水田洋先生を悼む
- 2023年 2月 18日
- 評論・紹介・意見
- 合澤 清水田 洋
突然の水田先生の訃報(2月3日)に接しびっくりしている。追悼文を書けと言われたが、先生のご専門のアダム・スミスやホッブズに関して、またイギリスをはじめとするヨーロッパ社会思想史に対して全くの門外漢の私には、先生のご研究について語る資格はない。それ故、ここでは光栄にも何度か先生の謦咳に接したことのある者として、その「思い出」を回想する程度でお許しいただきたいと思う。
おそらく、先生の学問的業績に関しては、しかるべき方々が改めてお書きになられるであろうから、それを期待したい。
先生のご尊顔に初めて接したのがいつであったか、はっきりした記憶はない。しかし、1989年の準備会から始まり、その後10年間継続した「フォーラム90s」の集りでのことだったことだけは確かである。記憶に残るのは、東京大学農学部の大教室で、演壇の水田先生が加藤周一さん(加藤さんは水田さんの中学校までの先輩だったと思う)との思い出話を出されながら、戦前の時代を回顧し、今日を批判されていたことである。
また、やはり「フォーラム90s」の催しの一つ、地方フォーラムでのこと、その時は「名古屋フォーラム」と銘打って、渥美半島での小集会に引き続いて、名古屋大学で集会をやった。集会の後、渥美半島の旅館の一室に、水田、丹野清秋、津田道夫、青山至などの錚々たるメンバーが顔をそろえ、今から街に繰り出して飲みに行こうということになった。暗闇の田舎道をしばらく歩いたが、年長の水田先生の健脚には驚かされるばかりで、丹野、津田さんなどはすぐに音を上げて遅れ始めた。結局は目指す場所が見当たらず(あるいは閉まっていたか?)、部屋に帰って飲みなおしたことがある。
実は、水田先生の健脚は有名で、なんと御年90歳を超えて、電車の中で席を譲られても座らなかったと豪語されていた。もちろん、講演会などでも終始立ったまま話をされていた。
1998年の春だったように思う。マルクス、エンゲルスが『共産党宣言』を世に出してから150年目になるのを記念して、私が主宰する現代史研究会で、水田先生をメインゲストにお呼びして記念講演をお願いしようということになった。その前、やはり「フォーラム90s」の集まりで初めてお目通りした、田中正司先生(当時は横浜市立大学名誉教授)を介して水田先生にお願いしてみた。田中先生は、水田先生の東京商大(現一橋大学)の後輩で、ご専門も同じアダム・スミスだったこともあり、水田先生の快諾を得ることができた。
ところが、日にちがかなり迫ってきたころ、水田先生から電話がかかってきて、医者に前立腺がんだといわれた、という。驚いて、「それでは講演はご無理ですよね」とお尋ねすると、電話の向こうで元気に笑いながら、「君は僕の声を聴いて病気だと思うかね。この通り元気だから、約束通り出かけるよ」とのご返事。安心すると同時に心配にもなった。
研究会では先生はすこぶるお元気で、研究会後の飲み会にももちろんお付き合いいただいたし、私が下手な司会をして、「先生は兵隊に招集された折に、背嚢にホッブズの翻訳原稿を入れていたそうだ」と紹介したことを非常に喜ばれていた。
以来、何度か現代史研究会にはお付き合いいただいた。いつもお茶の水の「山の上ホテル」にお泊りだったと聞いている。
英国の思想家で歴史学者のエリック・ホブズボームとは親友だったという。彼がなくなったことをたいそう悲しんでおられ、ホブズボームの翻訳書『いかに世界を変革するか-マルクスとマルクス主義の200年』をテーマにした現代史研究会は、水田先生の話を一度聞きたいという方であふれた。その場に、名古屋大学時代の教え子の方(皆さん相当な年配だった)も三人お見えになっていたが、水田先生に怒鳴られながら、「先生は昔からこういう人で、良く怒鳴られたものだよ」と懐かしがっていた。
また、廣松渉先生とは名古屋大学時代の同僚で、またその後に『社会思想史上のマルクス』(水田、城塚昇、杉原四郎、山之内靖、廣松渉の座談会をまとめて本にしたもので、情況出版から単行本が出ている)などのマルクス研究でかなり親交があったようだった。あるお酒の席で、「廣松君は、大学でいろいろ問題を起こしては僕のところに謝りに来ていたよ」とおっしゃられて笑っていた。因みに、この本は「今の日本のマルクス研究の最高の水準の本だよ」とは廣松さんの言であったが、このことを水田先生にお伝えすると、大変喜ばれていた。
また、われわれが2006年に立ち上げた「ちきゅう座」というウェブサイト(初代の運営委員長は、田中正司先生、編集長は塩川喜信さんだった)には、顧問としてお名前をお出しいただいた。
5歳ぐらい年下だった田中先生が先年お亡くなりになり、今回水田先生が103歳で逝去された。毎年年賀状のご返事をいただき恐縮していたのだが、今年はついに頂けなかった。先生の語学力の強さと記憶力の確かさは相当なものだった。「社会思想史」への情熱はすごかったようだ。ある年の賀状では、やっとマルクスまでたどり着いたよ、ということが書かれていた。まことに惜しい方をなくしたものであるが、これも時代の流れなのであろう。
まだ、先生の思い出は沢山あるが、ひとまずこれで筆をおかせていただく。
先生に生前賜った数々のご恩に心から感謝するとともに、衷心からご冥福をお祈りしたい。
2023年2月17日
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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