習一強体制の苦境(2)―恒例の重要会議開かず、さらに・・・
- 2024年 1月 6日
- スタディルーム
- 中国田畑光永習近平
昨日の(1)では「説明せずは唯一の逃げ道」というサブタイトルで、中國では昨年後半に外交部長、国防部長という就任まもない重要閣僚が公式の理由説明がないままに解任され、さらに年末には軍幹部で退職後に全人代、政協会議といった議決機関、諮問機関のメンバーとなっていた9人もの人間がその資格を取り消される奇妙な人事があった。そしてそれにも理由の説明がなかったことについて、その背景を私なりに考えてみた。
今回は前例のない第3期に入った習体制の1年余の歩みを点検してみたい。そこには閣僚交代の説明がないどころではない、もっと深刻な体制の欠陥の存在をうかがわせるものがあると私は見ている。
というのは、中國の政治体制は5年に1度の共産党大会の投票で総書記が選ばれ(実際には事前の調整で1人の候補者が決まり、投票は形式的なものだが)、さらに一昨年の例でいえば205人の中央委員と171人の同候補が決まり、それぞれの部署で新しい職務につく。
そして党大会のほぼ1年後にその期の中央委員会の3回目の総会(第3回中央委員全体会議=3中全会)が開かれて、党中央から出されるその期の国政運営の基本方針を討議、決定する。つまり大会1年後の3回目の中央委員会でその後の4年間の主要政策が決まるのが一応のルールとなってきた。
したがって第何期であれ大会後の3回目の中央委員会総会というのは政策の転換といった重要な節目の舞台となることが多い。たとえば文化大革命時代から改革開放路線へと方針の大転換が決まったのは鄧小平が主導した1978年12月の第11期3中全会であった。
そこで昨年は、習近平が従来の慣例を破って3期目まで続投したからには、それなりに新しい路線か、少なくとも新しい姿勢くらいは明らかにするものと予想された。
ところがさっぱりそんな気配もないままに秋も終わり、11年目に入った政権の意気込みも目標も公けにしないままに12月となってしまった。なんとも拍子抜けであった。
しかし、年末には毎年恒例の別の重要会議がある。中央経済工作会議と言い、これにはトップの習近平以下、中央政治局常務委員という最上級幹部7人全員が出席して、翌年の経済の最高指導方針を決めるのが慣例である。今年のそれは12月12日に開かれた。そして冒頭、習近平が演説した。新華社が流したその記事は中国語で4724文字というかなり長いものであった。
ところが驚いた。経済についての演説を伝える記事であるのに、数字がいっさい見えないのである。まさかと見返してもやはり見えない。アラビア数字が見えるのは2023、2024という年号と、途中箇条書きになる部分の、1から9まで項目の頭にふってある数字だけである。
なんだか冗談ではないかと思った。経済を数字抜きで議論してみようと。しかし、そんなわけはないから、意図的に数字抜きにしたのであろう。余計なことを言わないという点では、閣僚たちの解任についてなにも説明しなかったのと同じである。
したがって、重点項目にしても「国内需要を着実に増やす」とか、「高水準の対外開放を拡大する」とか数字なしのスローガンを並べているだけである。
そして、奇妙かつ可笑しかったのは、(それをニュースにしているところもあったが)「経済の宣伝と世論誘導を強め、中国経済光明論(明るい中国経済)を高らかに唱えよ(唱響)」という一句である。こんなことを正直に言ってしまえば、もっともらしいニュ―スや解説も宣伝と思われてしまうではないか。
確かに今、中國経済は大変だ。昨年の第1~第3四半期(1~9月)のGDP成長率は前年比5.2%増、まあまあというところだが、なにより重くのしかかっているのは、周知の不動産不況である。かつての住宅バブルの後遺症が重くのしかかる上に人口減少が重なり、今のところ明るい兆しは全く見えない。それどころか、建て始めてから工事がとまったままの無数の物件が各地に林立したまま、大手不動産がつぎつぎ経営不振、デフォルトに陥るなど危機が迫っている。
政府も、購入条件を緩めて、低所得層にも買いやすくするといった程度の対策しかないようで、打つ手に窮している。いつまでも放っておくわけにはいかないのはわかっていても打つ手がないとすれば、「中国経済光明論を唱響しろ」と号令をかけるのも無理からざるところかもしれない。
