権威主義を生むものとその先
- 2022年 11月 20日
- 評論・紹介・意見
- 藤澤豊
専門とする領域から遠くはずれたセミナーに出かけた。覚悟はしていたが、聞いたこともない固有名詞がぽんぽん飛び出てきて、話についていくのややっとだった。質疑応答になったのか、参加者のコメントとも質問ともとれる話を受けて、講師が細かな説明を始めた。どういうわけか、質疑応答になったとたん、大まかにしてもわかる。ついひと言いいたくなってしまった。ドイツの会社で経験したことは事実でしかないから、専門的な知識がなくても話せる。一個人の生の体験からでしかないから全体像は分からないが、ドイツの社会の根幹には上意下達の文化が測りきれない厚さで横たわっていて、民主主義なんか存在し得ないだろうと思っている。
経験したことをかいつまんで話したら、講師の先生から「…権威主義…」だといわれた。そうか、これだったのかと救われたような気がした。権威主義、初めて聞く言葉でもなし、細かな定義を知りもせずに口にしたことまである。なんで今まで、その言葉で括れなかったのか、不思議でならない。根は保守のくせに妙にリベラルなアメリカの会社に長かったからだろうが、転職したドイツの会社では、文化の違いというのか筋金入りの権威主義の下で仕事にならずに、うんざりしたことがある。そりゃないだろうという体験をいくつかあげておく。
アメリカの社会でもドクター何とかと呼ぶことがある。初めて会った時に礼儀として(ときには多少の皮肉もこめて)、あんたがドクターだということは知ってるよと姓の前にドクターを付ける。礼儀としての一回だけで、二度、三度とドクター呼ばわりすると嫌味にとらわれかねない。ミスターもミズも、苗字で呼ばなければならないときには付けるが、普通の人間関係ではファーストネーム、それもニックネームで呼ぶのがお決まりに近い。
ドイツの会社の日本支社に雇われてドイツ本社の工場に研修に出かけて、驚いた一つがドクターだった。二千人ほどのサーボ専業メーカでドクターは何人もいない。その限られたドクターの一人がかなり年配の日本人だった。何をしてのドクターかは知らないが、一日中ドクターあんどーと呼ばれて、さも当たり前の顔をしていた。日本で、もしドクターあんどーと呼ばれたらどんな顔をするのか、想像するだけで薄ら笑いしてしまう。
肩書とでもいうのか、どこでもここでもヘルとフラウなんとかと呼び合っていた。貰った名刺の多くには下士官の証しかのように、Diploma(学士さま)と書いてあった。書いてない名刺は、大学を卒業していない一兵卒でございますという立場を示している。
工作機械メーカからなんとか受注したが、あるのは自分たちの都合だけで、契約した納期なんか守る気はない。技術の粋を誇示せんばかりの戦略機種で、展示会に出展しなければならない。客先は怒りを通り過ぎて一日でも早くと泣きを入れてきた。待ちに待ってやっと届いたサーボモータのフランジは真っ赤に錆びていたし、リニアモータの永久磁石には割れているのもあれば、角が大きく欠けて、木箱には欠けた破片も入っていなかった。リニアモータの水冷路のどこかで水漏れしていた。かたちだけでも出展しなければと、徹夜に近い作業が続いた。
新聞輪転機用の大型インバータが何度も燃えた。大きなタンスほどもあるインバータで、あっちで一台、こっちで一台と機械に載せ替えるだけでも四、五人で数日がかりの作業になる。ソフトウェアのバグが原因だと本社から聞いたが、新しいバージョンを搭載したインバータも燃え続けた。二ヵ月ほどの間にそれこそ何度バージョンアップしたのか分からない。客先もバカじゃない。何度も載せ替えさせられて、届いたインバータのソフトウェアのバージョンぐらいは確認する。先月燃えたのがバージョン4.0で、二週間前にはバージョン4.4だった。そして今朝届いたのは4.9。それぞれのバージョンで何が改善されたのか報告しろと言ってきた。最後は載せ替える作業費を負担させられた。
アメリカの常識では、ソフトウェアの開発は出来上がったところで、いったん開発をフリーズして、Quality assurance部隊が機能と性能、そして安全性を確認する。システムの規模にもよるがPLCやインバータなどの産業用制御機器の確認作業は短くても三月、ちょっとした規模になれば半年近くかかる。最低限、これなら客先で事故になるようなことはない(だろう)と確信がもてない限り出荷しない。この常識がドイツの名門会社にはなかった。
