青山森人の東チモールだより…司法に介入するシャナナ
- 2023年 12月 21日
- 評論・紹介・意見
- 青山森人
12月7日、歴史を記憶する日
48年前の1975年12月7日は、インドネシア軍が東チモールに全面侵略を開始した日です。「12月7日」は「国民・英雄の日」として休日となっています。12月7日は木曜日であり、翌日8日の金曜日は、「12月7日」と土曜日に挟まっていることからついでに休日となり、四連休となりました。なお最近は「国民・英雄の日」という呼称のされ方はされず、「侵略の日」あるいは「インドネシアによって侵略された日」と一般的な呼び方がされています。
今年も「12月7日」では、各地で侵略によって犠牲になった人びとを追悼する行事が行われました。そしてなぜかこの日、あるいはこの日だからこそかもしれませんが、国防軍兵士と警察官が大勢集まり、改めて国家に忠誠を誓ってもらう儀式が政府庁舎前広場でシャナナ=グズマン首相が出席して行われました。最近、相も変わらず格闘技集団同士の抗争で治安を脅かす事件が頻発しているのですが、格闘技集団に兵士や警官が加わっていることが明らかになり社会問題になったのです。そこで政府は格闘技集団に関係する兵士や警官たちに、格闘技集団に忠誠を誓うのか国家に誓うのかどちらかを選べと最後通告を出し、この誓いの大集会が開かれたというわけです。
キッシンジャー、100歳で亡くなる
インドネシア軍が東チモールに全面侵略を開始する前日、アメリカのジェラルド=フォード大統領とヘンリー=キッシンジャー国務長官がジャカルを訪れ、スハルト大統領と会談し、東チモール侵略へ「ゴーサイン」を出したとはよくいわれることです。『ワシントン ポスト』(2001年12月7日、インターネット版)に「1975年東チモール侵略はアメリカのゴーサインを得た」という見出しでダナ=ミルバンクという人はこう書いています。
「フォードとキッシンジャーが前ポルトガル植民地への侵略を承認したとは長らく疑われてきたことであった。かれらはインドネシア軍が派遣される前日1975年12月6日にジャカルタを訪問しスハルトと会った。キッシンジャーは、インドネシアを去ろうとしていたとき空港でその計画のことを知ったのだと主張して、このことを否定し続けてきた」。
「秘密の電報で、フォードとシッシンジャーはインドネシア指導者のいうところの東チモールでの〝迅速で徹底的な行動〟に反対しないことをスハルトに確約したのだ」。
「7月に公開され、ジョージ=ワシントン大学の国家安全公文書保存所のウェブサイトに収まったこの電報によれば、『われわれはこの件について理解するし、あなたに圧力をかけないだろう』とフォードは述べている。そして『われわれはあなたの問題と目的を理解している』」。
さらにこの記事は調査団体が入手した資料の内容を紹介しています。「キシンジャーはスハルトに『あなたが何をするにしても早急に成されることが重要だ』。キシンジャーはまたスハルトに、自分と大統領がアメリカに帰国するまで待つようにとも勧告した。『大統領はジャカルタ時間で月曜日午後2時に帰国する』とキッシンジャーは述べた。『われわれはすぐに行動する必要があるというあなたの問題を理解している。しかしわれわれが帰国してから行動されるのがより望ましいとわたしは言いたいだけである』」。
そしてこの記事はこう続けます。「キッシンジャーは、アメリカはインドネシアの軍事行動を〝海外での作戦〟というより〝自己防衛〟でありうると解釈している、と示唆する。侵略においてアメリカはインドネシアに〝防衛〟あるいは〝安全保障〟のためという条件のもと、大量の武器を提供した」。
そのキンシンジャーが今年11月29日に亡くなりました。享年100歳です。キッシンジャー元国務長官による1975年12月6日の行動が、今年の「12月7日」を迎えるにあたって東チモールで改めて話題にのぼるかと思いましたが、そうなりませんでした。
一般に東チモールの報道機関は、ポルトガル・日本・アメリカそしてインドネシアが東チモールにたいしておこなった行動にたいして責任を追及するという報道方法をとりません。これは政府・指導者たちが、ポルトガル・日本・アメリカ・インドネシアにたいして戦争責任を問う姿勢を見せないことに呼応しているようにわたしにはみえます。報道機関はせめてポルトガル・日本・アメリカそしてインドネシアが東チモールにたいしてとった過去の行動を史実として検証する姿勢をとってもよいと思います。キッシンジャー元国務長官が亡くなった8日後に「12月7日」を迎えた東チモールが、フォード大統領とキッシンジャー元国務長官による12月6日の行動について検証する報道がなかったことは非常に残念です。
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2003年12月、バウカウ地方にて撮影。
ⒸAoyama Morito.