ということで、せっかくの一強体制も現状は天馬空を行くどころか、世間の疑念、不審のまなざしを無視して、余計なことを言わずにチャンスを待つしかないところのようだ。
というところまで書いて、今回は一応、終わりにしようと思っていた矢先、昨1月5日の『人民日報』の記事を見て驚いた。それは前日の4日に共産党の中央政治局常務委員会(権力の頂点)が全国人民代表大会、国務院(政府)、政治協商会議、最高人民法院(裁判所)、最高人民検察院という立法、司法、行政の三権の最高機関から報告を聞いたという記事なのだが、驚いたのは、その後に(共産党)中央書記処の業務報告を聞いた、と付け加えられていたことである。今までそういう言及はなかったと思う。
中央書記処というのは字で分かる通り、事務局である。ただ中國共産党ではトップの「総書記」にも表れているが、書記という言葉は日本語のそれとは大分響きがちがう。党の各支部のトップは支部長でも委員長でもなくて「書記」である。一部門のトップの肩書である。
記事は最後に「三権の最高機関」について「強国建設の推進、民族復興の偉業に大きな貢献をした」と評価したのに加えて、「中央書記処」についても「着実に職責を果たし、業務のレベルを上げ、重点を着実に処理し、党中央が与えた各項の任務を完成した」とそれぞれ褒め言葉を並べている。
三権の長たる組織とならべて、党中央とはいえ自らの事務局をほめそやすとは奇妙ではないか、と思う。これにはおそらく裏があると思われるので、この際、それを書いて本稿のしめくくりとしたい。
問題の中央書記処のトップは共産党の最高幹部7人のうちの第5位、蔡奇(さいき)という人物である。この人物は福建省の出身で、古くからの習近平の部下である。2012年に習近平が総書記に就任した後、2014年に浙江省の幹部から北京に転じて、17年に北京のトップの座(党北京市委書記)についた。
そこでなにをしたか。あるいはご記憶のかたもいると思うが、冬の北京は各所で石炭ストーブを焚くために、空が濁って青空が見えない。それが習近平は気に入らないというので、蔡奇は各学校に石炭ストーブをやめてガスに切り替えろと言う命令を出した。しかし、石炭ストーブを撤去するのは簡単だが、ガス暖房をいきわたらせるには時間がかかる。暖房が間に合わない学校では子供たちが校庭を走りまわって寒さに耐えるという光景が現出し、大きなニュースになった。
また北京のビルの壁や屋上に沢山の広告が掲げられているのを、これまたおそらく、「見苦しい」との鶴の一声で、彼は中心部の一角から広告を全部撤去させた。結果はどうだったか。急いで広告が外された街並みはかさぶたをはぎ取ったおできの痕のようでなんとも見苦しい。それに広告のない街は目印が亡くなって歩くのに不便と悪評の山。
極めつけは2017年の晩秋。北京駅から南へ20キロほどに出稼ぎ労働者たちが多く住み着いていた地区があった。そこである晩、違法建築の半地下のようなアパートの部屋から火が出て、かなりの死傷者を生んだ。怒った蔡奇はその周辺のかなり広い区域から短い期限内に住民全体を立ちのかせるよう命令を出し、期日に有無を言わせずに、建物を一斉に打ちこわし、まるで戦場の痕のような無人地帯としてしまった。
それがどれほどの広さで立ち退かされた住民は何人か、それを書けないのは残念だが、例によってこの件は一切、中国の報道には登場しなかったから、「かなり広い場所から大勢が」としか言いようがない。
そうした行動が習近平に気に入られたのであろう。蔡奇は失脚するどころか、ついに中国のトップ7人のナンバー5に上り詰め、共産党の中央書記処書記と政府では国家機関工作委書記、つまり与党の幹事長と内閣官房長官を兼ねるような地位に着いて、最近では習近平の行くところどこにでも付いて歩いている。
おそらく、5日の報道で自らの中央書記処に対する褒め言葉をマスコミに登場させたのは、習を巻き込んでの自作自演であろう。蔡奇がどんな野心の持ち主か、私には分からないが、苦境の習体制の一つの攪乱要因であることは間違いない。目を離さないでいよう。
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