ドイツ滞在日誌(9)
- 2011年 8月 17日
- 評論・紹介・意見
- イエナエアフルトドイツ合澤清
毎年のことだが、ドイツに来た段階では、多少の不安を抱えながら、今年はどう過ごそうかと思い悩む。中間では、まだ先がずいぶんあるなと、多少のゆとりをもちながら、この先どう楽しんでいけばよいだろうかと、当初の計画の実行(勉強の計画は早々と放棄するが、遊びの方の計画だけはしっかり覚えている)にまい進する。そしていよいよ残りが2週間ほどになった時には、アーア、もう終盤になってしまったのか、せめてあと2カ月ぐらいはここにいたい気がする、という絶望感にさいなまされる。
これってなんだか人生そのものの縮図の様に覚えてきますよね。「青春、朱夏、白秋、玄冬」という漢語の世界を地で行っているように思えてきます。今、いよいよその最後の段階に差し掛かってきましたが、もう少し遊びの話など書かせて戴こうと思います。
1.Bad-KreuznachとJenaへの旅
昔読んだ本なのでかなりうろ覚えのところがありますが、確かカール・マルクスがその許嫁のイェンニー・ヴェストファーレンと結婚式を挙げた場所として名高いのがクロイツナーハ(現在は、バート・クロイツナーハ)でした。ここはドイツ西部、ライン川沿いのPfalz地方に属し、Pfalzweinの産地として、またクアオルト(Kurort)=保養地として名の通ったところです。また、ゲーテの大作『ファウスト』のモデルとなった実在していたファウスト博士がここに住んでいたともいわれています。
今回はマルクス先生に敬意を表しての旅が目的でした。あいにくの悪天候の中、かろうじて雨に会わずにゲッティンゲンの駅までたどり着き、ICEに乗ってフランクフルト(アムマイン)へ、そこで乗り換えてマインツ(ここはグーテンベルクの生誕地で、古い町並みが残っています)経由でバート・クロイツナーハに来ました。マイン川を渡り、ライン川を越えてからは、外の景色がなだらかな丘と一面のブドウ畑に変わってきます。ただ、やはり時代の趨勢なのか(とばかり言ってはおれないのですが)、周囲がやたらに道路工事や何やらの建設で掘り返されていて、僕のような外国人でさえ、将来のドイツの自然環境を危ぶんでしまいます。これはこの地方だけでなく、今年のドイツで特に顕著に感ぜられたことです。ヨーロッパ経済の危機と密接な関連があるのでしょうか?
バート・クロイツナーハには割に早く着きました。それでも、次のイエナ行きの列車との乗り合わせがあまりなくて、結局は1時間半ほどしか滞在できなくなりました。これでは町の中をちょっと通り過ぎる程度が関の山です。外はここでもときどき小雨模様でした。駅前にいきなり大きな教会が見えました。セント・クロイツ教会です。駅前のインフォの看板(街の略図)を見て、ともかくいったん川まで出てみようということになりました。そちらの方に旧市街の中心部があるからです。15~20分ほど歩いたら小さな川に出会いました。これはナーエ川というライン川の支流の一つです。そこに標識が立っていて、インフォメーションの場所が近いことが判りました。
標識を確かめていると、多分保養中であろうと思われる杖をついた老人が傍らにきて、何か話しかけてきました。よく聞き取れなかったのですが、どうも「どこから来たのか」と言っているように思えましたので、「日本からです」と答えました。老人は大満足の面持ちで、うなずいていましたので、挨拶をして早々に立ち去りました。インフォメーションはなかなか小奇麗でした。トイレが無料で使えるのもドイツでは大変珍しいことなのです。小さな「町の地図」だけもらって、それを頼りに旧市街地に向かって歩き、コーンマルクトという場所まで出ました。この辺はたいへんにぎやかな商店街で、おそらく町の中心地であろうと思われます。しかし、まことに残念ながら時間がありません。駅の方向に歩きはじめるしかありませんでした。ろくに観ることもできなかったのですが、街のイメージとしては奇麗な保養地で、上品な洗練された街といった感じです。川縁は静かで、落ち着いた雰囲気がありました。
確か新婚のマルクス夫婦は、そのままこの地に何週間だったか止まって、かなり散財したと記憶しています。カネに無頓着だったマルクスの性格が出ています。お祝い金はもとより、両家からの持参金などもあっという間になくなったはずです。
ここからイエナまで行くのはかなり時間がかかりました。マインツまで引き返し、そこからICEでエアフルトへ、また乗り換えてイエナヴェスト(Jenawest)駅まで行くわけです。マインツからのICEは一杯の乗客と予約席でふさがっていました。仕方なく、立ったままで行こうとしていましたら、日本人の4人連れの若者たちが、自分たちの席を代わって僕らに席を作ってくれました。大変ありがたかったです。このままでは3時間立ちっぱなしということになりかねなかったのですから。彼らは、フランクフルト空港まで行く途中で、席の予約をしていたそうですが、たまたま4人がけの席が空いたので席を替わったのだと言っていました。感謝、感謝!
