世界のノンフィクション秀作を読む(10)マイケル・ルイスの『マネー・ボール』 資金面で圧倒的に劣る球団が如何にして勝つか(下)
- 2023年 6月 8日
- カルチャー
- 『マネー・ボール』ノンフィクションマイケル・ルイス横田 喬
1990年代にアスレチックスのGM(ゼネラル・マネージャー)を務めたアルダーソンという人物は名門大学出身の、教養ある弁護士だった。彼は球界の常識と対立する野球理論でアスレチックスを運営しようと図った。例えば、打撃については次のように考えた。
①打者は全て1番打者の気構えで打席に立ち、出塁を最大の目標とせよ。
②打者は全て本塁打を打てるパワーを養え。本塁打の可能性が高ければ、相手投手は慎重になる。与える四球が増え、(自ずと)出塁率が上がる。
③プロ野球選手になれるだけの天賦の才がある以上、打撃は肉体面より精神面に深くかかっている、と心得よ。
野球を客観的に捉えようとするこの態度は、当時アスレチックスのアドバンス・スカウト(次に対戦する相手の戦力を探る事務職員)だったビリーには衝撃的だった。実は、ビリーは元大リーガーだ。3Aとメジャーを行ったり来たりしながら、球団を幾つか渡り歩き、最後はアスレチックス。90年春、もう見込みがないと自分で判断。「球団職員をやらせてほしい」と球団に求め、受け入れられた。
彼は80年春、カリフォルニア州サンディエゴでのメジャーリーグ数球団の合同入団テストに応募。すらりとした細身の体、精悍な顔立ち、攻守走に優れていて、勉強もよく出来る。メッツのスカウトは特上レベルと評価し、獲得~入団させた。が、ビリーは失敗する。打てなかった。精神面で図太くなく、打ち損ねると感情むき出しにして暴れ、失格に至った。
先達アルダーソンのようになりたいという志が認められ、ビリーは97年、アスレチックスのGMに就任する。彼は他のGMとは比較にならないほど選手のロッカー・ルームをうろつく。球場で試合が行われている最中、何キロかジョギングをし、ウェイト・トレーニングをこなす。ゲームを生で見ることはない。興奮して、野球科学を忘れるからだ。
ポケットに忍ばせた小型機器で試合経過を知る。彼は全ての事に口を出すハリウッドの剛腕プロデューサーと似ていた。見どころのある選手を安く買って上手に使い、高く売る。ビリーは、したたかな商才の持主なのだ。
例えば、レッドソックスから見放された捕手のハッテバーグ。出塁率が高く、打席にいる時間が長くて相手投手を疲れさせるという長所を見込まれ、入団した。ただし、守備位置は一塁。彼は近所のテニスコートで、妻にゴロを打たせて一塁守備の練習をする。内野守備コーチのワッシュは、この不器用な男を褒めに褒め、レベル以上の一塁手に変えてしまう。
彼は178センチ、72キロ。捕手にしては体つきが貧弱ながら、無類に研究熱心だった。大リーグでは<自分が不得意な球に手を出す打者は生き残れない>と悟る。よく考えて辛抱強く得手な球が来るまで待つ、彼の流儀はレッドソックスでは意欲不足と見做された。
この球団は“がむしゃらさ”を推奨。精神カウンセラーを大勢雇い、“やる気の足りない”選手にハッパをかけさせていた。レッドソックスは結果のみに執着し、ハッテバーグは過程が大事だと考え、それなりの成功を収めている。アスレチックス入団後、その葛藤は消えて無くなった。3打数0安打、四球1でも、GM自らが「よくやった!」と声をかけてくれる。
1999年、ビーンに請われ、アスレチックスのフロント入りしたP・デポデスタはハーバード大出身の学究肌。20世紀の全球団の様々なデータを数式に当てはめ、勝率と関係が深いデータは何かを探った。重要なデータは攻撃面の二つ、出塁率と長打率だと判明する。
当時、専門家の関心も出塁率や長打率に向かい始め、新しい評価基準、OPS(出塁率プラス長打率)が脚光を浴び始めていた。OPSは一見単純な感じながら、チームの得点機会を表す数字としてこれほど相応しいデータは従来なかった。
デポデスタは考察を重ね、出塁率(大方のメジャーリーガーは.300~.400)と長打率(同.350~550)を等価と見るのはおかしいと判断。試行錯誤を重ねた末、正確にチームの得点力を表す数式(出塁率3プラス長打率1)を発見する。彼の主張は異端だったが、ビーンは「近年になく、画期的な情報だ」と喜んだ。異端でも構わない、出塁率こそ重要。アウトにならない確率が、何より大事なのだ、とフロントはこだわるようになる。
アスレチックスのスカウト部長G・グレイディらは初めデポデスタを野球の素人視し、歯牙にもかけなかった。が、そのド素人が新人選手の発掘にも異能ぶりを発揮するに及んで、顔色を失う。デポデスタはパソコンで大学生選手を調べ、K・ユーキリスという三塁手とK・サールースという投手を推薦した。グレイディたちは、その助言を無視した。
前者は太っていて、足が遅いし、守備もスローイングが悪い。(どうして、そんな奴を見に行かなきゃいけないんだ?!)。後者は背の低い右投げのピッチャーで、速球が142キロそこそこ。(チビの右投げに何の用がある?)
