朝鮮人虐殺の場面を描いた絵巻物を公開中 東京・新宿の高麗博物館で
- 2023年 9月 1日
- 評論・紹介・意見
- 岩垂 弘朝鮮人関東大震災
きょう9月1日は、関東大震災から100年である。それを機に東京・新宿の認定NPO法人・高麗博物館で、関東大震災で在日朝鮮人が虐殺されたとされる場面を描いた絵巻物が展示されている。展示は12月24日(日)まで。政府は、関東大震災での朝鮮人虐殺を「記録がない」として今なお否定しているが、絵巻物の生々しい描写を見ると、それが事実であったことがうかがえる。同博物館は「いわれなく殺された人々を追悼すると同時に、ご来場の皆さんと一緒に考える時間と空間を提供したいと考えます」としている。
隠蔽された虐殺の事実
ウイキペディアによると、1921年9月1日に起きた関東大震災では死者と行方不明者が合わせて10万5000に達した。そうした混乱の中で、「朝鮮人が暴徒化した」とか「朝鮮人が井戸に毒を入れた」といった流言飛語が広がり、自警団や警察官による朝鮮人虐殺が生じたという。その数については諸説があるとウィキペディアは言い、2613人という説もあれば6601人という説もあるとしている。
『関東大震災100年 隠蔽された朝鮮人虐殺』と題された高麗博物館の今度の企画展に展示されているのは『関東大震災絵巻一、二 肉筆 淇谷』という絵巻物である。作者の淇谷(きこく)は福島県西郷村の小学校で教員をしていた大原弥市という人物とみられている。絵巻物の完成は1926年。
この絵巻物を“発見”したのは専修大学元教授で高麗博物館前館長の新井勝紘さんだ。専門は日本近代史・自由民権運動だが、自由民権期の私擬憲法草案のうち民主的な規定をもつ私擬憲法草案の一つ、「五日市憲法」の共同発見者の1人として知られる。
国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)に助教授として勤務していた時、関東大震災にかかわって以来、大震災での朝鮮人虐殺を描いた絵画の収集と研究を続ける。
専修大退職後も、ネットオークションで古い資料を探す日々。2021年2月25日、パソコンを開くと『関東大震災絵巻一、二 肉筆 淇谷』という絵巻物が出品されているのに目を惹かれた。オークションに参加し、9万7000円で競り落とした。送られてきた絵巻物は2巻。縦は双方とも36センチ、横は1巻が14メートル、2巻が18メートル。
まさに奇跡的な出合い
絵巻をひもとき、眺め始めた新井さんは驚いた。その時のことを新井さんは自著にこう書いている。
「私にとっては河目悌二、菅原白河に続いて、三回目の衝撃的出合いを経験した」「震災の状況を描いた作品は、販売目的のものも含めてかなり多くの画家たちが残しているが、絵巻物となると例は少ない。震災後一世紀ほどの年月を経て、いまここに出現してきたことに私は大きな衝撃を受けた。それもなんとオークションの場である。そもそもこのような作品がオークションに出品されることなど、何回もこのオークションで歴史資料を購入した経験がある私でさえ、想像もできなかっのが正直な気持ちである。最終的に私が入手する権利を得たが、軌跡的ともいえるだろう」(『関東大震災 描かれた朝鮮人虐殺を読み解く』新日本出版社刊)。
新井さんはなぜ驚いたか。そこに、朝鮮人虐殺がリアルに描かれていたからである。
殺害現場の描写
朝鮮人虐殺が描かれているのは巻一である。そして、それらは4つの場面に分かれている。『関東大震災 描かれた朝鮮人虐殺を読み解く』によると――
第1の場面は、手に手に刀や棒などを持った20数人の警察官や軍人、自警団らに追い込まれて、ついに仰向けにて倒れてしまった青色の着衣で、それも履物を履いていない人物が、竹槍をもった白い制服の警察官らしき人物に足蹴りにされている。
第2の場面は、学生帽のような帽子をかぶった青年が、それぞれが刀を手にした5、6人の軍人たちに囲まれていて、すでに刀が振り下ろされたのであろうか、青年の肩から腕にかけては大量の血が流れている。両手はうしろで縛られているのだろうか、もう前かがみになっており、今にも倒れそうである。
第3の場面は、刀や竹槍などを持った軍人や自警団が追いかけている先を、1人の警官が「そこだ、そこだ」と指さしている。その先にはすでに青色の服装をした3人が血を流して犠牲になっている。
一番手前の地面に倒れている人物の背中には、竹槍が突き刺さったままになっていて、鮮血が流れ出している。そのわきの仰向けで倒れている人物は、3人がかりで押さえこまれ、馬乗りにようになっている人物は手に刀を持ち、それをいまにも振り下ろそうとしている。被害者はすでに肩口から大量の血が流れ出し、目はすでに白目になっている。3人のうち最後の人物には、いまにも刀を降り下ろそうとしている2人が襲い掛かり、被害者はは頭を後ろ向けて倒れかかっている。頭部から鮮血が地面に向かって滝のように流れ落ちている。
第4の場面は、殺害現場の先で、6、7人の犠牲者が折り重ねられていた。何本かの樹木を挟んだ虐殺現場に隣接する場所には、ゴザのような敷物のようの上に犠牲者が次々と運び込まれ、まるで物でも置くように何段にも積み重ねられている。
私たちに問われていることは何か
自著の「はじめに」で、新井さんはこうつづっている。
「歴史を学ぶことが、一世紀経ってもまだできていないことに恥を感じざるをえない。短い期間であったが、認定NPO法人・高麗博物館の理事や館長をつとめた経験者として、私たちは今なにをしなければならないかを、改めて問われているのだと思う。それはまた、私たちが背負う責任の重さのでもある」
<高麗博物館>
東京都新宿区新大久保1-12-1 第2韓国広場ビル7階
最寄りの駅は、JR山手線の「新大久保駅」、あるいは地下鉄副都心線・大江戸線の「東新宿駅」
電話03-5272-3510
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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