「資本主義の次に来る世界」(ジェイソン・ヒッケル著:東洋経済新報社、2023年4月刊)要約 (二)
- 2023年 11月 13日
- 評論・紹介・意見
- ジェイソン・ヒッケル椎名鉄雄資本主義の次に来る世界
編集部:註
本稿は長文のため筆者の了解を得て三回に分けて掲載する。全体は下記の通りである。
はじめに 人新世と資本主義 (一)
第1部 多いほうが貧しい
第1章 資本主義――その血塗られた創造の物語 (一)
http://chikyuza.net/archives/131145
第2章 ジャガノート(圧倒的破壊力)の台頭 (二 今回)
第3章 テクノロジーはわたしたちを救うか? (三)
第2章ジャガノート(圧倒的破壊力)台頭
資本主義の長い歴史を振り返るとこの歴史には欠落があることがわかる。囲い込み、植民地化、強奪、奴隷貿易・・・。資本主義の歴史において成長は常に強奪のプロセスであった。資本主義はいくつかの驚くべき技術革新をもたらし、成長を加速させた。しかしテクノロジーは、資本家の強奪のプロセスを拡大、強化できるようにした。19世紀と20世紀には、化石燃料の発見と蒸気機関などの発明により成長は加速した。テクノロジーのお陰で強奪のプロセスは指数関数的に加速、拡大した。この成長の深い動機は何であったのか。
<資本の鉄則>
人類の歴史の大半を通じて、経済は「使用価値」(人間の必要を満たす有用物)を中心に回っていた。職人がイスを作るのは、テーブルで食事を取る時に座る為だった。イスを売ることにしたのは売ったお金で別の有用物を買う資金を得る為だった。そうした経済活動は次のように表す。C1-M-C2(Cは商品、Mはお金)。有用物(使用価値)を作り、売却し得たお金で有用物を買う。このような経済活動は数千年前からあった。資本主義的生産活動が始まると資本家が椅子を生産するのは、有用物(使用価値)の生産が目的ではない。目的はただ一つ、利益を生むことだ。それは次のように説明できる。M-C-M‘-C’-M”-C“-M”’....利益は再投資され新たな利益を生み資本の蓄積は進む。これは競争に勝つ為の自己強化のサイクルだ。このサイクルに終わりはない。そしてこの資本主義システムは、永遠に拡大し続けるようにプログラムされた機械、ジャガーノート(圧倒的な破壊者)になる。
<投資家は成長を求める>
企業が毎年同じ利益を出し続けた場合、成長率はゼロ%で、投資家に投資した金額を返すことはできても利子はつかない。肝心なのは成長なのだ。投資家は、その企業に成長を望めないのであれば、その企業から投資を撤退する。企業にとっては、成長か死か選ばなければならない。投資家は常により有利な企業に資本を動かさなければならない。インフレ等で価値が下がるからだ。
<資本は次の解決策を求める>
2000年代の世界経済が年3%の割合で成長するとしよう。この緩やかに見える成長でさえ、経済産出高は23年で倍になる。今世紀末には20倍になる。さらに百年後には370倍になる。資本の成長要求に応える為に資本は蓄積を阻む障壁(市場の飽和、最低賃金法、環境保護法など)を破壊してきた。これが解決策と呼ばれるものだ。囲い込みは解決策だった。植民地化、奴隷貿易は解決策だった。いずれも暴力的な解決策だった。現在世界経済は80兆ドル超に相当する為、年3%の成長を維持する為には資本家は2.5兆ドル相当の新たな投資先を見つけなければならない。これはイギリス経済の規模だ。新たな投資先追求は、資本主義の鉄則に従ってずっと続く。
<私的な成長要求から公的な執着へ>
