二十世紀世界文学の名作に触れる(61) ハインリヒ・ベルの『カタリーナの失われた名誉』――言論の暴力はいかなる結果を生むか
- 2023年 4月 4日
- カルチャー
- 『カタリーナの失われた名誉』ハインリヒ・ベル文学横田 喬
ドイツの作家ハインリヒ・ベル(1917~1985)は72年、ノーベル文学賞を受けた。授賞理由は「同時代への幅広い眺望と鋭い描写によって、ドイツ文学の刷新に貢献した」。その代表作の一つ『カタリーナの失われた名誉』(サイマル出版会:藤本敦雄・訳)はマスメディアの心無い扇動的な報道がいかに惨い結果を招くか、を痛烈に批判する。かつて新聞記者だった身だけに一読して粛然とする思いを味わった。私なりに梗概を紹介しよう。
1974年2月24日夜、ライン地方のある町で二十七歳の女性カタリーナ・ブルームが地元警察署幹部の自宅を訪問。「自宅で昼過ぎ、ジャーナリストのヴェルナー・テートゲスを射殺した。(死体の)引き取りの手配と私の逮捕をお願いします」と供述する。(先行する)別件での数次の任意での取り調べからカタリーナの人柄を知悉する同幹部は彼女の身柄を警察本部へ送致。彼女の自宅へ向かった捜索班は、申し立てが事実であることを発見する。
「新聞」は狂気じみたいきり立ちようを示した。大見出し、トップ記事、特集号。バカでかいスペースの死亡広告。ジャーナリストの殺害は何か特別の事と言わんばかり。職業柄特有の死といった言い方をした方が良くはなかったか、と頭を捻ってみるべきだったろう。
カタリーナはこの五年の間に総額十万㍆(邦貨で約千二百万円)の分譲住宅に七万を現金で投資していた。残りの三万㍆の利子と逐次償還の責任はだれが負うのか。弁護士のブロルナ博士は彼女に家政を取り仕切ってもらう代価として週給二八〇㍆(三千三百六十円)を支払っていた。彼女はブロルナに、「日曜日に、友人で相談相手のエルゼの家での家庭舞踏会に招待されている」と告げていた。
彼女はこの町に来て以来、即ち五~六年来、「気軽にどこかへ踊りに行く」可能性がないことに不満だった。で、日曜日のその家庭舞踏会を楽しみにしていたのだ。
彼女がエルゼの家に入った瞬間から警察の捜査は容易になった。知らぬが仏、エルゼの家は実は警察の監視下にあった。カタリーナはエルゼの家でその晩中、七時半から十時までずっと、「専ら、仲睦まじく」ルートヴィヒ・ゲッテンなる初対面の男と踊っていた。
が、警察は男を取り逃がす。捜査に当たったバイツメネ警部はしどけない格好のカタリーナに「奴はあんたと臍合わせしたのかね」と糺し、赤くなった彼女は勝ち誇ったように答えた。「いいえ、私の言葉ではそうは言いませんわ」。住居は徹底的に捜索され、文書の類が押収された。彼女が抗議したのに対し、警察側から「ゲッテンは長らくお尋ね者の盗賊であり、銀行強盗は殆ど確証が挙がっており、殺人その他の犯行容疑がかかっている」と伝えられた。
カタリーナが取り調べに連行された際、何度も写真を撮られた。羞恥と惑乱で何度も顔を隠そうと試み、髪はおどろに乱れ、実に険難な表情になっていた。
カタリーナは取り調べを受け、次のような調書を取られた。
――父は鉱山労働者で、私が六歳の時、肺の障害で死亡。母は年金問題で苦労しました。私は非常に早くから家政の切り盛りをせねばならず、隣近所や遠くなどに出かけ、パン焼き・煮物・漬物・屠殺の手伝いをしました。学校では何一つ苦労したことはなく、クイールの家政学校に通い、優をもらって卒業。家政士として働き、結婚~離婚。近年はブロルナ博士の許で勤め、夫妻はとても慈しみを持って下さり、切り詰めた暮らしができています。
取り調べが長くかかったのは、彼女が驚嘆すべき些事拘泥癖を発揮したからだ。「(前夫の)しつこい所作」は『情のこもった所作』とは違うと主張。「情のこもった」は「双方からする行為」で、「しつこい」は「一方的な行為」だとし、彼女と検事たちの間に本格的な定義論争が持ち上がった。また、彼女は「(ブロルナ夫妻の)慈しみ」は「親切」と異なると言い張り、(自分の意に染まぬ記述が罷り通る)そんな調書には署名しないとまで突っ張った。
さて、カタリーナの犯行が発生する三日前の2月21日午後、カタリーナと昵懇な弁護士ブロルナは休暇滞在地で「新聞」の取材を受けた。「彼女に犯罪の素質あり、と思うか」「性格的特徴は?」と問われ、「考えられない」と返答。コメントを拒むと、「悪い徴で、悪意の誤解を招きかねない」と食い下がる。取材に慣れないブロルナは苛立ち、「(彼女は)非常に悧口で冷静な人物です」と口走り、当を得ないと自分自身に腹を立てた。