「東チモールに正義を!」と訴え、戦争責任者を告発する「お尋ね者」ポスター。アジア太平洋の東チモール連帯組織と東チモールの諸団体による共同制作だ。20年前にはこのようなポスターが地方でもまだ貼られてあった。「お尋ね者」として、インドネシアからスハルト大統領そして軍人のムルダニ将軍とウィラント将軍があがり、アメリカからはフォード大統領とキッシンジャー国務長官が、そしてオーストラリアからはホィットラム首相やインドネシア駐在のウールコット大使などがあがっている(肩書はいずれも当時のもの)。当時の人口の三分の一である20万の東チモール人が亡くなったことにたいする責任は誰もとっていない。
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庶民の味方シャナナが司法判断に反対する
ベコラのベクシ村落に住んでいた七世帯の住民に土地からの立ち退きを命じる裁判所の判決が出ました。シャナナ=グズマン首相はその判決は間違っているとして、先月11月10日、現場に赴き、退去のために外に出された住民の家財道具を自ら担いで元に戻すという行動に出ました。
シャナナ首相のこの行動は人道的であると評価される向きもありますが、住民支援と司法介入は別ものだという認識のもと、野党からだけではなく市民団体からも、首相による司法介入は司法の権威を傷つけ、分権に反するという批判を受けました。シャナナ首相が立ち退き命令をうけた住民に暖かい人道的な支援の手を差し伸べるのなら何も問題はないし、司法判断に異を唱えるならば法的手段をとるかたちで住民支援するのも何も問題はありません。しかし政府首脳が司法判断に反対だと主張して住民支援をするという行動は法治国家としての立場を揺さぶることになります。
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『チモールポスト』(2023年11月15日)より。出だしのみ。
「シャナナは司法にたいして刺客の人格を用いているとPLPはみる」(見出し)。
野党PLP(大衆解放党)のマリア=アンジェリナ=サルメント議員が、住民を支援しながら司法に介入するシャナナ首相を批判する。
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今年の選挙で政権を奪還したシャナナ=グズマンが口に出したのは「司法の改革」でした。そして早々に実行したことは、武器の不法所持をしていたロンギニョス=モンテイロ(元検事総長・元内務大臣・元警察長官)をSNI(国家諜報機関)の長官に任命したことでした。このことからシャナナのいう「司法の改革」とは法秩序の改善という類のものではなく、司法を自分の手中に収めることを意味することが疑われます。今回の立ち退き住民に身を寄せ司法判断に反対する行動はこの「司法の改革」のための布石です。まずわかりやすく誰もが賛同してくれそうな行動をとっているのです。
わかりやすく誰もが賛同してくれそうな行動の例として、土地利用ができるのは中国企業か国かで争われたリキサ地方で起こった争議をあげることができます。2019年の9月、シャナナは(何の権限があってそういうことができるのかは分かりませんが)警官を数名引き連れて冊で仕切られたその問題の土地を訪れ、国家利益のことを考えろ!とその会社の者たちに強い口調で演説し、柵を抜くという実力行使をとったのです。
この件の会社側弁護士は、ある日たまたまわたしと一緒にいた友人との知り合いだったらしく、その弁護士と友人の二人が立ち話しを始めたとき、「あ~、この国は前へ進めんぞー」とシャナナの実力行使を嘆いたのでした。柵を破壊するのは器物損壊の罪に問われかねない違法行為ですが、当時はフレテリン(東チモール独立革命戦線)を含めて諸政党の議員はシャナナの行動にある程度の理解を示したのでした。シャナナは自分が歴史的な指導者であり特別な存在であることを十分自覚し、綿密な計算のうえで最初はわかりやすく誰もが賛同してくれそうな行動をとりながら真の目的に向かっています。