が、大量の四球を選び取るユーキリスは、出塁率が全プロ野球選手の中でかのバリー・ボンズに次ぐ二番目。アスレチックスにとって、「フォアボールの神」になるはずだった。サールースは2001年のドラフト指名投手中、メジャー入りを果たした二人のうちの一人だ。
デポデスタは他にもう一人、無名の選手を推薦していた。ディビッド・ペック。彼はどこのチームにも指名されなかった。30球団が50人ずつ指名できたにもかかわらず、リストから漏れていた。デポデスタのパソコンが名前を表示したのは、ちょっとした偶然からだった。
ペックが通うテネシー州の大学に全球団がドラフト一位候補に挙げるほどの投手がいた。158キロの速球を投げる大柄なピッチャー。この文句なしの大型新人と同じチームに、まるで脚光を浴びていない193センチの左腕投手がいた。
パソコン好きの若者は、ふとこの投手に目を留めた。なんと、こっちの投手の方が数字がいい。9イニング当たりで比較した場合、防御率はもちろん、被本塁打、奪三振、与四球のどれを取っても、同僚の大型新人より上。(もしやスカウトたちが見逃している逸材かも!)
その推測はいつまで経っても推測のままだった。待てど暮らせど、スカウトたちからペックに関する報告がない。仕方なくデポデスタは部長のグレイディに尋ねた。「ああ、忘れてた。誰か、見に行かせるよ」という返事。が、実際には(まともには)指示を出さなかった。
若者が再び質問した後ようやく、テネシー州の担当スカウトから「当のペックは“軟投型”の投手だった」という報告が返ってくる。“軟投型”とは、スカウト用語で、“検討に価せず”を意味する。本当は視察に行っていないのでは、とデポデスタは思った。ドラフト会議の何日か後、フロントの機嫌を窺うグレイディ部長がデポデスタと面談。ペックのことを話題にし、自ら現地へ出かけ、実際の投球を確かめもせずに、契約してしまう。
この“軟投型”はアリゾナのルーキー・リーグに登場し、大活躍する。奇怪なフォームから繰り出す135キロの緩い直球で、打線を完全に封じ込め、相手チームを唖然とさせた。短いシーズン中、リリーフで18イニングを投げ、32個の三振を奪い、防御率は1.00。ルーキー・リーグのオールスター・チームでもクローザーに選ばれた。
デポデスタのパソコンが見つけ出し、実際に契約にまで至った新人選手はこの“軟投型”が初めてだった。しかし、その後、徐々に増えていった。2002年のドラフトで、彼はいよいよこのデータ重視の選抜方法を本格的に試すことになる。と、同時にアスレチックスのスカウト陣は、部長のグレイディ以下総入れ替えの憂き目をみることとなった。
この『マネー・ボール』出版から二十年が経つ。今年3月、ボストンのホテルで討論会が開かれ、講師として出席したルイスは同著についてこう述べた。「実は、野球についての本ではなかった。テーマは『人間がいかに評価されるか』であり、野球はその例に過ぎない」。
彼は金融界から作家に転じ、複雑な経済の問題などを分かり易く解説することで知られ、幾つものベストセラーを生んでいる。中でも『マネー・ボール』は代表作で、データを使って選手を効率的に評価する考え方は大リーグに止まらず、他のスポーツにも広がっている。
<筆者の一言>アメリカの大リーグこそ世界の野球の最高峰、と私は長年思い込んでいた。が、今春のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)大会決勝戦で大リーグの精鋭を集めるアメリカが、なんと日本に力負けした。スコアこそ3対2と競っていたが、私の眼には完敗と映った。「今日一日だけは彼ら(大リーガー)への憧れを捨てて、勝つ事だけを考えて・・・」。試合前の円陣での大谷翔平選手の声出しメッセージだ。ご存じ前代未聞のウルトラ投打二刀流による彼の大車輪の活躍なかりせば、日本の栄誉はなかったろう。なにせ大リーガーとして年間ホームラン数が30~40本台、投手としては10勝以上が確実視される御仁。かのベーブルースの功績すら色褪せて映る昨今、前人未踏の偉業にアメリカの大人や子供たちが歓呼の声を挙げる光景には、「現代の英雄児」という称号さえ思い浮かぶ。
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