1930年代初めに起きた世界恐慌はアメリカと西ヨーロッパの経済を荒廃させ政府は対応を迫られた。フランクリン・ルーズベルトは、人々の生活向上のため、高賃金、労働組合の承認、公衆衛生と教育への投資等とあわせ公共事業を積極的に活用し経済の成長を図った。この政策は成功した。しかしこの状況は長くは続かなかった。1960年代、OECD(経済協力開発機構)が設立された。その憲章の目標は、(当時も今も)「持続可能な最高の経済成長率を実現する為の政策を推進する」ことであった。以来成長そのものが各国の正式な政策目標になった。1970年代後半になると西側諸国の経済成長は減速し始め、資本利益率も下がり始めた。政府は解決策を迫られた。労働法を骨抜きにし、賃金を下げるとともに環境保護の主要な法律を廃止した。そして公共部門(鉱山、鉄道、エネルギー、水、医療、電気通信)を民営化し、個人資本家が儲ける為の機会を作り出した。今日、ネオリベラリズム(新自由主義)と呼ばれるアプローチが始動した。国政の目標は利益拡大の障壁を取り壊し、人間と自然をより安価にして、経済を成長させることとなった。
グローバルサウスに対して西側諸国は、「構造調整計画」(経済構造と経済政策の改革計画)を押し付けた。これは、1980年代の債務危機(途上国の債務が累積し、返済が困難になた)に乗じたものだった。グローバル・サウスの経済を強制的に自由化し、保護関税と資本規制の撤廃、賃金の削減、環境保護規制の緩和、公共事業の民営化を推し進めた。結果はサウスにとっては壊滅的だった。貧困、格差、失業が増加した。西側諸国の成長率は回復した。
<成長という拘束衣>
私たちは成長という要求に拘束されている。経済が成長しなければ全てが崩壊する。成長が止まれば企業は倒産し、政府は社会サービスの資金を失う。人々は失業し、貧困が拡大し、国は政治的に脆弱になる。進歩的政党もこの成長の罠に取り込まれている。その理由は、GDPの成長を人間の幸福の指標とみなして、世界中の政府が成長を追及しているからだ。資本主義経済では、人々の暮らしはGDPの成長と結びついている。成長プロセスの中で生産性が向上(省力化)し、労働者は解雇され失業が増える。政府は新たな雇用を生み出すため更なる成長を追及する。更なる成長の追及(生産性向上)は新たな失業を生む。これを「生産性の罠」という。又、政府が公的医療や教育に投資したいのであれば、資金を調達しなければならない。そのため富裕層の課税を強化しなければならない。しかし、富裕層の反発が恐ろしい。資金を手に入れるには成長しかない。その先に「債務の罠」が待っている。成長を促進する為、国債を発行し資金を調達する。国債には金利がつく。国債の元本と利息を返済する為には成長が求められる。そして成長させる為には成長を阻む障壁(労働法、環境保護法、資本規制など)を取り払わねばならない。成長の見込みがない国・企業から資本は撤退する。経済が成長しなければすべてが崩壊する。資本主義は、成長という拘束衣に縛られている。
<むさぼり食われる世界>
しかし、問題なのは成長ではなく、成長主義が問題なのだ。成長主義により、恐るべき現象が起きている。「資源消費量に関する統計」によると、1945年以降驚異的なことが起こる。資源消費量は、1,980年350億トン、2000年には500億トン、2017年には920億トンにもなった。科学者の推定では、この地球が耐えられるマテリアル・フットプリント(資源の採掘量)は年間500億トンまでとされる。この限度を超えた超過は事実上すべて高所得国の過剰消費によってもたらされている。この資源の採取のすべてが地球の生態系に影響を与えている。
気候変動についても同じことが言える。経済成長は大量のエネルギーを必要とする。クリーンエネルギーは増加しつつあるが、この増加で必要増加量を賄いきれない。クリーンエネルギーは、成長に伴う増加分を補っているに過ぎない。世界的にみて、CO2排出は計画通り進んでいない。地球温暖化は依然として進行中である。成長速度を進歩の指標とみなすようになったのは、いかに私たちが生命の観点から出なく、資本主義の観点からこの世界を見ようとしているからだ。成長は、今では破滅のプロセスになっている。
<植民地主義2・0>