イエナはやはり雨でした。この日のドイツの天気は目まぐるしく変わりました。ドイツではこんなことはよくあることなのですが、今年ほど頻繁にあるのは珍しいと思います。
宿をどこにとるか、近場にするか、それとも少し遠いが良さそうなホテルにするか、思案した結果、どうせ飲んで眠るだけだし、また雨も降っていることだから、近くにしようということになりました。小雨をついてほんの3~4分ぐらい歩いたところにあるホテルをあたってみたらなんと運良く空いていました。草鞋を脱いで、早速いつも行きつけの「赤鹿亭( Roter Hirsch)に出かけました。ここは1509年創業の古いドイツのガストハウス(一種の旅籠で、昔僕は泊まったことがありますが、相部屋で、シャワーやトイレも共用でした。今はガストハウスとしての営業はしていません)ですが、現在はこの地方の料理などを食べさせてくれるレストラン兼居酒屋です。
僕が何故ここに来るようになったかというと、まだドイツに来たてで、ドイツ語もほとんどしゃべれない頃、T先生というヘーゲリアナー(ヘーゲル学者)から手紙が来て、イエナに行くなら是非ここに泊まるようにと指示されたからなのです。その時苦労したせいで、今は楽しく飲ませてもらっています。T先生曰く、「ここはヘーゲルの時代からある居酒屋で、なおかつヘーゲルはこの近くに住んでいた。彼は大変な呑兵衛であるからここにしばしば来たに違いない。だから必ず行くべきだ」と。
まだ東西ドイツの統一から6~7年しかたっていない頃の話です。イエナは旧東ドイツでした。街は寂れていて、何となく暗い感じのするところでした。ただそのせいで、まだ古い建物や設備などがそのまま保存されていました。この居酒屋などもその典型です。階段も床もぎしぎし軋む代物(今でもそれは変わりません)です。そのころに比べると、最近のイエナは変わりすぎだと思います。大きなビルが建ち、大きな集合店舗のテナントビルができ、便利にはなったのでしょうが、イエナのイメージは台無しになったように感じます。ナポレオン軍が行進した「アイヒャープラッツ」(堅い樫の木などが生えていた広場)は、見る影もない駐車場に変わっています。この店と、あと少しばかり、かつてのイエナを髣髴させる場所があります。
なお、ついでに言えば、僕はヘーゲルが彼の住む屋根裏部屋からナポレオンが馬上豊かに広場を行進するのを見たという話は、後世の作り話ではないかと疑っています。ヘーゲルはどこにもその種のことを書き遺していなかったと思いますし、第一、彼のアパートからでは、大きなラートハウスが邪魔をして広場は見えないはずです。
ヘーゲルの住んだ、薄汚れたアパートのすぐ隣に緑色に塗られた瀟洒な家があります。「ロマンティカーハウス」と名付けられたこの家は、今でもイエナの名所の一つです。ここにはかつて、フィヒテが住み、その後はシェリングやシュレーゲル兄弟が利用したといわれています。かなり以前のことですが、この近くの安いワイン酒場(Weinlokal)で飲んでいた時に知り合った地元の若い人たちに、ヘーゲルがすぐそこに住んでいたことがあった云々という話をしたら、「ヘーゲルってどこの国の人?」と聞かれて絶句したことがありました。ここでは彼はそれほどの「有名人」なのです。
2.ErfurtとEisenachの散歩
翌朝、恒例の散歩をしました。なるべくかつてのイエナの雰囲気を残す場所ばかり選んで歩きました。東ドイツで長いこと暮らした人たちは、統一後は「都会風」に憧れたのでしょうか?ドイツの伝統的な街の様子が急速に壊されていくのが気になります。
朝食を済ませて駅に行こうと外に出てみたらまた小雨が降っていました。この日も昨日と同じようなぐずついたお天気でした。イエナには僕が知る限りでは3つの駅があります。たいして大きくない街なのに不思議な感じです。今ではイエナパラディスという駅が一番よくつかわれています。イエナヴェストは、昔のままの不便な田舎駅です。それ以外にイエナオスト(あるいはイエナ中央駅といったかもしれません)がありますが、ここまでは歩いて30分ぐらいかかります。イエナヴェストは、駅員の控室はありますがめったに駅員の顔を見たことはありません。しかも切符の自動販売機がしばしば故障していて(実はこの日もそうだったのですが)、切符を手に入れるのに往生します。この日は土曜日だったので、のんびり過ごすために「週末チケット」(Wochenende-Ticket)39ユーロを買いました。このチケットは、1枚で5人まで使えて、一日中乗車可能(ICEやICなどには使えませんが)です。これで途中下車しながら、8時頃までにゲッティンゲンに着けばよいだろうと、大まかな予定を立てました。
最初に、チューリンゲン州の州都であるエアフルトで降りて少し歩いて見ることにしました。エアフルトには何度か来たことがありますが、大きな町です。イエナからは各駅で30~40分ほどで着きます。途中ワイマールを通過しますが、ここは既に観光地化していて、僕の趣味に合いません。
