この社会の高学歴層には、無数の「葉梨康弘」が溢れているのではないか。
- 2022年 11月 12日
- 評論・紹介・意見
- 刑事司法澤藤統一郎
(2022年11月11日)
葉梨康弘という政治家が話題の人となった。本日辞表提出とのことで、メディアを賑わせている。これまで知らなかったお名前だが、彼の望み通りに、突然に有名政治家となった。「失言」によってではなく、「本音」を吐露したことによってである。
東京都三鷹市出身で、教駒を経て東大法学部卒業。警察官僚から政治家に転身して宏池会に所属。衆院選に6回当選して本年8月初入閣し法務大臣となった。ご多分に漏れず、茨城3区を地盤とする世襲3代目議員だという。絵に書いたような官僚出身自民党政治家の典型人物。
これまでの彼の政治姿勢などネットで検索してみて、少し考え込んでしまった。この人、けっしてアホでもなければ、ワルでもない。保守ではあっても頑迷ではない。人権が大切などという教育は、十分に受けてきたはずの人。それが、どうして冗談交じりで軽々しく死刑執行を語ることができるのだろうか。
もしかしたら、これは葉梨一人の問題ではなく、日本の中等教育、大学教育の根本的な欠陥を露呈する深刻な問題ではないだろうか。受験競争を勝ち抜いた高学歴層に人権というものが理解されていない。それは、紙の上に書かれた文字、せいぜいが法的概念でしかない。身に沁みた、血肉化されたものとはなっていないのだ。凶悪犯人の人権など彼の脳裏には存在しないのかも知れない。有名進学高の教員たちも東大法学部の教員も、これでいいのか、どうすれば良いのか、考えなおさねばならないのでは。
批判されている彼の発言はいくつもあるが、何よりも、法務大臣の身で、「朝、死刑(執行)のはんこを押して、昼のニュースのトップになるのは、そういう時だけという地味な役職」と述べたことである。
軽薄極まるということもさることながら、明らかに人権感覚の欠如を物語っている。人間の尊厳に対する畏敬の念がないのだ。人権を侵害された人、人権侵害の危機にある人の思いへの共感能力に欠けているのだ。現代の教育は、こういう高学歴の欠陥人間を大量に生み出してきたのではないか。
公権力が、人間の命を奪うということへの疑問も、その仕事に携わる心の痛みのかけらもない。思い出す。海部内閣の時代に左藤恵という法務大臣がいた。この人、真宗大谷派の僧侶でもあり、真っ当な弁護士でもあった。その信念に従って、法相在任中には、死刑執行命令書に署名しなかった。もちろん、賛否は分かれたが、自民党政権にも、このような気骨ある大臣がいたのだ。
また、民主党政権で法務大臣を千葉景子氏は、命令書に署名した死刑の執行に立ち会った。その後、東京拘置所の刑場を報道機関に公開し、制度の存否を含めた議論を呼びかけてもいる。この人も弁護士である。
葉梨康弘の発言は、この人の人権感覚の欠落を露呈したものとして撤回に馴染まない。謝罪すべき対象もない。さすがに、岸田首相もこのような人物を法務大臣として閣内に留めるわけにはいかなかったようだ。
あらためて思う。はたしてその資質において閣内に置くベからざる閣僚は彼一人であろうか。じつは、多数の「葉梨康弘」がひしめいているのではないだろうか。
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2022.11.11より許可を得て転載
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