海外に逃げたエミリア=ピレスへの恩赦
シャナナ=グズマン首相による「司法の改革」の一環とみられる大きな動きが出ました。行動したのはシャナナ首相ではなくジョゼ=ラモス=オルタ大統領です。シャナナ首相が訪日の旅に出た12月14日、クリスマス恩赦としてエミリア=ピレス元財務大臣とマダレナ=ハンジャン元保健副大臣に恩赦を与えると発表したのです。恩赦はラモス=ホルタ大統領によるものですが、シャナナ首相の「司法の改革」の意向に沿った行動であるはずです。
第一期シャナナ=グズマン連立政権(2007~2012年)のもと、当時のエミリア=ピレス財務大臣とマダレナ=ハンジャン保健副大臣は、2011年~2012年にかけて国立病院へ医療用ベッドなどの機器や機材を購入する事業においてエミリア=ピレス財務大臣の夫が経営するオーストラリアの会社に医療機器を発注したことから、閣僚が法律で禁じられている経済活動をおこなったなどとしてこの二人は検察に告訴されました。この件は、2016年1月と2月、ラモス=オルタ・マリ=アルカテリそしてシャナナ=グズマンという歴代の首脳が裁判で証言するという国家的な一大汚職疑惑事件に発展しました。
2016年9月、二人の被告は検察側から10年の禁固刑を求刑され最終弁論を控えているとき、同年11月、エミリア=ピレス被告はポルトガルへ逃げてしまいました。それでも同年12月、デリ地方裁判所はピレス前財務大臣にたいして7年、ハンジャン元保健副大臣にたいしては4年のそれぞれ禁錮刑を下しました。エミリア=ピレス被告には逮捕状が発行され、タウル=マタン=ルアク大統領(当時)は投降を呼びかけました。海外に逃亡したエミリア=ピレス被告に非難が集中しましたが、シャナナ計画戦略投資相(当時)はエミリア=ピレスは無罪であると主張し彼女を擁護しつづけたのです。なお、この汚職疑惑事件については、「東チモールだより」の第318号・第334号・第336号・第338号・第341号などを参照してください。
被告のエミリア=ピレス前財務大臣はそれっきり現在に至るまで東チモールに帰国していません。ずっとポルトガルに滞在しているといわれています。
その後、去年2022年4月、この汚職事件についての再裁判が行われました。新しい証拠が出てきたのか、どのような理由でそうなったのか、わたしは詳しく分かりません。しかし結局、去年10月、デリ地方裁判所は二人の被告に同様の刑を宣告したのです。
かつてのシャナナ政権下の閣僚数名は汚職で有罪になっています。自分が寵愛した閣僚たちが有罪を宣告されることが我慢ならないことであり、今後このようなことがあってはならないということからシャナナ首相が「司法の改革」を目指しているとしたら、本末転倒です。汚職に手を染めないように閣僚たち・部下たちに襟を正させるのが筋というもので、司法判断に難癖をつけるのは法治国家としての分権の原則を脅かす危険行為です。
議論を巻き起こす恩赦
今回のラモス=オルタ大統領の恩赦は、東チモールの司法を弱体化させると懸念され、世論を巻き込んだ論争が起こっています。そしてこの度の恩赦は、先月11月15日に国会を通過した大統領の恩赦権限にかんする新しい法律を適用してのことだと報道されています。そもそも恩赦の対象となっている二人はまだ一時たりとも服役しておらず、エミリア=ピレスは海外に逃亡している身です。そのような二人に恩赦をかけることができるのか?新しい恩赦法の解釈を含めて、日本から帰ってくるシャナナ首相の発言が火に油を注ぐような気がしますが、論争が沸騰していくことでしょう。
青山森人の東チモールだより 第506号(2023年12月20日)より
e-mail: aoyamamorito@yahoo.com
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
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