資本主義が生態系の崩壊をもたらしていることを認める時に、「私たちと」いう集合代名詞を用いがちだ。しかしそれは適切ではない。もし高所得国が世界の平均的水準で消費するのであれば、世界全体がマテリア・フットプリントを超える恐れはないはずだ。生態系の危機に直面したりしないだろう。1990年以来の資源消費量の増加の81%は富裕国における消費の拡大がもたらしたものだ。貧困国から富裕国へ年間約100億トンの原材料を含む膨大な量の資源が流れている。現在そうした資源は武力によって強奪されるのではなく、外国からの投資に依存し、資本主義の成長要求の恩恵を受けている自国政府によって安価に採取され売られている。
気候崩壊についても同様の不平等パターンが見られる。CO2排出については、国民一人当たりで見るとインドは1.9トン、中国では8トン、アメリカでは16トンだ。これまでに大気中に蓄積したCO2の大半はグローバル・ノースの先進工業国によってなされたものだ。大気は限りある資源であり、すべての人はプラネタリー・バウンダリー内でそれを等しく共有する権利を持つ。アメリカは、単独で世界の超過排出量の40%以上、EUは29%だ。グローバル・ノースの国々(世界人口の19%)は超過排出量の92%の原因になっている。少数の高所得国が大気コモンズ(共有財)の大半を強奪し破壊しているのだ、この状況は大気の殖民地化として理解されるべきだ。大気泥棒といってもレベルだ。気候破壊の影響は、グローバル・サウスでは特に壊滅的被害(嵐、旱魃、洪水、飢餓、難民)をもたらしつつある。
<21世紀に「限界」をどう考えるか>
資本主義の成長には終点も目的もない。絶対的な前提になっているのは、「成長は成長すること事態を目的として永遠に続くことが可能で、また続くべきだ」というものだ。1972年、MITの科学者チームは、「成長の限界」という画期的報告書を発表した。即ち「現状のペースで経済成長が続くというシナリオでは、2030年から2040年までのどこかで、わたくしたちは危機的状況に陥る。指数関数的成長に駆動されて再生可能資源は、再生可能性の限界に達し、非再生資源は使い果され、汚染は地球の吸収力を超え始める。最も可能性が高い結果として、人口と産業能力の両方においてかなり急激で制御不能な減退が見られるだろう」。しかし、オックスフォード大学のウイルフレッド・ベッカーマン教授は、「テクノロジーの驚異的な進歩のお陰で経済成長が今後2500年間続くことを否定する理由はない」と言い切った。マスメデアも追随した。「成長の限界」の警告は葬られた。レーガンは、「成長に限界などというものはない。なぜなら人間の想像力に限界はないからだ」。
近年生態学者は、限界について考える為、より堅牢で科学的な方法を発展させてきた。アメリカの気候学者ジェームス・ハンセン他2名の科学者は、画期的な論文を発表した。「地球の生物圏は統合されたシステムで、相当のプレッシャーに耐えられるが、ある点を越えると崩壊し始める。3人は地球システム科学のデータをもとに不安定になっている9つのプロセスを特定した。気候変動、生物多様性の喪失、海洋酸性化、土地利用の変化、チッソ・リンによる負荷、淡水利用、大気エアロゾルによる負荷、科学物質による汚染、オゾン層の破壊である。彼らはそれぞれについて限界を見積もっている。現在、すでに危険ゾーンに突入している。やがて不可逆的な崩壊に至る可能性を秘めている。政治生態学者のヨルゴス・カリスが述べるように問題は成長の限界が近づいていることではなく、成長に限界がないことなのだ」。私たちは、自ら成長を抑制することを選択しなければならない。 続く
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion13373:231113〕
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