことを拒否した。しかしイエスは文鮮明を説得した。朝鮮は新しいイスラエル、神が再臨のために選んだ土地である。地上に『神の真の家庭』を建設するのは文師の義務である。文師はのちにこの幻視について言っている。『私が若いとき、神は私をご自分の道具として、ある使命のために呼ばれた・・・・・私は真理の追究に断固として専念し、霊界の丘や谷を探った。天国が扉を開いたとき、時は突然私に訪れ、私はイエス・キリストと生きた神と直接交信する特権を与えられた。それ以来、私は多くの驚くべき啓示を受け取っている。』
文鮮明は正式な神学教育は一度もうけていない。」(B27頁)
「文師の教えは『原理講論』に書かれている。文師によれば、祈りや聖書の研究、神や偉大な預言者たちとの会話を通して受け取ってきたという啓示の数々によって、長い歳月
のあいだに形作られてきた文書である。『原理講論』は統一教会の中心的文書だが、実際には文鮮明が書いたのではない。教会の初代会長で文師の最古参の弟子のひとり劉孝元が、啓示についての文師のメモとふたりの会話に基づいて書いた、といわれている。
(中略)
天の啓示によって書かれたにしては、『原理講論』はひどく模倣的である。約556頁からなる統一教会の神聖なテキストは、シャーマニズム、仏教、新儒教、キリスト教の合成だ。聖書、東洋哲学、朝鮮の伝統、そして文師の若いころの大衆宗教運動から借りて、文師を中心にした一枚のパッチワーク神学に縫い合わせたものである、と各方面の研究家は書いている。
統一教会の現代的なルーツは天道教という19世紀の宗派に見いだすことができる。天道教はもともとは東学、つまり東洋の学問と呼ばれ、朝鮮の伝統宗教と密接に結ばれていた。統一教会と同様に、天道教はすべての個人の霊は神に作られたのであり、我々の魂は永遠で、すべての宗教はいつの日にか統一されると教えている。」(B28-29頁)
このように統一教会は、朝鮮半島の精神風土を背景に文鮮明が経たと主張する独特な経験を通じて創始された。現在の韓国では、新教であれ旧教であれ四福音書に基づく正統派キリスト教が広く信仰されている関係から、また北朝鮮においては「主体思想」と言われる国家イデオロギーが存在することから、統一教会は異端というよりも一種の「邪教」であると考えられている。そんな宗教がなぜ日本へ浸透するに至ったのであろうか。
Ⅱ.統一教会の日本浸透
教祖の長男と結婚した著者によれば、文鮮明は植民地時代に日本へ渡っていた。「その原点となる幻視の2年後、彼はソウルに出て、電気技師の教育を受けた。1941年にはソウルから日本に渡り、早稲田大学でこの方面の勉強を続けた(正式には早稲田大学付属高等工業校卒業)。教会の歴史家たちによれば、そこで彼は朝鮮占領を終わらせるための地下活動に加わったという」(A27頁)
まるで日本に抵抗した朝鮮人共産主義者のようである。だが、文鮮明が解放された北朝鮮に戻って後、「統一教会の歴史家たちによれば、彼は1945年に、彼を南のスパイではないかと疑っていた共産党幹部からリンゴを買うために、贋金を使用した容疑で逮捕されたという。彼が平壌で公に宣教を始めたとき、彼の思想はキリスト教の聖職者から異端として否定され、地元の共産党当局から告発された。1946年」(B31頁)であった。
しかし、彼はソ連の占領下で宣教を続けた。その「使命はイエスの使命を完成することだった。彼は『完全な女性』と結婚し、エデンの園に存在していた完璧な状態に人類を復帰させるだろう。彼と彼の妻は世界の『真の父母』となるだろう。彼らも、彼らの子供たちにも罪がない。文師に祝福された夫婦はその純粋な血統の一部となり、彼らの子供たちにも罪がない。文師に祝福された夫婦は(中略)天国に場所を確保」される(B30頁)。
「『原理の結論は、あなたがあなた自身、あなたの配偶者、あるいは子供たちよりも、真の父母を愛する決心をしなければならないということである』と文鮮明は言っている。『究極的には、真の父は、そのまわりにすべての子供たちと子孫が集まる軸である』」そうである。つまり、文鮮明の死亡した後も、彼の妻である韓鶴子が統一教会を率いているのは、このような教理から来ていたのである(資料D)。
この教理を持って統一教会は日本へ浸透した。浸透の時期は1950年代であるが、正確な日時や浸透の過程については不明である。洪蘭淑によれば、統一教会が日本へ浸透する状況は次のとおりである。「文夫人に拒否はできなかった。1992年、彼女は私に、日本の10都市を回るツアーに同行するよう言った。(後略)」