エアフルトのインフォメーションは駅のすぐ前にありました。街の「小地図」をもらい、気の向くままに歩きはじめました。途中、なんだかけばけばしく華やかな色調の建物がありました。(最近のリメークでしょうが)プロイセン時代の建物でした。横で、ルターのような服装をした中年の男のガイドが、10人ほどの人を案内して何やら説明していましたので、その後ろからくっついて行きました。横道に曲がったところで、彼らが一軒の喫茶店に入ったので僕らも真似て入ってみました。これが東京にもないと思われるほどの、とても本格的な店なのです。因みにドイツ人はコーヒーが大好きで、友人のユルゲンも毎朝大きなコップ(Becher)で必ず2杯は飲みます。彼の友人のヴォルフガングは、日に10杯飲むと言っていました。
その店を出てからは、僕ら単独で歩きはじめました。何となく入った裏手の道に小さな川(流れはかなり急でした)に架かった橋があり、そこの風情が実によいと思いました。川の両岸に小さな居酒屋(レストラン)があり、今度来た時はぜひここで飲みたいと思っています。そこから少し歩き、左手を見るとすぐに、エアフルトのドームが見えてきました。こんな角度からドームを見たのは初めてでしたので、新鮮な感じがして、改めてこのドームの素晴らしさと、大きさに驚きました。ドームの前の広場には多くの出店が出ていました。多分土曜日恒例の週末市場だろうと思いますが、広い広場がびっしり埋まっていました。今月末から始まる「ドーム祭り」も関係があるのかもしれません。
エアフルトにはこれまで何度か来ましたし、泊まったことはありませんが、街の中もゆっくり歩き回ったこともあります。しかし、今回改めて、この町は素敵な町だなと思いました。ラートハウスの周辺もそうですし、そこから歩いてすぐのところにある有名なクレーマー橋(Kraemer Bruecke)、これはかつて小売商人や金属加工の職人などがそこに住み、橋げたそのものが両側から彼らの家で覆われた通路のようになっているもので、およそ橋だとは思えないところですが、これ以外にも観光の見所は沢山ありますし、生活の場として考えても、なかなか興味深いところだと思います。
歩いているうちにまた空模様が怪しくなってきました。Gewitter(ゲビッター:小台風)にでも出会うことになれば、それこそずぶぬれになってしまいます。駅の方に急ぎました。ベンチで次の電車を待ちながら、もう一つだけEisenach(アイゼナハ)によって帰ろうかと話をしていましたら、大きな荷物を担いだ若いドイツ人(学生?)が横に座ってきました。もうかなり歩き回ってきたように、顔があちらこちら赤く日焼けして皮膚が剝けています。彼は人なつっこい性格らしく、僕が電子辞書でドイツ語の意味を調べていると、英語でその意味を説明してくれ、また、ANSTADTと書かれた表示を見て、これはどんな意味なのかと聞いて見たら、これはエアフルトとは別の町の名前だと教えてくれました。彼ともう少し話がしたかったので、4人がけの席を取ったのですが、残念なことに前の席に一組の男女が座ってしまい、結局アイゼナハまで話ができませんでした。別れ際に、「ハイキングをするの?楽しんできてね。またお会いしよう」と言って別れました。感じのよい若者でした。
アイゼナハも何度か来ています。時間つぶしですから、最初から駆け足でした。バッハ・ハウスは奇麗に改装されていました。本当はここには有名な古城「ヴァルトブルク」があります。一度行ったことがありますが、素晴らしいものです。夏の暑いときに行けば、丘の上の涼風に吹かれて実に気持ちのよいものですが、この日はあいにくのお天気の上に、時間がありません。諦めました。ゲッティンゲンについて、例の「シュツルテンビュルガー」に行き、アイゼナハに行った話になったら早速ラルフに「ヴァルトブルクには行ったのか?」と聞かれ「いや、残念ながら」と答えたら、彼も本当に残念そうに「どうして行かなかったのか」「あれは世界文化遺産だよ」と言っていました。来年以後の課題でしょうか…。楽しいドイツ国内旅行も今回で終わりになりそうです。とはいっても、近場はいつでもいけます(特にEinbeckの居酒屋の親父との再会の約束が残っていますので、すっぽかすわけにはいきません。こういうことに関してだけは僕はすごく律儀なのです)。
ハンブルク在住のSさんと電話で喋った時、気管支が悪い方が療養に来るほどきれいな空気の島があるという話を聞かされました。僕にはドイツの空気ですら東京などに比べると十分きれいだと思うというと、彼女は「その上放射能汚染されてしまって、日本は本当にどうなるのかしらね…。」と絶句されました。
(写真は「イエナの『赤鹿亭』」「エアフルトのドーム」「エアフルトのクレーマー橋(正面の長屋のような家)を外から見たもの」です)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0590 :110817〕
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