韓国の写真家・鄭周河(チョンジュハ)氏が久しぶりに来日した
- 2023年 11月 28日
- 評論・紹介・意見
- 南相馬小原 紘鄭周河韓国
韓国通信NO731
まずは彼の紹介から。
彼は東日本大震災直後から福島県南相馬で写真を撮り続けてきた。日本に併合された祖国の光復を願った李相和の詩に因んだ『奪われた野にも春は来るのか』という写真集を発表。日本各地で開催された写真展は大きな反響を呼んだ。NHK「こころの時代」(2013年)でも紹介された。百済芸術大学教授を退職後、現在は写真家として、また地域の環境団体でも活躍中。(写真/筆者撮影)
私の拙い韓国語で交わした話で印象に残ったのは、まず南相馬(福島県)の変貌だ。次いで汚染水の放流問題、関連する韓国の大統領と日本の政治の在り様についてだった。
寄稿をお願いしたら早速、文章が送られてきた。多忙な鄭周河氏に大変なご負担をかけてしまった。間もなく13年目を迎える未曽有の原発事故を経験した日本人には耳の痛い貴重なレポートである。彼の目に日本と福島の現実がどう映ったのか。彼の文学的表現に頭を抱えながらハングルの翻訳に挑戦した。なお同氏は10月29日に来日、11月8日に帰国した。
『南相馬日記』
鄭 周 河 (写真家 全羅北道完州自然を守る連帯代表)
韓国は今、汚染水と処理水をめぐって混乱を極めている。尹錫悦政府が説明する処理水と国民が考える汚染水のことである。福島第一原発から発生した汚染水は処理水なのか、汚染水かという問題。韓国では本末転倒した異常な混乱が生まれている。汚染水を処理する先端技術のALPSとスイスのアルプスとの違いほどの可笑しな混乱である。
去る8月24日の第一回放流(投棄)開始以来、日本から伝えられるニュースも混乱に輪をかけた。汚染されたものを海に放流しても問題はないという話も、処理が難しい三重水素(トリチウム)を海水に薄めて捨てるという話も、空中に拡散して見えない放射能のように私たちの頭の上をぐるぐると回っている。
(訳者註/日本政府に迎合して放流を「可」とした大統領。韓国では議論が深まるどころか混乱が生じていると指摘する。アルプスの比喩には笑ってしまうが、「科学的に証明された」とする怪しげな政府見解を疑わない日本の混乱ぶりとあまり変わらない。付言するなら中国政府の反対意見も国民がどれほど理解しているかも疑わしい)
2011年から毎年欠かさず訪れた南相馬はコロナのため中断を余儀なくされ実に3年ぶりである。
到着した翌日30日の朝、福島駅でレンタカーを借りて霊山に行く途中、アイスクリーム店で車を停めた。客が多かった。駐車中の車はバイクを含め10台ほど。おそらく観光を楽しんでいるのだろう。大きな道路から山側に向かう。渓谷を抜けて走っているとおかしなことに気がついた。かつて積み上げられた汚染土が見あたらない。山裾のあちこちには空き家が見える。柿の木に太豊柿がたわわに実っているのは以前と変わりないが、原発事故後、汚染土を1トンバッグに詰めて谷のあちこちに積んだ景色がほとんど見あたらない。目に付くのは太陽光パネルだった。山の斜面にもパネルが見えた。太陽が傾き始めた。予定があるので南相馬へ急いだ。
<変わった南相馬>
南相馬は私には慣れ親しんだ町である。何回も訪れ、親しい友人たちが住む町でもある。だがその町が変わっていることに気が付いた。定宿にしてきたホテルもそうだった。当地にはふさわしくないほどきれいになっていた。そして大きくなっていた。南相馬図書館前の大通りの向かい側だけでも大きなホテルが三軒ある。中でも私が泊まるホテルが一番大きい。以前、友人の西内さんがご馳走してくれた素朴な蕎麦屋も立派になっていた。その隣には水産物加工品の店ができていた。従業員に聞いてみると数十年前からある店だという。3年前まで存在さえ気がつかなかったほど立派な店舗だった。
<希望の牧場の牛から学ぶ>
ホテルにチェックインした後、再び車で出かけた。小高から浪江に入ると「希望の牧場」がある。今ではよく知られているこの牧場は、原発事故当時、経営者だった吉沢正巳さんが経営している。牛が丘陵のあちこちに放牧されている。電気鉄条網に囲まれた中で牛が一生懸命に草を食んでいた。以前と変わりがない。復興もない。復興がこの場所を避けているように見えた。牧場を横切る高圧線の鉄塔は東京に向かって威容を誇るが、牧場周辺の風景は美しく、糞だらけの畑に足を踏み入れて粗末な餌に鼻を押しつけ生き続ける牛たちの懸命な姿は以前のままである。「復興と汚染と存在」の行き着くところは証明する必要もないだろう。しばらく不安な気持ちを抱きながらも、長時間をかけた牛たちとの再会だった。<写真/生き続ける牛たち/撮影/鄭周河氏>
牧場主の吉沢さんは不在だった。出直すしかない。さらに山の方へ車を走らせた。
浪江の向こうは高い山が広がっている。いくつかの貯水池とダムがあるところだ。以前、西内さんと放射能測定器で測ったことがある。彼から放射能がとても高い所だと教えてもらった。風が太平洋側から陸地へ吹くと、海に面した村の数値はそれほど高くないが、風が山の方に上るにつれて木や葉、田畑、池やダムに溜まった水に大きな影響をもたらす。所々に設置された線量計では山の中腹の放射能の数値は村に比べて5倍から10倍も高い。依然としてこの地の放射能危険度は気が滅入るほどだ。