「日本で『真のお母様』に捧げられている崇拝に満ちた献身は、私が韓国で経験したなにものをも超えていた。(中略)彼女の食器でさえ、二度とほかの人が使用しないように別にされた。なぜならばそれは、『真のお母様』の唇に触れたからだった。日本人が文夫人に奴隷のように仕えることは、彼らが『真のお父様』を待ち望む気持ちを反映しているのだろう。文鮮明は、アメリカにおいて脱税で有罪になったため、日本への入国を禁じられている。」(B219頁)
日本が統一教会に浸透される背景についての著者の分析は面白い。多くの日本人は、なぜ統一教会の浸透を許したのか疑問に思うことであろう。「日本は帝国的カルト発祥の地と言ってよい。19世紀、日本の天皇は神性を宣言され、日本の民衆は古代の神々の子孫であると宣言された。第二次世界大戦後の1945年、連合国により廃止された国家神道は、日本人にその指導者たちを崇拝することを要求した。権威に対する従順と自己犠牲は、最高の美徳と考えられた。」(B219~220頁)
「したがって、文鮮明のようなアジア的指導者にとって、日本が肥沃な資金調達地であることにはなんの不思議もない。年配の人々には、自分たちの愛する者たちが霊界で平安な休息に達することを切実に望む気持ちがあるが、熱心な統一教会員たちはそれに目をつけた。彼らは何千人もの人々に、これを買えば亡き家族は必ず天の王国に入れますよと言って、宗教的な壺や数珠、絵画を売りつけ、何百万ドルも巻き上げた。小さな翡翠の仏塔がなんと5万ドルで売れた。裕福な未亡人たちは、愛する人びとが地獄でサタンと苦しむことのないようにとだまされて、統一教会にその全財産を寄付させられた。」(B220頁)
この統一教会の浸透には、当時の時代的な背景もあった。「日本経済は花開いていた。この国は急速に、文鮮明の金の大部分の出所となりつつあった。1980年代半ば、教会幹部は、統一教会が日本一国だけで年に4億ドルの資金を調達した、と言っていた。文師はこの金を、彼の個人的快適とアメリカや世界のあちこちで展開する事業への投資に使った。これに加えて、教会は、貿易会社、コンピューター会社、宝石会社を含む利益のあがる企業を、日本に多数所有していた。」(B220~221頁)
いま問題になっている統一教会の悪どい活動を統一教会が正当化する教義は、まことにふるっている。「文師は日本との重要な金銭関係を神学用語で解説した。韓国は『アダム国』、日本は『エバ国』である。妻として、母として、日本は『お父様』の国である文鮮明の韓国を支えなければならない。この見方にはちょっとした復讐以上のものがある。文鮮明や統一教会におけるその信者も含めて、日本の35年間にわたる過酷な植民地統治を許している韓国人はほとんどいない。」(B221頁)
もちろん、歴史的な経緯がどうであれ、それが現在の悪行を正当化することにはならない。米国から不法に資金を持ち出すに際し、著者は次のように記している。「私は密輸が不法であることを知っていた。けれども当時の私は、文鮮明の信者は『より高い法』に応えるのだと信じていた。質問せずに仕えるのが私の義務だった。私は逮捕されることよりもお金を失うことを心配して、言われたとおりにした。彼らがお金を見つけられなかったことを、私は神に感謝した。私は世界を歪んだレンズを通して見ていた。そのなかでは、神は実際に私が税関の係員をだますのを助けたのだ。神は彼らがその金を見つけることを望まなかった。なぜならば、その金は神のためのものだから。
もし私がそのことをちょっとでも批判精神をもって考えたなら、私は街頭の物売りや仏塔の売り手たちが集めた金は、神とはほとんど関係のないことに気づいた」だろう(B221~222頁)。
ここに吐露される批判精神を欠き、悪行をも辞さない信仰との闘いこそ、問題の核心なのである。そして、日本で根を張った統一教会が学生組織として「カープ」と通称されるカルト組織を通じて大学にも浸透したため、長く大学教員として勤務していた筆者がゼミで対面することになった。当時はカープの性格は充分に知っていたものの、当該の女学生がカープの活動家とは、筆者は全く知らなかったのである。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion12434:221006〕
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