翌朝、彼は「新聞」を目にして仰天する。第一面にカタリーナ。特大の写真、特大活字。<強盗の情婦カタリーナ・ブルーム/男性のお客についての供述を拒否>と大見出し。記事は「捜索中の強盗殺人犯ゲッテンは、恋人の家事使用人カタリーナ・ブルームがその足跡をもみ消して逃亡を庇わなければ、昨日逮捕されえた筈であった云々(関連記事は裏面)」。
裏面では、ブロルナが「悧口で冷静だ」とした発言を「冷酷で打算的」と仕立て、犯罪性についての一般的な発言を、彼女は「十分に犯罪の素質はある」とでっち上げていた。そして、「ブルームは二年前から規則的に男性のお客を受け入れていた。彼女の住居は謀議センターだったのか、一味の会合所か、武器の集積所だったのか?いかにして二十七歳の家事使用人が見積もり価格十一万㍆の分譲住宅を手に入れたか?云々」と畳み込んでいた。
午前10時40分、カタリーナから電話があり、ブロルナは「本当に『新聞』にあるような発言をしたのですか」と尋ねられる。釈明ができるのを喜びながら、彼は事の次第を詳しく説明。彼女は言った。「おっしゃる事を信じます。これで、あの豚みたい連中の仕事ぶりが判りました。今朝、あの連中は私の重病の母や、その他の人たちまで狩り出したのです」
ブロルナは妻のトルーデと長い会話を交わした。私たちが家政を随分助けてもらって、いかにカタリーナにお礼を言わなければならないか。二人が心置きなく職務に専念できるようにしてくれて、これは金では表現しようもない。彼女は、私たちにとって大変な重荷になっていた五年来の混沌から、私たちを解放してくれたのだ。
土曜日の朝、駅のホームで「新聞」だ。またしても、第一面にカタリーナで、大きな写真は彼女。見出しは<なおも頑強!/ゲッテンの所在に手掛かりなし!/警察は厳戒体制>
カタリーナは改めて尋問のため、警察本部へ連行された。最近二年間の彼女の財政上の取引に関して、問題点皆無。明らかになったのは、彼女が母親に月々百五十㍆を送金していること、遠方にある父親の墓を業者に予約して手入れさせていることだった。彼女の身の回りの全てが点検され、どこにも不備は発見されなかった。電話料金からも嫌疑の種はまるで出てこず、明らかに彼女は長距離電話は殆どかけていなかった。
弁護士のブロルナは日曜の「新聞」記事に接し、堪忍袋の緒が切れる。彼は喚き、怒鳴り、台所で空き瓶を見つけ、それを持ってガレージへ駆け込んだ。そこで本物の火炎瓶を組み立てているところを、幸いに彼の妻に突き止められ、阻止された。彼はそれを「新聞」の編集局へ投げ込むつもりだったのだ。
大学教育を受けた四十二歳の人間、一流社会人の敬意を受ける人間、十二分に世故には通じた人間の話なのだ。『その男』が火炎瓶を組み立てようとしたのだ! ブロルナ夫人は電話を取り、「新聞」社の責任者を呼び出し、こう言ってのけた。「この豚、嫌らしい豚ころ!」。
教育を受け、地位のある人々でさえ激高し、最も粗暴な類の暴力行為を思量したのだ。
カタリーナはブロルナ弁護士に「新聞」のジャーナリスト殺害の一部始終を文書に書き記し、訴訟に際して使用するよう、彼に一任した。問題の犯行のくだりはこうだった。
――私の人生を破壊した男テートゲスに会う前、私は懇意な知人の留守宅からピストルを持ち出し、自分で(弾丸の)装填もしました。やり方は前に森で射撃をした時に(知人から)正確に教わっていました。正午ちょっと過ぎ、男がベルを鳴らし、ドアの前にいました。
彼がどんな下司(豚)であるかが、すぐに判りました。正真の下司で見かけだけはいい男の彼はこう言いました。「やあ、お花ちゃん、二人でこれから何をするかね?」。私が無言で居間に逃げ込むと、彼は後を追って来て言いました。「何をおったまげて俺の顔を見てるのさ、かわいいお花ちゃん――ここでまず一発やろうじゃないの」
彼は私の着物に手をかけ、私は「一発やる、かまわないわ」と考え、ハンドバッグからピストルを取り出し、すぐさま彼を射ちました。二度、三度、四度。もう正確には覚えていません。彼は半秒かそこら、ひどく驚いた顔で私を見つめました。私は後悔もなく、気の毒という気持ちにもなりませんでした。(彼は一発やりたがったんだもの。それで私が一発やったわけ、違うかしら?)
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