Global Head Lines:ブータンでの政権交代についての海外論調
- 2024年 1月 12日
- 評論・紹介・意見
- ブータン野上俊明
ヒマラヤ/ブータンの国会議員選挙で政権交代
――経済問題により、ブータンの前政権は敗北した。インドは今後の政権下で影響力を増す可能性が高い。
原題:Parlamentswahl im Himalaya:Bhutan wählt den Machtwechsel
https://taz.de/Parlamentswahl-im-Himalaya/!5984910/#:
ブータンの選挙作業員が国王の肖像画の下で電子投票機の封印を解き、票を数える。Foto: dpa taz
ヒマラヤの王国ブータンの選挙で、野党の人民民主党(PDP)が勝利した。このことが1/10水曜日、首都ティンプーの選挙管理局から発表された。予備結果によると、リベラル派のPDPが47議席中30議席を獲得し、ほぼ3分の2を占めた。残りの議席はブータン・テンドレル党(BTP)が獲得した。 2013年から2018年まで首相を務めた58歳のPDP創設者ツェリン・トブゲイが再び政府のトップになる。
有権者50万人のうち65.6%が投票した。インドと中国の間に位置し、人口80万人、面積がスイスほどのこの国では、この本選挙に参加することを許された政党は、野党だった2党だけだった。与党のドゥルック・ニャムル・ツォグ党(協同党)を含む他の3党は予備選挙で落選した。今回の国政選挙は、当時絶対主義者だったジグミ・シンゲ・ワンチュク国王が2008年に同国を立憲君主制に転換してからまだ4回目にすぎない。現在、彼の長男であるジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王が先頭に立っている。
7,000メートル級の山々が連なる仏教徒が多数のこの辺境の国は、通常の国民総生産の代わりに国民総幸福量(Gross National Happiness)を憲法に明記したことで、世界中にセンセーションを巻き起こした。これは、持続可能な社会的、経済的発展、環境保護、文化、統治の質などの要素に基づいている。現在、両党は国民総幸福量(GNH)の支持を表明しているが、選挙戦では、若者の失業率の高さなど、経済指標の低さが争点だった。(2022年時点で、15歳から24歳の)若者の失業率は過去5年間で倍増し、28.6%に達した。移民も急増し、特にオーストラリアへの移住が多い。昨年7月までの1年間だけでも、オーストラリアへのビザは15,000件発給されたと言われている。選挙で勝利したトブゲイは、外国人投資家や観光客をより多く誘致するため、総額1億8000万ドル相当の経済刺激策を約束した。
新政権はまた、北京に対してより批判的な姿勢をとる可能性が高い。北京とは正式な外交関係はないが、前政権は国境紛争において中華人民共和国に対して融和的であった。影響力を争い合うインドと中国がブータンは、インドとの南国境に経済特区を計画している。(括弧内は筆者補足)
<あとがき>
以上の記事は、ドイツの日刊紙Taz.1/10のアジア版に載ったものである。小国ブータンが、国境紛争で超大国中国にいいようにされているらしい様子に心痛めたが、国内的にも経済発展に隘路が生じているようである。今回の選挙結果の、ドイツ語圏からの簡単な解説記事であるが、それを参考にしつつ我々日本にとっての意味も考えてみよう。
ブータンという超小国(九州と同面積、人口は80万人)が国際社会で注目されたのは、やはり先進諸国がGDPという物量的経済指標に代わる新しい評価基準や一国の国家目標を探しあぐねている現状があるのに対し、「国民幸福量」という精神文化に比重を置いたある意味アジア的な、新しい経済評価の基準を提示した、その斬新さからであった。しかしその基準・指標も政治のリアリズムに耐えてこそのものである。主力の観光産業がコロナの影響で落ち込み、それが経済の停滞と若者の失業率の高さとなって表れたことへの国民の批判票が野党勝利を導いたと解説されている。この限りでは、スリランカがコロナ下で観光立国に失敗して債務超過となり、国家破産したという話とよく似ている。いずれも多様な産業のすそ野が広がらず、植民地型のモノカルチャー経済に似た脆弱性が露呈したということであろうか。
さて、ブータンの経済開発といえば、1980年に国王から「ダジョー(最高に優れた人)」という最高栄誉の称号を授与された、農業指導員西岡京治氏の事蹟を忘れてはならない。開発援助指導員として28年間(1964~1992)、パロを拠点にブータンの自然条件に適合した農業開発に尽力、狭隘な農地のもとで土地の生産性をあげるための現代的な農業手法―品種改良、果樹・野菜など換金作物の開発と市場開拓、灌漑、橋梁や農道などのインフラ整備、人手不足を補う機械化など―を積極的に導入、特に米の自給率を高めることによって、食料の多くをインドからの輸入に頼っていた状態からの脱却の道筋をつけたと言われていた。
当初西岡氏はJICAの指導員として赴任した。日本のODAはインフラ整備が得意と言われているように、氏の農業指導もJICAスタイルからそう外れてはいないであろう。ただし、アフガニスタンの中村哲氏の場合と同様、技術の移植にあたっては、現地のしきたりや習慣、疑問や不安にも十分配慮しつつ、草の根からおそらく「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、褒めてや」るという順序を踏んで丁寧に指導したのであろう。最後は農業改良の見事な成果を見て、人々は西岡イズムを信奉するようになったのであろう。西岡氏は、農業基盤の整備、稲作を軸としつつ多様性のある農作物の栽培や加工などによって、食料自給率を高め大国への依存を減らそうとした。1992年に氏が急死したあと、ブータンの農業を中心とする産業政策がどのような経路をたどったのか、筆者はつまびらかでないが、結果からみれば、旧来の経済開発の方式が壁に突き当たり、地場産業が十分育たないうえ、高学歴の若者が就職できる職場=製造業・サービス業・情報産業などの未形成が際立ったその結果が、政権交代につながったのであろう。
他方、ほとんどが険しい山岳地帯であるという地理的条件のもとで、水力発電の開発は進んだ。有り余る電力は、経済開発の進むインドへ輸出され、観光業とともに外貨稼ぎの両輪となった。これは中国が雲南省の経済開発に必要な電力を、ミャンマーのイラワジ川とサルウイン川に大規模なダムをいくつも造って賄うという構想―地元民(ビルマ族+少数民族)の強力な反対によってほとんどが事業化されていない―によく似ている。こうしてインド資本による電源開発とツーリズムが拡大すれば、外貨収入は増大し、手に汗して農地改良や品種改良などといった煩わしい手続きや労力は、必要としない。足りないものは、潤沢な外貨収入で輸入すれば済むのである。若者は他国へ出稼ぎに行き、その仕送りで経済は回る。
ただしモディ政権の下で新自由主義的経済開発に邁進するインドであるから、エコ・ツーリズムやサステナブル・ツーリズムなどはインドの観光資本には期待薄で、オバーツーリズムによる貴重なヒマラヤの自然資源の破壊が危惧されるばかりである。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion13486:240112〕
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