<関東大震災100年>特集に思う~5首を発表しました。
- 2023年 10月 5日
- 評論・紹介・意見
- 内野光子関東大震災100年
関東大震災100年ということで、多くのメディアが特集やシリーズものを組んでいた。短歌雑誌の『歌壇』9月号では、≪その時歌人たちはどう詠んだか―関東大震災から百年≫が組まれ、私も「『ポトナム』揺籃期の震災詠」を寄稿した。9月2日の当ブログにも収録している。今回は、『現代短歌新聞』10月号の特集≪関東大震災100年≫に拙作五首を発表している。ご笑覧のほどを。3頁にわたり43人が出詠していた。★
観音寺の鐘楼 内野光子(ポトナム)
縛られて〈払い下げ〉られし六人を殺せと命じられし村びと
息つめて向うは高津観音寺晩夏の雨に鐘楼濡れおり
朝鮮の技にて成りし鐘楼に犠牲者慰霊の礼のひたすら
命じられ殺めし人らを供養せる碑には銘なく落葉とどまる
二九六の往来激しき道の辺に潜まり建つは〈無縁仏の墓〉
(『現代短歌新聞』2023年10月)
関東大震災について、私は、書物や映像でしか知らない。両親は結婚する前で、父は海外にいたし、母は千葉県の佐原で小学校教師をしていたはずだが、震災の話を聞いた記憶がない。書物や映像からの作歌は、むずかしいし、私は、なるべく戒めることにしている。数年前、佐倉市の隣町、八千代市内に大震災時に犠牲となった朝鮮人の慰霊碑がいくつかあり、毎年、追悼式が行われていることを知った。高津団地に近い「高津山観音寺」では追悼式と同時に開かれる学習会にフィールドワークが開催されているが、一度参加したことがある。「千葉県における関東大震災と朝鮮人犠牲者追悼・調査実行委員会」の主催である。ことしは9月9日に百周年慰霊祭が行われたが、猛暑の中、体調に自信がなく、残念ながら参加できなかった。
『いしぶみ』は「千葉県における関東大震災と朝鮮人犠牲者追悼・調査実行委員会」の機関誌で、1978年創刊という。さまざまな関連行事の案内や報告、研究論文も掲載される。最新号の「関東大震災朝鮮人虐殺をめぐる質問主意書の意義」は2015年から資料を巡る質問書は八回も出され経過、今年は、5月23日の参院内閣委における杉尾議員も関係資料について質問までを追跡している。8月30日の記者会見で松野官房長官の「政府として調査した限り、政府内において事実関係を把握することのできる記録が見当たらない」との発言は記憶に新しい。ちなみに質問主意書については、以下に詳しい。
関東大震災朝鮮人虐殺の国家責任を問う会HP<質問主意書一覧>
https://www.shinsai-toukai.com/top-japanese-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E/%E8%B3%87%E6%96%99%E5%AE%A4-japanese/%E8%B3%AA%E5%95%8F%E4%B8%BB%E6%84%8F%E6%9B%B8-%E7%AD%94%E5%BC%81%E6%9B%B8/
「<100年ぶり>の国会質問に政府の答えは? まもなく発生100年の関東大震災「朝鮮人・中国人虐殺」問題」『東京新聞』2023年5月24日https://www.tokyo-np.co.jp/article/251995
★『現代短歌新聞』の特集の作品の中で、気になったのが、柳宣宏さんの「一会員」と題する五首だった。
・「まひる野」の会員たりしえみこさんは大杉栄と伊藤野枝の子
第一首目と『天衣』という歌集を残したという第五首目を手掛かりに調べてみると、伊藤には、辻潤との間に二人、大杉との間に五人の子供がいる。「えみこさん」は、三女の「エマ」さんで、後に笑子と改名している。『天衣』は、1988年に出版されていたが、著者は野沢恵美子となっていた。
初出:「内野光子のブログ」2023.10.4より許可を得て転載
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2023/10/post-636b9f.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion13276:231005〕
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