ところで又もやおかしなことに気がついた。この地域の山地にも汚染土を包み上げていた光景が見当たらない。かつてあった場所でしきりに工事をしている作業員たちとダンプカー、工事用掘削機が目に付いた。大量の汚染土は一体どこに行ったのだろうか。
何年か前に日本の首相が汚染土を再活用すると発言したことがある(2016年7月環境大臣承認)。東京ドーム11個分(約1400万立米)くらいと言われる汚染土はこれまで集めたものだけ。爆発した原発からずっと噴出し続ける放射能物質は、汚染水だけでなく空中に広がり再び雨や雪となって地上に舞い落ち汚染土になるはずだ。汚染土は死を運ぶ。それにも拘わらず日本の政府は汚染土の再活用を実行するという。
絶望が期待と希望を断ち切るものなら、今はまさに絶望の時ではないのか。期待や夢は怒りを忘れさせるばかりで何の解決にもならない。
翌日、再び希望の牧場に出かけた。折しも吉沢さんが掘削機で牛に餌を与えているところだった。
しばらくすると軽トラックに大きなカボチャをぎっしり積んだ二人がやってきた。牛の餌を提供しようとやって来たようだ。ひとつ60キロもありそうな巨大カボチャ。近づいて見るとすべて売れない傷もののようだ。
ここの牛は原発事故後からずっとここで生き続けてきた。殺処分を政府が命じた意図は一面で理解しつつも、生き続けてきた牛は私たちに何を語っているのか。牛の存在は、人間の欲望が生んだ途方もない惨事の壮絶な証明であると同時に不安に満ちた未来でもある。牛たちは生き続けながら人間に何を語り続けるのかと牛を見続けながら思った。私たちは人間がしでかした間違いに気づき、反省し贖罪することが出来るのかと。本当に原発事故は疑問だらけなのだ。
<欺瞞、官民一体の事故隠し>
南相馬に戻る国道6号線周辺に数百メーターにわたってフェンスが設置されていた。フェンスには南相馬と相馬両市が毎年7月に開く野馬追いの絵と「津波の被害を乗り越えて復興へ!」というスローガンが大きく書かれていた。見た目には市が設置した広告看板に見えなくもない。だがフェンスの向こう側は大量の高濃度汚染土を積んで置いていた処でもある。何年も前この地を訪れた時に広範な土地の膨大な量の汚染土に驚いたが、その当時の驚きに加えフェンスに書かれていた言葉と絵には嘆かわしさを感じないではいられなかった。「欺瞞」という言葉が浮かんだ。
ところで今回来てみると、積み上げられていた黒い1トンバッグは消え、三角形の形に汚染土を詰め込んでいるのが見えた。大型だが露出した状態である。その土のところどころに草が生え、中側の隅には土を積み上げた跡があった。ここで何が行われているのか。ことによると汚染土再活用の一場面なのかもしれない。フェンスのある道路に植えたばかりの街路樹に小さな張り紙がかけられていた。その張り紙にはこの地の住民たちによる復興と明るい未来への思いが書かれていた。その中の一つには「福島浜通り桜プロジェクト、30年後のふるさとに与える言葉」「2016年から5年、私たちは忘れられない復興を夢みて次の5年に邁進しよう」と書かれていた。
これを書いた人に、これほど痛切に熱望する復興の中身について尋ねてみたいところだ。
さらに双葉町に近い海岸通りでも同じような風景があった。道に大きなフェンスが作られ、内側には汚染土をうず高く積み上げている光景を目にした。土から植物が伸び、覆った薄手のビニールが朽ち、風に吹かれる隙間から草が伸びていた。風に舞うビニールが旗のようにはためいていた。空に向かう風に乗って私の体に入ってくるのは何か。
<写真/鄭周河氏撮影>
韓国に「牛を失って牛小屋を直す」という諺がある。失敗して初めて自分が怠けていたことに気づくという意味だ。
現在の福島は太陽光パネルで満ち溢れている。化石燃料と核エネルギーに対する対案を示すもので、エネルギー転換を図ろうとするもっとも重要な大切な措置と考えられる。原発事故という人類史上稀にみる災難に見舞われてはじめて考え出し、実践しようというのが、この単純な太陽光パネルの実践だった。太陽光パネルが太陽光を反射して私の目を刺す。自分たちの怠慢を棚に上げて、これ以外のものは目にするなと言わんばかりだ。
「反省のない社会には絶望する」と18日東京で開かれた「東海第二原発の再稼働を許さない首都圏大集会で」原発学者小出浩章さんと元東海村村長の村上達也さんが700名の参加者の前で異口同音に語った。反省しない人たちの「未来志向」。鄭周河さんが見抜いた太陽光バネルは「怠慢」、「安易」「欺瞞」の象徴かも知れない。汚染水の放流、原発回帰、原発マフィアの跋扈という真の解決に程遠い現実がある。
集会後、肌寒さを感じる11月の神田の書店街に「原発やめろ」「東海第二再稼働反対」のデモ行進の声が響いた。
鄭周河氏は新らたな写真集を企画している。人間の愚かさを見据える希望の牧場の牛たちが主人公だ。殺処分を免れた牛たちから私たちは何を学ぶことができるのか。日本での発刊を大いに期待したい。
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