記憶喪失の国から
- 2024年 1月 24日
- 評論・紹介・意見
- 小原 紘災厄
韓国通信NO735
喪中ハガキをもらうと、亡くなった人への感謝をしたためて返信するのが習わしになった。年賀状は今年限りという人も増えた。友人の「断捨離」みたいで少し寂しい。電話で「おめでとう」と言うオメデタイ人はいなかった。
能登半島大地震が「戦争前夜」と地続きのように感じられる。「民主主義の危機」を口にする首相の姿は白々しいばかりだ。
<この際…>
『文豪たちが書いた関東大震災』(石井正己著、NHK出版)で、震災直後、「此の際」という言葉が大流行したのを知った。「此の際ですから御辛抱ください」「何でも構わない 此の際だから」と寛容の気持ちを込めたらしい。私には寛容より万事休した状況のなかで「どうでもいい」という投げやりな気分を読みとった。
昨今のお粗末な政治家を目の当たりにして、此の際、怒りよりあきらめムードが生まれてくるようで心配だ。方向性と展望を見失ったまま、日本はどこへ漂着するのか。かつてアジア侵略、米英との戦争に突入した「なりゆきまかせ」が思い起こされる。
<経済大国・軍事大国の底が見えた>
能登半島大地震の被災者の救助と地域の再建が急がれているが、隔靴掻痒、歯がゆいばかりだ。
地震は防げないとしても、せめて被害を最小限にできないものか。経済大国を自負する日本にやれないはずはない。地方切り捨ての政治をやめること。災害に強い住宅の建設、格差のないインフラ整備が思いつくが、アメリカに言われるまま軍事費を増やす政府には荷が重すぎるのかも知れない。此の際、教科書で習った政治の基本に立ち戻ろう。戦争準備より生活優先。「此の際」、日本の政治を変えなければならない。
<不幸中の不幸>
地方軽視は原発立地、沖縄の基地負担に端的に表れている。今回の地震は原発を増やそうとする岸田政権には打撃だったはず。不誠実ながらも志賀原発の電源がストップして油が流出したことを電力会社は認めたが、政府は原発については口をつぐんだままだ。マスコミ各社も「不幸中の幸い」と報じるだけ。事故にならなければ安全とでも言うつもりか。安全な原発があるなら教えて欲しい。此の際、GDP第3位に浮上した原発を全廃したドイツを見習うべきだ。
それにしても今回の地震で原発不要の世論が盛り上がらないのは不思議だ。原発を推進する政府と忖度したマスコミは福島事故から13年になる福島事故の記憶も教訓も忘れたようだ。まさに「不幸中の不幸」。地震から政治の実態が見えてきた。此の際、将来の子どもたちのために政権を刷新するほかない。但し滅びゆく自民党の刷新は不要。此の際、私たちは諦めない覚悟が求められていないか。地震で命拾いをしたと喜ぶ不届きな連中にはとどめを。
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