中国―わからないぞ!習一強体制の行方(上) 側近で固めたのか、側近しかいないのか
- 2022年 12月 22日
- 時代をみる
- 中国田畑光永習近平
中国共産党は去る10月16日から第20回党大会を開き、同22日に新たな中央委員と同候補合わせて376人を選挙で選び、また腐敗摘発にあたる中央規律検査委員133人を選んで、幕を閉じた。そして翌日、新しい中央委員会(205人)が史上初の3期目に入る習近平総書記をはじめとする7人の政治局常務委員会(最高位の政策決定機関)メンバーを選んで、新体制が発足した。
それからはや二ヶ月が経とうとしているが、私にはなにがどうなっているのか、正直さっぱりわけが分からない。この間、1本もここに原稿が書けなかったのは、身辺の雑事に追われたこともあったが、現状の芯とでもいうべきものがつかめなかったからである。しかし、気持ちの整理かたがた、この間、とつおいつ考えたことをご報告する。
現状の芯がつかめないとは、簡単に言えば、上の写真の両端、右の習近平と左の李克強(来春まで首相を務める)、この2人の表情の意味するところが読み取れないのである。
この場面はご存知と思う。10月22日の午後、共産党大会最後の全体会議の開会直前。演壇最前列中央の習近平に向かって右隣に座っていた前総書記の胡錦涛のところへ場内整理係と思われる2人の人物(その内の1人が胡錦涛の右腕を抱えている)が近寄って退場を促し、それを拒んだ胡錦涛と数十秒のもつれあいがあって、その結果、やむなしという表情で会場を去ることにした胡錦涛が習近平に向かって、なにか抗議をしているような場面である。
この場面の意味するところは今もって確たるところは不明である。ただ状況を総合的に考えると、次のようなことは言えそうである。
△中国の公式説明は新華社が英文のみで配信した「胡錦涛前総書記は体調不良で退場した」というものだが、それが事実に反することは当時の状況から明らかである。胡錦涛ははっきりと退場を拒んでいた。
△この場面が外国人記者の入場後に起こったということは、胡錦涛を入場させない手はずがうまくいかなかった。つまり開会前に、本人が出席しないようにすることが出来なかったと想像される。
△肝心なのは一体なにが問題だったのか、であるが、これは推測するしかない。この場面を動く映像でご覧になった方はご記憶と思うが、各出席者の机にはA4版かもう一回り大きいくらいのサイズの赤い表紙のファイルが置かれていた。胡錦涛は係員に退場を促されると、そのファイルを指さしながら何かを言い、立ち上がる時には右手にそれを持っていたが、それを係員に「お預かりします」といった感じで奪い取られた。すると胡は隣の栗戦書常務委員のファイルに手を伸ばした。この一連の動きから見て、そのファイルの中身が退場と関係がありそうである。
△大会の最後の議案は冒頭に述べた選挙結果の承認であるから、ファイルの中身はおそらくその当選者の名簿であったはずだ。最終日午後は胡が退場した後、議事が始まったところからはネットで中継され、私も見ていたが、選挙結果の承認は議長が出席者の各グループ(どういう区分けかは不明)に「結果に異議はないか」と問いかけ、各グループがそれに「なし!」と応える形で進められた。
△胡錦涛はこの過程のどこかで「異議あり!」とでも発言するつもりで、それを誰かに打ち明けて同調を呼びかけたかもしれない。それが習近平の耳に入って、習は胡の入場を阻むか、開会前に退場させる手筈を講じたのが、結果的にうまくいかず、すでに記者団が傍聴席に入ってから、退場させることになり、図らずもこの一幕が世界に知れわたることになったと考えられる。
そこで問題は、翌日の新中央委員の会議で決まる新執行部(中央政治局員および同常務委員)が、多く習近平の側近で固められることをすでに知っていたはずの李克強、および同じ共青団(共産主義青年団)出身の汪洋、胡春華らと習近平の関係は、この写真の時点でどういうものであったのか、ということになる。
つまり「習独裁、強まる」といっても、習・李両派はがちんこの喧嘩別れの状態だったのか、と言えば、そうではなくて、習近平から「いろいろ事情があるので、引き続き私にやらせてもらえないか」と持ちかけたのに対して、李克強はむっとしながらも「それで党内がおさまるならどうぞ。私はやめますが」といった感じの答えで応じたといったところではなかったか。
あるいは「ご希望なら、あなたの好きなようにやったらいいでしょう。私はやめますよ」(李)、「悪いが、そうさせてもらいます」(習)という程度、言い換えれば、敵意はお互い腹のうちに収めて、一応、話はついていたのではないか、ということである。
そこであらためて写真を見る。もし喧嘩別れで臨んだ大会であったら、胡錦涛が退場を拒んで、係員ともみ合いになった時、李一派は誰かがそこへ歩み寄るとか、すくなくともそちらを注目したはず、と私は思う。ところが誰もそうしなかった。誰も席から動こうとしなかった。
写真の李の表情を見てほしい。胡に加勢するわけでもなければ、胡をなだめようともしない。さればといって驚いている風でもない。なんとも曖昧な表情である。これは李だけでなく、同じ列に座っていた汪洋も胡春華も同様で、この後、彼らの背後を胡錦涛が出口に歩いていくときにも、二人は顔を向けて見送ることもせず、無表情に正面を向いたままであった。
これは何を意味するか。少なくとも李克強に連なる人々はあからさまに習近平と敵対することを避けたと判断できる。その方針を知らされなかった胡錦涛は単騎突撃のピエロを演ずることになってしまったのが、大会最終日の一幕であったと私は思う。
こう判断する根拠はもう一つある。共青団派のホープとして、次期首相の候補にも名前が挙がっていた前期政治局員の胡春華(今はまだ副首相)が、今回、政治局常務委員に昇格して次期首相コースへ、どころではなく、結果として25人の政治局員からも外れて、ただの中央委員に格下げされた人事である。これは一般には習による共青団排除の一環と受け取られているようだが、事実は逆ではないかと私は思っている。
というのは、前期までの体制では政治局員は胡春華を含めて25人いた。ところが大会後はそれが1人減って24人となった。なりたい人間はいくらでもいるのだから、増えてもおかしくないのに、わざわざ減らすのは奇妙である。理由が分からない。
私の推測は、胡春華がみずから格下げを申し出たのではないか、である。表向きどういう理由を述べたかは分からないが、習近平色の強い執行部をつくるのなら、自分は身を退いたほうがいいでしょう、というような言い方で政治局員留任を固辞したのではないだろうか。つまり、「どうぞあなた方でおやりください。私がいないほうがいいでしょう」という、喧嘩別れではないが、協力もしないという、共青団派の対習派方針を身をもって具現したのではなかったか。
そう言われては、習にしても頭を下げてまで胡春華に政治局員に留まってくれ、とは言いたくない。が、さればと云って、空いた椅子をこれ幸いと自派の誰かに回しては対立の火に油を注ぐ。だからその席は空席として、雲行き如何によっては政治的駆け引きの材料として、胡春華を政治局に迎え入れられるようにしているのではないか、というのが私の結論である。
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