開発の主担当は修士かなにかでエライ人だったらしい。そのエライ人が自分で開発して自分でチェックして、これでいいやと出荷して客先で燃え続けた。客との間で切羽詰まって直接メールを送ったら、日本支社の社長に叱られた。日本市場を理解しない駐在員の下士官を通していたら時間がかかるだけでなく、情報がぼける(下士官が保身もあって事実をストレートに報告しない)。ゴタゴタの背景にはヨーロッパの抜きがたい貴族社会の文化がある。そしてそこにはエスノセントリズムの悪臭さえ漂っている。
ついでにもう一つ、忘れられないことがある。そこでは信じがたいことが当たり前のように行われていた。そのインバータは、生産台数より出荷台数の方が多かった。というと何?と思われる方もいらっしゃるだろうが、想像できる人には信じがたいことだと思う。客先で障害を起こして返却されたインバータを修理して、ソフトウェアを入れ替えて新品として出荷していた。事故車を修理して新車として売るのと同じことで、アメリカでも日本でも立派な詐欺になる。
転職するまで、Siemensの宣伝文句German engineeringやPorscheの宣伝文句Nothing comes close to Porscheに対して畏敬の念すらもっていたが、ちゃちな経験をさせてもらったおかげで、きれいさっぱりなくなった。もうドイツのエンジニアリングは信用しない。仕事仲間の何人かも似たよう経験をしてきて、それはエンジニアリングだけじゃないだろうと思っている。
現地でトラブっているのを言葉の上だけにしても知っているはずだが、上層部には解決しなければならないという考えがなかった。一兵卒が現状を報告しても、報告受け取った下士官は上官の嫌がる話をしたがらない。下士官以下で問題を解決しろというのがドイツの文化だと思っている。上官も部隊長には部隊長が聞きたいことしか報告しない。経営トップに至っては貴族様のように下々のことなど眼中にない。
ドイツの会社で遭遇したことが、今ウクライナの泥沼にはまりこんで動きがとれなくなっているロシア軍とロシアの官僚支配の生き写しに見える。
何が権威主義をうみだすのか、そして権威主義の行きつくところはと考えていくと、乱暴すぎるとは思うが次のようにまとめられるんじゃないかと思っている。
どのような社会集団でも、集団員に規範を強制する権力を裏付けるなんらかの権威を必要とする。ただ必要とする権威は、東南アジアのように優しい気候風土のもとで生まれるものと厳しい環境で生存を追求しなければならない北方ヨーロッパや砂漠のような乾燥地帯で生まれるものにはおのずと違いがあるだろう。
ヒトラーやスターリンやプーチンは、ヨーロッパの厳しい気候風土と近隣との紛争に明け暮れてきた社会から必然として生まれたのか、それとも突然変異なのか?仮にたんなる異常種だとしても、その異常種を生み出す彼の地の権威主義が、そしてその権威主義を生み出す気候風土や周囲との諍いがなければ生れなかったんじゃないか。
民族意識や人々の気質やそこから生まれる文化は、気候風土の上に何世紀どころか千年のときを経て醸成されるもので、高度に発展した産業社会になったところで、そうそう簡単に変わるものじゃないだろうし、変えられるものでもない。ヒトラーもスターリンもプーチンもヨーロッパが必然として生み出しものと考えられないか。もしそうだとすると、第二第三のヒトラーやプーチンがでてくるもの時間の問題でしかないような気がするが、どうだろう。
権威主義には行きつく先がある。もし権威主義が純粋に昇華していったら、どうなるのか?それは宗教でしかないような気がしてならない。そこには自分の目でみて、耳で聞いて、自分の頭で考えた結果を口にする、あって当たり前の何故?という疑問を口にすることさえ許さない教義がある。そこでは人々は教義に従うことで生存を許される。西欧で生まれた共産主義の理念がロシアの地で教義になって、共産党官僚組織とそれを従えた皇帝が教義を解釈する権力をもったといったら言い過ぎか?
2022/10/1
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion12557:221120〕
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