関東大震災100年 ― 歴史は私たちに多くのことを教えてくれる
- 2023年 9月 12日
- 評論・紹介・意見
- 松井和子関東大震災
1923(大正12)年9月1日に関東でマグニチュード7.9 死者・行方不明者10万5千人の大震災が起きた。その直後「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「朝鮮人が放火した」などの流言が広まり、自警団を結成した人びとが多数の朝鮮人を殺害するという事件が起きた。今年で丁度100年、経験した殆どの人が亡くなってしまった時代の出来事である。若者たちにとっては遠い昔むかしの話であるだろう。
しかしそうではない。責任をとるべき日本政府は現在に至るまで、事件の真相を調査せず、遺族への謝罪も補償も行っていない。その日本の姿を振り返った。
今年8月30日関東大震災時の朝鮮人虐殺について記者会見をした岸田内閣松野博一官房長官は、「調査した限り、政府内で事実関係を把握できる記録が見当たらない」と述べ、公的記録をもとに認定されている事実1)についてすら、裏付ける記録なしとした。100年後の今も、事実を事実と認めない姿勢が続いている。
時は、1912~26年の15年間と短かい大正時代。浮世絵も漢方医療も捨て西欧に近づこうとした明治天皇時代の日本は、福沢諭吉が掲げた「脱亜入欧」「学問のすすめ」に影響を受け、天皇制ナショナリズムのもと朝鮮の植民地化を進め日清・日露戦争を戦った。1910年「韓国併合」2年後から始まったのが、大正である。大正デモクラシーと呼ばれたように、国内では、藩閥政治から政党政治が成立、護憲運動が高まり、著名な作家たちが活躍、自由な気風や社会・文化・政治活動がみられた。
しかし、侵略した朝鮮の人びとを「劣っている人間、自分たちに従う存在」とみなし、日本国民を執拗に啓蒙し続けてきた日本の為政者たちは、1919年朝鮮で独立と融和を願って3.1独立運動が起きた時、蜂起した朝鮮人たちを虐殺した。
そうした大正時代に、この大地震による災害に乗じて起こされた大虐殺はじめ数々の出来事は、日本の歴史にとって、とても素通りできるものではない。
震災後に流言が広まった時、政府内務省は「朝鮮人は各地に放火、不逞の目的を遂行せん」と全国に知らせた。誤った噂や通達・軍の行動が、一般の人びとを集団による残虐な行為に駆り立てたのである。
「天災は私利私欲を改める天からの恵み」と述べた渋沢栄一、復興作業での軍隊への感謝、バケツリレー、町内会結成、社会主義者の取り締まりなど、ベルトコンベアーに乗せられたように身近な地域での取り組み取り締まりが続くなか、1925年普通選挙法(男性のみ)制定と治安維持法制定、1925年NHKラジオ放送開始、1928年昭和天皇即位へと進んだ。最近言われる言葉:ショックドクトリン「戦争・自然災害などで大変な時に、平時なら批判が強い施策を導入する手法」に国民は乗せられたのか。人びとから科学的な視点、権力に対する批判精神を奪ったのか、日中戦争、アジア太平洋戦争へと向かった。
関東大震災100年を記念し、東京弁護士会、在日コリアン弁護士協会、日本新聞労働組合連合、自由法曹団はじめ団体や作家・研究者などから多くの声明が出され、東京はじめ各地で追悼の催しが行われている。
作家であり映画監督の森達也は、関東大震災後千葉県の福田村(現:野田市)で起きた事件を映画化した。勇気ある制作だ。香川県からの行商人一行を朝鮮人と疑い、幼児や妊婦を含む9名を虐殺した事件である。震災で流されたデマ、国が呼び掛ける自警団結成に、普通の善良な市民が「集団心理」で残虐に走る・・・、実際に起きた出来事だ。映画は全国で公開、この岐阜県でも大垣市の映画館で始まり、多くの観客が訪れていた。
明治から執拗に刷り込まれた「朝鮮人=劣った人間、危険な人物」によって、関東大震災で殺された朝鮮人は6000人とも言われる。それだけではない。大杉栄、伊藤野枝など社会主義者も憲兵隊に連行され殺された。千田是也(演出家)がそうであったように、東京にいた私の義父も朝鮮人と間違えられて捕らえられ、殺されかけた。福田村事件のようにそうした日本人も多かったのではと考えさせられる。
先に述べたように、関東大震災から100年の今なお、日本政府は調査はじめ謝罪をすることなく、朝鮮人に対する姿勢も変わらない。日本の人びとに刷り込まれた差別意識は根強く、在日の方たちへのヘイトスピーチ、ヘイトクライムは無くならない。侵略の歴史の中で起きたことを検証し、人として対等に認め合う関係をつくっていきたい。
1945年8月15日敗戦。日本は間違いを認め、新しい憲法を制定した。武力による争いをしないと誓った。その憲法は、いま生かされているのか。
100年前に起きた関東大震災、その歴史は私たちに多くのことを教えてくれる。年老いた者にも、若者にも、事実を知らせ語りかける。
再び過ちを犯すことを許してはならない。アジア近隣諸国との連帯が、いま求められていると感じている。
注:1)
・1923年9月3日内務省警保局が全国地方長官宛て電報「(朝鮮人が)爆弾を所持し、石油を注ぎて放火するものあり」「厳密なる取り締まりを加えられたし」と記載(防衛省防衛研究所が保管)
・内閣府中央防災会議専門調査会報告書『一九二三関東大震災 第二編』
・1923年11月21日付神奈川県知事安河内麻吉「震災ニ伴フ朝鮮人並ニ支那人ニ関スル犯罪及保護状況
其他調査ノ件」、警保局長宛文書(「神奈川県関東大震災朝鮮人虐殺関係資料」2023 三一書房)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
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