カルテルや宣伝で価値を維持するダイヤモンド。こうしたことは他にもあるのではないか
- 2011年 8月 20日
- 時代をみる
- ダイヤモンド産業ユダヤ教浅川 修史
ダイヤモンド産業をユダヤ人が支配していることは、よく知られている。ダイヤモンド産業は金融とともにユダヤ人の伝統的な生業になっている。特に戒律を厳しく守るユダヤ教超正統派(ハシド)の人々にとって、ダイヤモンド取引とポーン・ブローカー(質屋)は2大生業である。
ダイヤモンド産業は国際的な生産・価格カルテルの上に成立している。世界最大のダイヤモンド生産国である南アフリカに本社を置くデビアス社がダイヤモンド産業の支配者である。デビアス社は連合王国の政治家セシル・ローズにより1888年に設立されたが、セシル・ローズのダイヤモンド事業を金融で支援したのが、ロンドンに本拠を置くユダヤ人金融家ロスチャイルドである。セシル・ローズのあと、デビアス社を主要な株主として支配してきたのがユダヤ人富豪オッペンハイマーである。デビアス社のカルテルと宣伝によって、「過剰なダイヤモンドはただの石ころ」ではなくなったのである。
ユダヤ人によって、ダイヤモンドは宝石の女王の座についた。それは、ダイヤモンドに輝きを与える研磨技術、ダイヤモンドがいちばん価値のある宝石という宣伝(イメージ操作)、そして生産・価格カルテルによって達成され、今日までその価値が維持されている。
もともと宝石の女王はルビーだった。ルビーはサファイアと同じコランダム系の宝石である。ダイヤモンドが研磨技術と多面的なカットにより輝きを得る14世紀ころまでは、ルビーの価格はダイヤモンドの8倍したという。インドで生産されるルビーが宝石の女王という「常識」は、中東や欧州で広く共有されていた。この相場観を変えていったのが、ユダヤ人である。
しかし、研磨されたダイヤモンドも自然の需給関係に任せていると、生産過剰の時期は、「ただの石ころ」になってしまう危険性がある。その危険性を未然に防いでいるのが、デビアス社のカルテルである。
イスラエルの経済の中心都市であるテルアビブに世界有数のダイヤモンド取引所がある。この取引所に参加するには厳格な審査がある。筆者が知る範囲では、日本企業でこの取引所に参加できたのは田崎真珠のみである。
ダイヤモンド取引所の売買の様子を聞いたことがある。大きなテーブルがあって、売る側のユダヤ人は黒い帽子、黒い服を着ているハシド。テーブルの上にはダイヤモンドの原石が入った袋が置かれている。中身は見ることができない。数量、重量も知ることができない。値段だけが知らされる。日本の正月の福袋と同じである。買う側は買うか、買わないかの選択しかない、という。
さて、「ただの石ころ」になる可能性があるダイヤモンドを不動のものにしたのが、アーネスト・オッペンハイマー(1880年から1957年)の天才的な商法だった。
守誠著「ユダヤ人とダイヤモンド」(幻冬舎新書 2009年)によると、
オッペンハイマーは、ダイヤモンド産業を次のようなビジネスモデルに変えることに成功した。
① 「過剰なもの」を「過少なもの」に人工的に変える。
② 「生産」より「販売」を重視したカルテルを形成する。
③ 国、地域により独占禁止法の適用が異なることに目をつけ、それを巧みに利用する。
④ 過剰な原石の価値を維持するため、独占も止むなしと考える「甘えの構造」を業界内に定着させる。
守誠氏は、オッペンハイマーのことを、「紛れもなく、限りなく詐欺師に近いビジネスマンだった」と指摘する。しかし、生産、価格カルテルだけでは、ダイヤモンドの価値を維持できない。このためオッペンハイマーが活用したのが、「宝石用ダイヤモンドの高貴なイメージ維持のために、情緒的側面から希少性や美を強調した」うえで、消費者や売る側のダイヤモンド商が、商品であるダイヤモンドに、「自信」と「確信」と「信頼」を寄せるべきだと説いた。しばしば詐欺師は自分をだませないと相手をだませないといわれるが、オッペンハイマーはその原理を仲間のユダヤ人に説いたのである。
「ダイヤモンドは永遠の輝き」「結婚指輪は給料の3か月分」などというデビアスの宣伝はわれわれの頭に入り込んでいる。
高級なダイヤモンドは1カラット1万ドル以上が相場だろうが、もしデビアスのカルテルがなければ、その一桁か二桁下の価格になる、という意見を聞いたことがある。
ところで、ダイヤモンドのように本来の価値から離れて、カルテルや宣伝(マインドコントロール)によって価値が創出され、維持されてきたものが他にもあるのではないか、と筆者は気が付いた。それは、株式などの有価証券や、最近の米国国債、一時のユーロなどの金融商品や通貨。さらにバッグ、ファッションなどのブランド物や高級車。高級レストラン、高級住宅地、大学などにも、そうした側面があるのではないかと思いついた。もっといえば、思想や宗教にもそうした傾向がないとはいえないだろう。
オッペンハイマーのような天才は他にもたくさんいると思う。ダマスコで改心したパリサイ派のユダヤ人の教えは世界で信仰されている。トリールで生まれた二人のラビの孫はその理論で世界を変えた。最近2代続いたFRB議長たちは世界経済を未知の領域に招いている。
われわれ素朴すぎる日本人は、こうした天才たちの真贋を見極める「わかる心」(旧約聖書)を持つ必要があるのではないか。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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