処女作の経験
- 2023年 11月 2日
- カルチャー
- 川端秀夫
文章を書くことに関して持っている私の信念は極めて単純であり、それは「人間の極限のエネルギーを注いだものだけが文学であり、それ以外はすべてクズである」ということに尽きる。若い頃に読んだロートレアモンの影響は決定的であった。ロートレアモンが『マルドロールの歌』を書く際に注いだようなエネルギーを、私もまた自分の中から引き出したかった。それが私にとって「書くこと」の唯一の課題であった。そしてその課題に処女作こそは最も近づき得た経験ではなかったか。自戒を込めていまそう思うのである。
中央大学が創立百周年を記念して長谷川如是閑賞授賞の懸賞論文を募集した。朝日新聞に載った募集要項には、原稿用紙四十枚以内、課題が「歴史における保守と進歩」とあった。ある日のこと私は「柳田國男はわが国における最も純粋な保守主義を代表すると私は考える(『保守主義と転向』)」という橋川文三の一文を思い出した。(学生時代、私は橋川文三のゼミにいて彼の著作は全部読んでいた)。
柳田國男が保守主義を代表するのならば進歩主義を代表するのは誰だろう、と私は考えた。柳田國男に拮抗しうる思想家としては福沢諭吉しかありえない。丸山眞男の論調からしてもそのことは明らかではないか。そうだ。福沢諭吉と柳田國男を比較する論文を書けば必ず賞は取れる。書く前から私にはそのことが確信できた。
このアイデアが生まれたのは応募締切りの五十日前。さっそく私は福沢と柳田の全集を図書館で借りて読み始めた。福沢と柳田を交互に読み較べながら、毎日抜き書きをしたり対比のメモを取ったりした。論文の構成は簡単に決まった。第一章で福沢諭吉の進歩主義を論じ、第二章は柳田國男の保守主義を記す。第三章で福沢諭吉と柳田國男を対比する。(第三章のタイトルは「解剖台の上の進歩と保守、あるいは、人間の発展は如何に可能か」と華々しいものである)。それに前書きと後書きを付けるという構成。
書くことに決めた最初の頃、テレビで山崎五紀と立野記代が対戦しているのを見た。特に女子プロレスに興味があるというわけではなかったが、その試合には感動した。自分もこういう新鮮なファイトをしないといけないなと思った。同じくテレビで堤清二が、農業は単に経済の問題ではなく日本文化の問題でもあるという趣旨から、橋川文三の名前を出していたのに勇気づけられた。橋川文三だけがその時の私の唯一の支えだった。
実際に論文を書き始めたのは締切りの十二日前。一日四枚のペース、十一日間で四十枚の草稿ができた。それを推敲してぶっつけ本番で一日で決定稿を書き上げた。最後の日は睡眠不足と疲労が極限に達した。原稿用紙が机から落ちてもそれを拾うことができなかった。体を傾けるとそのまま倒れ込んで眠ってしまいそうである。「原稿が一枚落ちたので後で拾うこと」とメモを書いて作業を続行した。
やっと原稿は完成したが、駅まで行って郵便ポストに投函する仕事がまだ残っている。ほとんど立ち上がることさえできなかった。壁を伝ってアパートを出た。普通ならば駅までは徒歩で十分。原稿を入れた封筒を落とさないよう胸にしっかり抱いて、一歩一歩駅までの道を辿った。あんなに長い行進は生まれて初めてだった。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔culture1243:231102〕
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